コンテンツにスキップ
Wikipedia

「ドンブラコ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
1行目: 1行目:
{{otheruses|宝塚歌劇団の作品|山下文吾による漫画作品|どんぶらこ}}
{{otheruses|宝塚歌劇団の作品|山下文吾による漫画作品|どんぶらこ}}
[[Image:Donburako-Takarazuka1914.jpg|thumb|250px|ドンブラコ・第三場<br/>(1914年・宝塚少女歌劇団の第1回公演)]]
[[Image:Donburako-Takarazuka1914.jpg|thumb|250px|ドンブラコ・第三場<br/>(1914年・宝塚少女歌劇団の第1回公演)]]
(削除) 『 (削除ここまで)'''ドンブラコ'''(削除) 』 (削除ここまで)は、[[1912年]](明治45)1月に出版・発表された[[桃太郎]]をモチーフにした[[北村季晴]]作詞・作曲の[[歌劇]]。出版された楽譜における正式な名称は『オトギ歌劇ドンブラコ(桃太郎)』(表紙)もしくは『御伽歌劇ドンブラコ(桃太郎)』(楽譜標題)、英語標題は『Children's Operetta DOM(削除) = (削除ここまで)BRAKO』<ref>[http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?tpl_wid=WBPD120&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=1&tpl_hit_num=1&tpl_toc_word=&tpl_jp_num=40072880&tpl_vol_num=&JP_NUM=40072880&VOL_NUM=00000&KOMA=&tpl_search_kind=1&tpl_keyword=&tpl_s_title=&tpl_s_title_mode=BI&tpl_s_title_oper=AND&tpl_s_author=&tpl_s_author_mode=BI&tpl_s_author_oper=AND&tpl_s_published_place=&tpl_s_published_place_mode=ZI&tpl_s_published_place_oper=AND&tpl_s_publisher=&tpl_s_publisher_mode=ZI&tpl_s_publisher_oper=AND&tpl_s_nengou=AD&tpl_s_published_year_from=&tpl_s_published_year_to=&tpl_s_ndc=&tpl_s_ndc_mode=ZI&tpl_s_heading=&tpl_s_heading_mode=ZI&tpl_s_heading_oper=AND&tpl_s_jp_num=40072880&tpl_s_toc=&tpl_s_toc_oper=AND&tpl_item_oper=AND&tpl_sort_key=TITLE&tpl_sort_order=ASC&tpl_list_num=20&tpl_end_of_data= 北村季晴(成於) 『オトギ歌劇ドンブラコ(桃太郎)』 共益商社 1912年(明治45)1月29日]--[[国立国会図書館]]近代デジタルライブラリー</ref>。出版(削除) の同 (削除ここまで)年に北村夫妻によって披露され(削除) 好評を得て (削除ここまで)、[[帝国劇場]](削除) の (削除ここまで)歌劇部員(削除) と音 (削除ここまで)楽部員によるレコード(削除) も作成 (削除ここまで)発売された(削除) <ref>増井啓二 『日本オペラ史〜1952』 昭和音楽大学オペラ研究所編 水曜社 2003年(p.128) ISBN 9784880651149</ref> (削除ここまで)(削除) こ (削除ここまで)(削除) 2 (削除ここまで)(削除) 後 (削除ここまで)の[[1914年]](削除) に (削除ここまで)上演された[[宝塚歌劇]]の第1回公演の演目としても知られる。[[2009年]]には[[宇野功芳]]指揮、[[アンサンブル・フィオレッティ]]などの演奏によっておよそ100年ぶりに全曲演奏(削除) の (削除ここまで)[[コンパクトディスク|CD]]が発売された。
'''ドンブラコ'''は、[[1912年]](明治45)1月(追記) 29日 (追記ここまで)に出版・発表された[[桃太郎]]をモチーフにした[[北村季晴]]作詞・作曲の[[歌劇]]。出版された楽譜における正式な名称は『オトギ歌劇ドンブラコ(桃太郎)』(表紙)もしくは『御伽歌劇ドンブラコ(桃太郎)』(楽譜標題)、英語標題は『Children's Operetta DOM(追記) - (追記ここまで)BRAKO』<ref>[http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?tpl_wid=WBPD120&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=1&tpl_hit_num=1&tpl_toc_word=&tpl_jp_num=40072880&tpl_vol_num=&JP_NUM=40072880&VOL_NUM=00000&KOMA=&tpl_search_kind=1&tpl_keyword=&tpl_s_title=&tpl_s_title_mode=BI&tpl_s_title_oper=AND&tpl_s_author=&tpl_s_author_mode=BI&tpl_s_author_oper=AND&tpl_s_published_place=&tpl_s_published_place_mode=ZI&tpl_s_published_place_oper=AND&tpl_s_publisher=&tpl_s_publisher_mode=ZI&tpl_s_publisher_oper=AND&tpl_s_nengou=AD&tpl_s_published_year_from=&tpl_s_published_year_to=&tpl_s_ndc=&tpl_s_ndc_mode=ZI&tpl_s_heading=&tpl_s_heading_mode=ZI&tpl_s_heading_oper=AND&tpl_s_jp_num=40072880&tpl_s_toc=&tpl_s_toc_oper=AND&tpl_item_oper=AND&tpl_sort_key=TITLE&tpl_sort_order=ASC&tpl_list_num=20&tpl_end_of_data= 北村季晴(成於) 『オトギ歌劇ドンブラコ(桃太郎)』 (追記) 合資会社 (追記ここまで)共益商社(追記) 書店 (追記ここまで) 1912年(明治45)1月29日]--[[国立国会図書館]]近代デジタルライブラリー</ref>。
出版(追記) された (追記ここまで)(追記) の5月 (追記ここまで)(追記) は (追記ここまで)北村夫妻によって(追記) [[歌舞伎座]]で催された音楽会で (追記ここまで)披露され、(追記) 翌[[1913年]](大正2)8月には北村夫妻と (追記ここまで)[[帝国劇場]]歌劇部員(追記) および洋 (追記ここまで)楽部員によるレコード(追記) が (追記ここまで)発売された。(追記) さらにそ (追記ここまで)(追記) 翌 (追記ここまで)年の[[1914年]](追記) (大正3)4月より (追記ここまで)上演された[[宝塚歌劇]]の第1回公演の演目としても知られ(追記) てい (追記ここまで)る。[[2009年]](追記) 5月 (追記ここまで)には[[宇野功芳]]指揮、[[アンサンブル・フィオレッティ]]などの演奏によっておよそ100年ぶりに全曲(追記) を忠実に再現 (追記ここまで)演奏(追記) した (追記ここまで)[[コンパクトディスク|CD]]が発売された。


==曲の概要==
==曲の概要==
全5場。このうち第四場は[[活弁]]のみで、作曲者により削除可と指定されている。
全5場。このうち第四場は[[活弁]]のみで、作曲者により削除可と指定されてい(追記) る。音楽は北村のオリジナル曲の間に「[[ひらいたひらいた]]」、「[[かごめかごめ]]」、「[[通りゃんせ]]」、「霞か雲か」など、子供になじみの深い[[童歌|わらべ歌]]や[[唱歌]]が多く取り入れられ、最後は「[[君が代]]」を「登場者も聴衆も一同にて合唱」して終わ (追記ここまで)る。


===編成===
===編成===
17行目: 19行目:
*第四場 鬼が島城内の場
*第四場 鬼が島城内の場
*第五場 桃太郎故郷の場(凱旋歓迎の段)
*第五場 桃太郎故郷の場(凱旋歓迎の段)

==初演とレコード発売==
初演は、楽譜出版と同年の[[1912年]]5月5〜6日に東京の[[歌舞伎座]]で催された「東京連合大音楽会」での北村季晴と初子夫人によるものである。二日間にわたる音楽会は、第一部の洋楽と第二部の邦楽との二部構成になっており、北村夫妻の歌劇は第二部の邦楽として演じられた。その際の演奏形式やその他の伴奏などの詳細は不明ながら、芝居仕立てではなく演奏のみであったらしいと言われている。なお、第一部では[[東京音楽学校]]の外国人教授らや、柴田環([[三浦環]])、[[澤田柳吉]]、東京オーケストラ団などが出演し、北村夫妻が出演した第二部の邦楽の部では、他に[[箏|箏曲]]の[[今井慶松]]と尺八の[[荒木古童]]による『三曲 松竹梅』、3代目[[常磐津松尾太夫]]と2代目[[常磐津文字兵衛]]ほかによる『[[常磐津節|常盤津]] 梅川忠兵衛』、5代目[[富士田音蔵]]の[[長唄]]、[[清元延寿太夫]](5代目)の[[清元節]]、尾上菊五郎、坂東三津五郎、藤間政弥の舞踊ほか、錚々たる面々が出演していた<ref name="大西2006">大西秀紀 「SPレコードで辿る初期宝塚少女歌劇―ドンブラコを起点として―」 館報池田文庫 No.28: p.15-17. 2006年4月</ref>。

この音楽会での初演は好評を得たとされ<ref>増井啓二 『日本オペラ史〜1952』 昭和音楽大学オペラ研究所編 水曜社 2003年(p.128) ISBN 9784880651149</ref>、翌1913年8月には、北村夫妻と[[帝国劇場]]の歌劇部員・音楽部員によるレコードが[[コロムビアミュージックエンタテインメント|日本蓄音器商会]](日畜)のアメリカンレーベルで下記の内容で発売され、後にニッポノホンレーベルでも再販された。レコード10面の演奏時間はおよそ30分弱。ちなみにこのレコードは[[寺田寅彦]]がわが子に最初に買い与えたレコードとしても知られるという<ref name="大西2006"/>。

*『お伽歌劇 ドンブラコ(桃太郎)』
**演奏:北村季晴・初子、帝国劇場オペラ・オーケストラ部員
**レーベル:アメリカン 2386-2395(5枚10面)
**定価:7円50銭(5枚揃い)


== 宝塚での上演==
== 宝塚での上演==
初演2年後の[[1914年]](大正3年)、宝塚少女歌劇の第1回公演として[[4月1日]]から[[5月30日]]にかけて上演された。これは[[宝塚新温泉]]で開催され(削除) てい (削除ここまで)た婚礼博覧会の余興の一つとして、同温泉内のパラダイス劇場で行われたものである。同時上演は『浮れ達磨』([[吉丸一昌]]作詞・[[本居長世]]作曲で原作名は『うかれ達磨』)とダンス『胡蝶』(宝塚少女歌劇団"作"で『胡蝶の舞』とも言う)であった。このうち『浮れ達磨』は[[白木屋 (デパート)|白木屋]]少女音楽隊のために作られたもので、東京日本橋の白木屋余興場で[[1912年]]に上演されて人気を博した和風オペレッタである。
(追記) 北村夫妻の (追記ここまで)初演(追記) から (追記ここまで)2年後の[[1914年]](大正3年)(追記) に (追記ここまで)、宝塚少女歌劇の第1回公演として[[4月1日]]から[[5月30日]]にかけて(追記) 入場無料で (追記ここまで)上演された。これは[[宝塚新温泉]]で(追記) 集客のために (追記ここまで)開催された婚礼博覧会の余興の一つとして、同温泉内のパラダイス劇場で行われたものである。同時上演は『浮れ達磨』([[吉丸一昌]]作詞・[[本居長世]]作曲で原作名は『うかれ達磨』)とダンス『胡蝶』(宝塚少女歌劇団"作"で『胡蝶の舞』とも言う)(追記) 、管弦合奏、および合唱 (追記ここまで)であった。このうち『浮れ達磨』は[[白木屋 (デパート)|白木屋]]少女音楽隊のために作られたもので、東京日本橋の白木屋余興場で[[1912年]](追記) 4月 (追記ここまで)に上演されて人気を博した和風オペレッタである(追記) 。『胡蝶』の方は[[松居松葉]]作詞、ウェルクマイスター作曲で、[[1911年]]9月に[[帝国劇場|帝劇]]で[[三浦環|柴田環]]、[[藤間房子]]、[[音羽かね子]]によって演じられた『胡蝶の舞』を少女向きにアレンジしたものという<ref name="五十年史">宝塚歌劇団 『宝塚歌劇五十年史』 宝塚歌劇団 1964年</ref> (追記ここまで)

パラダイス劇場は、元はパラダイスと称する建物内に設けられた「室内水泳場」(室内プール)であったが、客足が伸びなかったため、[[プール]]部分を全面床に張り替え、脱衣所を[[舞台]]に改造して小劇場に仕上げたものである。ここで前年(追記) 7月 (追記ここまで)に募集(追記) し、 (追記ここまで)養成(追記) してき (追記ここまで)(追記) 宝塚 (追記ここまで)第1期生の少女たち(追記) によって演じられた。初めての舞台は大切な上にも大切だからとのことで、3 (追記ここまで)(追記) 20 (追記ここまで)日から(追記) 31 (追記ここまで)日に至る(追記) 12 (追記ここまで)日間を、(追記) 本番通りの扮装で (追記ここまで)連日稽古に費やしたとい(追記) う。そし (追記ここまで)(追記) 「 (追記ここまで)愈々四月一日、歌劇団全員の異常なる緊張裡に処女公演の幕を開け」、「その結果は幸いに青年士女の称賛を博して、世間から豫想外に歓迎せられた」(追記) という (追記ここまで)<ref>「 」内は吉岡重三郎(編) 『寶塚少女歌劇二十年史』寶塚少女歌劇団 1933年 (p.(追記) 5) (追記ここまで)からの引用</ref>。


しかし『ドンブラコ』は独唱あり、重唱あり、合唱ありで、もともと唱歌隊として募集した歌好きの少女たちにとっても楽な演目ではなかった上に、楽譜やレコードが既に世に出ていたため、音楽好きの客や学校の教師などには楽譜持参で来るものもあり、間違いなども誤魔化すことができなかったという。そこで出来の悪い日には舞台が終わった後にもしばしば居残って稽古を続けるなど、大変な努力をしていた。コーラスも舞台の陰からでは聞こえないとして、衣装を着けたままオーケストラボックスに入って歌うなど、少女たちは舞台の上と下とを掛け持ちで奮闘した。また初期のことでオーケストラ要員もいないため、伴奏は音楽指導の[[高木和夫]]がピアノ一台で何から何までやりぬいていたという。その甲斐もあってか、「可愛い」「いや味がない」「美人がいる」など日ごとに評判を呼び、先のとおり宝塚少女歌劇は予想外の歓迎を受けての門出となった<ref name="五十年史"/>。
パラダイス劇場は、元はパラダイスと称する建物内に設けられた「室内水泳場」(室内プール)であったが、客足が伸びなかったため、[[プール]]部分を全面床に張り替え、脱衣所を[[舞台]]に改造して小劇場に仕上げたものである。ここで前年に募集(削除) されて (削除ここまで)養成(削除) され (削除ここまで)た第1期生の少女たち(削除) が「三 (削除ここまで)(削除) 二十 (削除ここまで)日から(削除) 三十一 (削除ここまで)日に至る(削除) 十二 (削除ここまで)日間を、連日稽古に費やしたとい(削除) ふほどの慎重さをもっ (削除ここまで)(削除) 、 (削除ここまで)愈々四月一日、歌劇団全員の異常なる緊張裡に処女公演の幕を開け」、「その結果は幸いに青年士女の称賛を博して、世間から豫想外に歓迎せられた」<ref>「 」内は吉岡重三郎(編) 『寶塚少女歌劇二十年史』寶塚少女歌劇団 1933年 (p.(削除) 5-6) (削除ここまで)からの引用(削除) 。 (削除ここまで)</ref>(削除) という (削除ここまで)


=== (削除) 出演 (削除ここまで) ===
=== (追記) キャスト (追記ここまで) ===
*[[振付師|振付]]...[[久松一声]]
*音楽指揮...高木和夫
*桃太郎...[[高峰妙子]](14歳)
*桃太郎...[[高峰妙子]](14歳)
*爺さん...[[外山咲子]](15歳)
*爺さん...[[外山咲子]](15歳)
33行目: 49行目:
*共演者...[[秋田衣子]]・[[大江文子]]・[[逢坂関子]]・[[小倉みゆき]]・[[筑紫峯子]]・[[松浦もしほ]]・[[三室錦子]]・[[三好小夜子]]・[[若菜君子]]
*共演者...[[秋田衣子]]・[[大江文子]]・[[逢坂関子]]・[[小倉みゆき]]・[[筑紫峯子]]・[[松浦もしほ]]・[[三室錦子]]・[[三好小夜子]]・[[若菜君子]]


== CD ==
== (追記) 100年ぶりの (追記ここまで)CD ==
作品発表から約100年後の[[2009年]]5月27日に[[キングインターナショナル|キング・インターナショナル]]から全曲入りCDが初めてリリースされた。
作品発表から約100年後の[[2009年]]5月27日に[[キングインターナショナル|キング・インターナショナル]]から全曲入りCDが初めてリリースされた(追記) <ref>桃太郎のオペラ、100年経てCDに 明治生まれ「ドンブラコ」--[[読売新聞]] 2009年1月17日夕刊 [http://www.yomiuri.co.jp/junior/articles_2009/090117.htm ウェブ版]</ref>。ジャケットはオリジナルの楽譜の表紙をモチーフにしている。指揮の宇野は独唱の木遣りも担当している (追記ここまで)
*『北村季晴:おとぎ歌劇「ドンブラコ」(全曲)』<ref>[http://www.towerrecords.co.jp/sitemap/CSfCardMain.jsp?GOODS_NO=1916386&GOODS_SORT_CD=102 北村季晴: おとぎ歌劇「ドンブラコ」(全曲)]--[[タワーレコード]]</ref>
*『北村季晴:おとぎ歌劇「ドンブラコ」(全曲)』<ref>[http://www.towerrecords.co.jp/sitemap/CSfCardMain.jsp?GOODS_NO=1916386&GOODS_SORT_CD=102 北村季晴: おとぎ歌劇「ドンブラコ」(全曲)]--[[タワーレコード]]</ref>
:*録音:2008年1月6日 [[川口総合文化センター]](リリアホール)(51分)
:*録音:2008年1月6日 [[川口総合文化センター]](リリアホール)(51分)
55行目: 71行目:
[[Category:オペラ作品]]
[[Category:オペラ作品]]
[[Category:宝塚歌劇団の作品]]
[[Category:宝塚歌劇団の作品]]
[[Category:1912年]]
[[Category:1914年]]
[[Category:1914年]]

2009年6月6日 (土) 14:06時点における版

曖昧さ回避 この項目では、宝塚歌劇団の作品について説明しています。山下文吾による漫画作品については「どんぶらこ」をご覧ください。
ドンブラコ・第三場
(1914年・宝塚少女歌劇団の第1回公演)

ドンブラコは、1912年(明治45)1月29日に出版・発表された桃太郎をモチーフにした北村季晴作詞・作曲の歌劇。出版された楽譜における正式な名称は『オトギ歌劇ドンブラコ(桃太郎)』(表紙)もしくは『御伽歌劇ドンブラコ(桃太郎)』(楽譜標題)、英語標題は『Children's Operetta DOM-BRAKO』[1]

出版された年の5月には北村夫妻によって歌舞伎座で催された音楽会で披露され、翌1913年(大正2)8月には北村夫妻と帝国劇場歌劇部員および洋楽部員によるレコードが発売された。さらにその翌年の1914年(大正3)4月より上演された宝塚歌劇の第1回公演の演目としても知られている。2009年5月には宇野功芳指揮、アンサンブル・フィオレッティなどの演奏によっておよそ100年ぶりに全曲を忠実に再現演奏したCDが発売された。

曲の概要

全5場。このうち第四場は活弁のみで、作曲者により削除可と指定されている。音楽は北村のオリジナル曲の間に「ひらいたひらいた」、「かごめかごめ」、「通りゃんせ」、「霞か雲か」など、子供になじみの深いわらべ歌唱歌が多く取り入れられ、最後は「君が代」を「登場者も聴衆も一同にて合唱」して終わる。

編成

ピアノオルガンホルン(フレンチホルン)、合唱ソプラノ2(桃太郎、婆/雉子山拳蔵(雉子))、アルト2(爺/真白野猿之助(猿)、犬野腕三郎(犬))、木遣り。第二ソプラノは婆と雉子、第一アルトは爺と猿の二役を演じる。

舞台構成

  • 第一場
    • 第一段 桃太郎生ひ立ちの段
    • 第二段 桃太郎門出の段
  • 第二場 出征途上の場(犬猿雉勢揃ひの段)
  • 第三場 鬼が島海上の場(鬼が城討ち入りの段)
  • 第四場 鬼が島城内の場
  • 第五場 桃太郎故郷の場(凱旋歓迎の段)

初演とレコード発売

初演は、楽譜出版と同年の1912年5月5〜6日に東京の歌舞伎座で催された「東京連合大音楽会」での北村季晴と初子夫人によるものである。二日間にわたる音楽会は、第一部の洋楽と第二部の邦楽との二部構成になっており、北村夫妻の歌劇は第二部の邦楽として演じられた。その際の演奏形式やその他の伴奏などの詳細は不明ながら、芝居仕立てではなく演奏のみであったらしいと言われている。なお、第一部では東京音楽学校の外国人教授らや、柴田環(三浦環)、澤田柳吉、東京オーケストラ団などが出演し、北村夫妻が出演した第二部の邦楽の部では、他に箏曲今井慶松と尺八の荒木古童による『三曲 松竹梅』、3代目常磐津松尾太夫と2代目常磐津文字兵衛ほかによる『常盤津 梅川忠兵衛』、5代目富士田音蔵長唄清元延寿太夫(5代目)の清元節、尾上菊五郎、坂東三津五郎、藤間政弥の舞踊ほか、錚々たる面々が出演していた[2]

この音楽会での初演は好評を得たとされ[3] 、翌1913年8月には、北村夫妻と帝国劇場の歌劇部員・音楽部員によるレコードが日本蓄音器商会(日畜)のアメリカンレーベルで下記の内容で発売され、後にニッポノホンレーベルでも再販された。レコード10面の演奏時間はおよそ30分弱。ちなみにこのレコードは寺田寅彦がわが子に最初に買い与えたレコードとしても知られるという[2]

  • 『お伽歌劇 ドンブラコ(桃太郎)』
    • 演奏:北村季晴・初子、帝国劇場オペラ・オーケストラ部員
    • レーベル:アメリカン 2386-2395(5枚10面)
    • 定価:7円50銭(5枚揃い)

宝塚での上演

北村夫妻の初演から2年後の1914年(大正3年)に、宝塚少女歌劇の第1回公演として4月1日から5月30日にかけて入場無料で上演された。これは宝塚新温泉で集客のために開催された婚礼博覧会の余興の一つとして、同温泉内のパラダイス劇場で行われたものである。同時上演は『浮れ達磨』(吉丸一昌作詞・本居長世作曲で原作名は『うかれ達磨』)とダンス『胡蝶』(宝塚少女歌劇団"作"で『胡蝶の舞』とも言う)、管弦合奏、および合唱であった。このうち『浮れ達磨』は白木屋少女音楽隊のために作られたもので、東京日本橋の白木屋余興場で1912年4月に上演されて人気を博した和風オペレッタである。『胡蝶』の方は松居松葉作詞、ウェルクマイスター作曲で、1911年9月に帝劇柴田環藤間房子音羽かね子によって演じられた『胡蝶の舞』を少女向きにアレンジしたものという[4]

パラダイス劇場は、元はパラダイスと称する建物内に設けられた「室内水泳場」(室内プール)であったが、客足が伸びなかったため、プール部分を全面床に張り替え、脱衣所を舞台に改造して小劇場に仕上げたものである。ここで前年7月に募集し、養成してきた宝塚第1期生の少女たちによって演じられた。初めての舞台は大切な上にも大切だからとのことで、3月20日から31日に至る12日間を、本番通りの扮装で連日稽古に費やしたという。そして「愈々四月一日、歌劇団全員の異常なる緊張裡に処女公演の幕を開け」、「その結果は幸いに青年士女の称賛を博して、世間から豫想外に歓迎せられた」という[5]

しかし『ドンブラコ』は独唱あり、重唱あり、合唱ありで、もともと唱歌隊として募集した歌好きの少女たちにとっても楽な演目ではなかった上に、楽譜やレコードが既に世に出ていたため、音楽好きの客や学校の教師などには楽譜持参で来るものもあり、間違いなども誤魔化すことができなかったという。そこで出来の悪い日には舞台が終わった後にもしばしば居残って稽古を続けるなど、大変な努力をしていた。コーラスも舞台の陰からでは聞こえないとして、衣装を着けたままオーケストラボックスに入って歌うなど、少女たちは舞台の上と下とを掛け持ちで奮闘した。また初期のことでオーケストラ要員もいないため、伴奏は音楽指導の高木和夫がピアノ一台で何から何までやりぬいていたという。その甲斐もあってか、「可愛い」「いや味がない」「美人がいる」など日ごとに評判を呼び、先のとおり宝塚少女歌劇は予想外の歓迎を受けての門出となった[4]

キャスト

100年ぶりのCD

作品発表から約100年後の2009年5月27日にキング・インターナショナルから全曲入りCDが初めてリリースされた[7] 。ジャケットはオリジナルの楽譜の表紙をモチーフにしている。指揮の宇野は独唱の木遣りも担当している。

  • 『北村季晴:おとぎ歌劇「ドンブラコ」(全曲)』[8]
  • 桃太郎 ...岡島由起子(ソプラノ)
  • 婆/雉子山拳蔵 ...森康子(ソプラノ)
  • 爺/真白野猿之助 ...平木郁子(アルト)
  • 犬野腕三郎 ...杉林良美(アルト)

脚注

  1. ^ 北村季晴(成於) 『オトギ歌劇ドンブラコ(桃太郎)』 合資会社共益商社書店 1912年(明治45)1月29日--国立国会図書館近代デジタルライブラリー
  2. ^ a b 大西秀紀 「SPレコードで辿る初期宝塚少女歌劇―ドンブラコを起点として―」 館報池田文庫 No.28: p.15-17. 2006年4月
  3. ^ 増井啓二 『日本オペラ史〜1952』 昭和音楽大学オペラ研究所編 水曜社 2003年(p.128) ISBN 9784880651149
  4. ^ a b 宝塚歌劇団 『宝塚歌劇五十年史』 宝塚歌劇団 1964年
  5. ^ 「 」内は吉岡重三郎(編) 『寶塚少女歌劇二十年史』寶塚少女歌劇団 1933年 (p.5)からの引用
  6. ^ 桃太郎〜村人の音頭取りまでの配役と当時の年齢とは大正3年4月1日付け大阪毎日新聞「婚礼博と少女歌劇」の記事による。
  7. ^ 桃太郎のオペラ、100年経てCDに 明治生まれ「ドンブラコ」--読売新聞 2009年1月17日夕刊 ウェブ版
  8. ^ 北村季晴: おとぎ歌劇「ドンブラコ」(全曲)--タワーレコード

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /