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* [[2002年]]12月15日、21戦21勝9KOで日本フェザー級王座[[洲鎌栄一]]に[[大阪府立体育会館]]で挑戦し、9RKO勝ちでタイトル奪取に成功。
* [[2002年]]12月15日、21戦21勝9KOで日本フェザー級王座[[洲鎌栄一]]に[[大阪府立体育会館]]で挑戦し、9RKO勝ちでタイトル奪取に成功。
* [[2003年]]3月23日、初防衛戦に[[雄二・ゴメス]]を迎え、1RKOで防衛に成功。
* [[2003年]]3月23日、初防衛戦に[[雄二・ゴメス]]を迎え、1RKOで防衛に成功。
* 2003年12月14日、藤原直人を下し3度目の防衛戦を宗像ユリックスで阿部元一と行う。10R判定で勝利するも判定が疑問視され、阿部の所属するヨネクラジムからビデオ判定や審判員の処分などを行うための、第三者を交えた査問委員会の設置要求などを含む抗議文を受けた[[日本ボクシングコミッション|JBC]]は、次戦に決定していた[[榎洋之]]より前の再戦命令と勝者は榎と試合をすることおよび福本元秋副審の審判ライセンスを無期限の停止を決定した。判定内容によって審判ライセンスが停止された日本初のケースとなる<ref>{{Cite web|url=http://www.boxing.jp/news03/news_d/d_0312.htm|title=JBCがジャッジに対し"初の"サスペンド|date=2003年12月22日|publisher=[[ボクシング・ビート|ワールドボクシング]]編集部|accessdate=2011年6月16日}}(上から9番目の記事を参照)</ref>。その後福本は審判に復帰している。
* 2003年12月14日、藤原直人を下し3度目の防衛戦を宗像ユリックスで阿部元一と行う。10R判定で勝利するも判定が疑問視され、阿部の所属するヨネクラジムからビデオ判定や審判員の処分などを行うための、第三者を交えた査問委員会の設置要求などを含む抗議文を受けた[[日本ボクシングコミッション|JBC]]は、次戦に決定していた[[榎洋之]]より前の再戦命令と勝者は榎と試合をすることおよび(追記) フルマークで大之伸を支持した (追記ここまで)福本元秋副審の審判ライセンスを無期限の停止を決定した。判定内容によって審判ライセンスが停止された日本初のケースとなる<ref>{{Cite web|url=http://www.boxing.jp/news03/news_d/d_0312.htm|title=JBCがジャッジに対し"初の"サスペンド|date=2003年12月22日|publisher=[[ボクシング・ビート|ワールドボクシング]]編集部|accessdate=2011年6月16日}}(上から9番目の記事を参照)</ref>。その後福本は審判に復帰している。
* [[2004年]]4月4日、阿部との上記指名試合を宗像ユリックスで行い、10R判定まで縺れるもサスペンドされた審判は、2-1で(削除) くま (削除ここまで)を支持し4度目の防衛に成功。
* [[2004年]]4月4日、阿部との上記指名試合を宗像ユリックスで行い、10R判定まで縺れるもサスペンドされた審判は、2-1で(追記) 大之伸 (追記ここまで)を支持し4度目の防衛に成功。
* 2004年9月4日、[[後楽園ホール]]にて榎洋之との防衛戦を行うも9RTKOで敗れ、連勝記録が途絶えると同時に失冠する。負けたら引退と決めていたが、8か月後に復帰する。
* 2004年9月4日、[[後楽園ホール]]にて榎洋之との防衛戦を行うも9RTKOで敗れ、連勝記録が途絶えると同時に失冠する。負けたら引退と決めていたが、8か月後に復帰する。
* [[2005年]]5月29日、1戦1勝後階級を上げ、後楽園ホールにて日本[[スーパーフェザー級]]王者[[本望信人]]に挑戦。本望の瞼からの出血による5R負傷判定負で2敗目となり戴冠ならず。
* [[2005年]]5月29日、1戦1勝後階級を上げ、後楽園ホールにて日本[[スーパーフェザー級]]王者[[本望信人]]に挑戦。本望の瞼からの出血による5R負傷判定負で2敗目となり戴冠ならず。

2011年6月16日 (木) 17:30時点における版

大之伸 くま
基本情報
本名 久間 大之伸
階級 フェザー級
身長 172cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1978年10月22日) 1978年 10月22日(45歳)
出身地 兵庫県 尼崎市
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 34
勝ち 31
KO勝ち 13
敗け 3
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大之伸 くま(だいのしん くま、男性、1978年 10月22日 - )は、日本プロボクサー。元日本フェザー級 チャンピオン。本名久間 大之伸兵庫県 尼崎市生まれの福岡県 宗像郡 福間町(現福津市)育ち。福岡県立水産高等学校卒。福岡ボクシングジム(旧福間スポーツ)所属。

サウスポーのファイタータイプで、プロデビューから26連勝の当時日本記録を達成した。また、後楽園ホールと相性が悪く、全ての負けが後楽園ホールである(4戦1勝3敗)。

経歴

  • 父親の影響で中学校1年よりアマチュアボクシングを始め、高校全九州フェザー級チャンピオンなどアマ戦績7勝(4KORSC)3敗を残す。
  • 1997年3月20日、宗像ユリックスで迎えたプロデビュー戦を4R判定勝利で飾る。
  • 1998年12月19日、後楽園ホールで西軍代表として全日本フェザー級新人王決定戦に出場し、東日本新人王永田書林を6R判定で下し、新人王となった。
  • 2002年12月15日、21戦21勝9KOで日本フェザー級王座洲鎌栄一大阪府立体育会館で挑戦し、9RKO勝ちでタイトル奪取に成功。
  • 2003年3月23日、初防衛戦に雄二・ゴメスを迎え、1RKOで防衛に成功。
  • 2003年12月14日、藤原直人を下し3度目の防衛戦を宗像ユリックスで阿部元一と行う。10R判定で勝利するも判定が疑問視され、阿部の所属するヨネクラジムからビデオ判定や審判員の処分などを行うための、第三者を交えた査問委員会の設置要求などを含む抗議文を受けたJBCは、次戦に決定していた榎洋之より前の再戦命令と勝者は榎と試合をすることおよびフルマークで大之伸を支持した福本元秋副審の審判ライセンスを無期限の停止を決定した。判定内容によって審判ライセンスが停止された日本初のケースとなる[1] 。その後福本は審判に復帰している。
  • 2004年4月4日、阿部との上記指名試合を宗像ユリックスで行い、10R判定まで縺れるもサスペンドされた審判は、2-1で大之伸を支持し4度目の防衛に成功。
  • 2004年9月4日、後楽園ホールにて榎洋之との防衛戦を行うも9RTKOで敗れ、連勝記録が途絶えると同時に失冠する。負けたら引退と決めていたが、8か月後に復帰する。
  • 2005年5月29日、1戦1勝後階級を上げ、後楽園ホールにて日本スーパーフェザー級王者本望信人に挑戦。本望の瞼からの出血による5R負傷判定負で2敗目となり戴冠ならず。
  • 2007年1月6日、4戦4勝後日本スーパーフェザー級王者小堀佑介に挑戦、タオルが投げ込まれ3RTKO負で引退を表明。
  • 2007年9月23日、宗像ユリックスで引退式を行なった。

脚注

  1. ^ "JBCがジャッジに対し"初の"サスペンド". ワールドボクシング編集部 (2003年12月22日). 2011年6月16日閲覧。(上から9番目の記事を参照)

関連項目

外部リンク

前王者
洲鎌栄一 第50代日本フェザー級王者

2002年12月15日 - 2004年9月4日

次王者
榎洋之

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