「ウズベク・ソビエト社会主義共和国」の版間の差分
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2011年3月28日 (月) 19:56時点における版
ウズベク・ソビエト社会主義共和国(ウズベク・ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく)は、ソビエト社会主義共和国連邦の構成共和国の1つ。1991年 9月1日、ウズベキスタン共和国として独立した。
建国
ロシア革命後、1917年11月から1918年3月にソビエト権力が樹立され、その領土の大部分は、トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の構成下に入った。その後ブハラ人民ソビエト共和国・ホラズム人民ソビエト共和国が樹立されるが、民族境界画定工作の結果として、1924年 10月27日に新たな領域を設定されて、ウズベク・ソビエト社会主義共和国が誕生した。
ウズベキスタン共産党
1924年10月、ウズベキスタン共産党中央委員会組織局が創設された。1925年2月、ウズベキスタン共産党第1回設立会議が行われ、中央委員会が設置された。
1925年、ウズベキスタン人民委員会議議長に、ブハラ族の代表ファイズッラ・ホジャエフが任命された。彼はモスクワの特別な信任を得ていたが、部族間の勢力均衡のために、1929年、タシケント族を代表するアクマリ・イクラモフが中央委員会第一書記に、フェルガナ出身のウスモン・ユスポフが中央委員会書記に任命された。
ソビエト時代、連邦当局は、人事政策によりウズベキスタンの部族集団のバランスを維持した。この際、共和国の党指導者の交代は、一定の氏族に有利な人事異動を伴った。タシケント族とサマルカンド族に支えられていたシャラフ・ラシドフ第一書記の死後、ウズベキスタンにおける指導的立場は、フェルガナ族のイナムジョン・ウスマンホジャエフ、後にラフィク・ニシャノフが占めた。この際、両者は、マフィア及び汚職対策において、ラシドフが任命した者達の迫害に遭った。
1989年6月、失脚したニシャノフと交代で、イスラム・カリモフが第一書記となった。
歴代第一書記
- ウラジーミル・イワノフ(1925年 - 1927年) - ロシア人。銃殺。
- クプリアン・キルキシュ(1927年 - 1929年) - ベラルーシ人。事故死。
- ニコライ・ギカロ(1929年) - 銃殺。
- イサーク・ゼレンスキー(1929年) - ユダヤ人。銃殺。
- アクマリ・イクラモフ(1929年 - 1937年) - タシケント出身。銃殺。
- ウスマン・ユスポフ(1937年 - 1950年) - フェルガナ出身。
- アミン・ニヤゾフ(1950年 - 1955年) - フェルガナ出身。
- ヌリトディン・ムヒトディノフ(1955年 - 1957年) - タシケント出身。
- サビル・カマロフ(1957年 - 1959年) - タシケント出身。
- シャラフ・ラシドフ(1959年 - 1983年) - ジザク出身。
- イナムジョン・ウスマンホジャエフ(1983年 - 1988年) - フェルガナ出身。
- ラフィク・ニシャノフ(1988年 - 1989年) - タシケント出身。
- イスラム・カリモフ(1989年 - 1991年) - サマルカンド出身。
消滅
1990年 6月20日、ウズベキスタン最高会議は、ウズベク・ソビエト社会主義共和国の国家主権宣言を採択した。最高会議は、大統領職を制定し、イスラム・カリモフを大統領に選出した。
1991年9月1日、ウズベキスタン共和国の独立が宣言され、ソ連から離脱し独立国家となった。
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