コンテンツにスキップ
Wikipedia

「馬野峠」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
16行目: 16行目:
造られた(旧長野トンネル)ルート 旧長野トンネルは中で崩れていて通行不可 昭和14年に造られた(長野トンネル)ルート
造られた(旧長野トンネル)ルート 旧長野トンネルは中で崩れていて通行不可 昭和14年に造られた(長野トンネル)ルート


通行禁止中 平成20年に造られた(新長野トンネル)ルート 現在の国道163号線
(追記) 長野トンネル内 (追記ここまで)通行禁止中 平成20年に造られた(新長野トンネル)ルート 現在の国道163号線


== 近くの名所旧跡 観光地 ==
== 近くの名所旧跡 観光地 ==

2009年6月2日 (火) 02:51時点における版

馬野峠(ばのとうげ)は三重県 津市伊賀市の間にある国道163号の旧道であり、急勾配・ 急カーブなど危険箇所が多く存在する交通の難所のため改良が望まれていたが、新長野トンネル (1,966m) 開通により、解消された。

歴史

飛鳥奈良時代に斎王が 御所がら斎王宮殿に行く為に作られた斎王街道の途中にある

鎌倉時代 長野工藤氏の勢力が増すにつれて 長野峠と呼ぶのが一般的になっている。

徳川家康本能寺の変が起こったとき 堺から長野峠を越えて(伊賀越え)岡崎に帰城したという説がある。

元禄2年(1689) 俳人松尾芭蕉は伊勢神宮参拝を終え伊賀に帰る途中 峠の茶屋(犬塚茶屋)に立ち寄り 俳句を読んでいる。

初しぐれ 猿も小蓑をほしげ也 この名句は峠から伊賀よりの(500m) 猿蓑塚に芭蕉句碑として残っている。

長野峠には四つのルートがある。 飛鳥奈良時代から明治時代までの旧峠のルート 通行可能(車は不可) 明治の始め1885年に

造られた(旧長野トンネル)ルート 旧長野トンネルは中で崩れていて通行不可 昭和14年に造られた(長野トンネル)ルート

長野トンネル内通行禁止中 平成20年に造られた(新長野トンネル)ルート 現在の国道163号線

近くの名所旧跡 観光地

義犬伝説発祥地 犬塚 青山高原 経が峰 大山田温泉さるびの 大山田新大仏寺 馬野渓谷


こぼれ話

馬野と長野 非常によく漢字がにている。 峠近くに馬野川と長野川 2つの川がある。大手地図メーカーは名前がよく似ている

ので最近まで記載を取り違えていた。[要出典 ]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

関連項目

日本の峠一覧


AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /