「持統天皇」の版間の差分
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2009年5月6日 (水) 14:34時点における版
持統天皇 | |
---|---|
時代 | 飛鳥時代 |
先代 | 天武天皇 |
次代 | 文武天皇 |
誕生 | 645年 |
崩御 | 703年 1月13日 |
陵所 | 檜隈大内陵・野口王墓古墳 |
別称 |
大倭根子天之廣野日女尊 高天原廣野姫天皇 |
父親 | 天智天皇 |
母親 | 蘇我遠智娘 |
子女 | 草壁皇子 |
皇居 | 飛鳥浄御原宮・藤原宮 |
女帝 | |
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持統天皇(じとうてんのう・大化元年(645年) - 大宝2年12月22日(703年 1月13日))は、日本の第41代天皇。女帝である(称制:朱鳥元年9月9日(686年 10月1日)、在位:持統天皇4年1月1日(690年 2月14日) - 持統天皇11年8月1日(697年 8月22日))。名は鸕野讚良(うののさらら、またはうののささら)。和風諡号は2つあり、『続日本紀』の大宝3年(703年)12月17日の火葬の際の「大倭根子天之廣野日女尊」(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)と、『日本書紀』の養老4年(720年)に代々の天皇とともに諡された「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)がある。(なお『日本書紀』において「高天原」が記述されるのは冒頭の第4の一書とこの箇所のみである。)漢風諡号、持統天皇は代々の天皇とともに淡海三船により、熟語の「継体持統」から持統と名付けられたとされる。
経歴
天智天皇の娘で、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘、遠智娘(おちのいらつめ)。同母姉の大田皇女とともに、父の同母弟である大海人皇子(のちの天武天皇)の妃となり、草壁皇子をもうけた。 天智天皇の晩年には、皇位継承をめぐって夫・大海人皇子と父・天智天皇の仲が悪化。大海人皇子は東宮(皇太子)を辞し、天智の死後は大和国 吉野に逃れた。持統はともに吉野へ落ち、壬申の乱まで吉野で過ごした。持統は、のち天皇に即位してからもたびたび吉野に遊んだ。
夫が即位するとその皇后となった。夫の没後は、姉(大田皇女)の皇子・大津皇子を謀反の嫌疑をかけて殺し、自分の息子である草壁皇子を皇太子としたが、草壁は即位する前に早世。数年の称制を経て、自身が女帝として690年、飛鳥浄御原宮で即位した。(『扶桑略記』に、「皇后朝に臨んで称制し 丁亥の歳をもって元年となす 四年に至って即位し 大和國高市郡明日香淨御原宮藤原宅に都す」とある)天武が、生前に皇后の病気平癒を祈願して造営を始めた大和国の薬師寺を完成させ、勅願寺とした。
694年には、かねてから造営していた藤原宮に遷都した。697年、草壁皇子の遺児、軽皇子を15歳で立太子させた。同年譲位し、自らは天皇を後見した。初めて、譲位後に太上天皇を名乗った。
血縁
系図
子孫
持統天皇の子は草壁皇子1人のみで、孫は珂瑠皇子(文武天皇)・氷高皇女(元正天皇)・吉備内親王の3名である。曾孫は文武天皇の子の首皇子(聖武天皇)・広成皇子・広世皇子、吉備内親王の子の膳夫王・葛木王・鉤取王・桑田王の7名である。玄孫は聖武天皇の子の阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)・基王・井上内親王・不破内親王・安積親王、桑田王の子の磯部王の5名で、来孫は井上内親王の子の酒人内親王・他戸親王、不破内親王の子の氷上志計志麻呂・氷上川継、磯部王の子の石見王の5名である。昆孫は酒人内親王の子で平城天皇の皇后となった朝原内親王ただ1人のみである。彼女は子を成さなかったためここで持統天皇の血統が途切れる事になる。
但し皇子の身分を剥奪された曾孫の広成皇子・広世皇子両皇子や、臣籍降下し高階氏の祖となった来孫の石見王(吉備内親王と長屋王の曾孫)など、歴史の闇の彼方へ姿を消すものの、彼らを通じ現在でも子孫がいると思われる。
万葉歌人
万葉歌人としても万葉集巻1雑歌28に藤原宮御宇天皇代(高天原廣野姫天皇 元年丁亥11年譲位軽太子尊号曰太上天皇)天皇御製歌として名を留めている。
- 「春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山」
この歌は小倉百人一首にも選ばれている。
- 「春すぎて夏來にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山」小倉百人一首
陵
陵は檜隈大内陵(奈良県 高市郡 明日香村大字野口)、野口王墓古墳。夫天武天皇との夫婦合葬墓である。大化2年に出された薄葬令により天皇としては初めて火葬された。この陵は古代の天皇陵としては珍しく、治定に間違いがないとされる。天武天皇とともに合葬され、持統天皇の遺骨は銀の骨壺に収められていた。しかし、1235年(文暦2)に盗掘にあった際に骨壺だけ奪い去られて遺骨は近くに遺棄されたという。
藤原定家の『明月記』に盗掘の顛末が記されている。また、盗掘の際に作成された『阿不幾乃山陵記』に石室の様子が書かれている。
持統天皇が登場する作品
漫画
- 里中満智子『天上の虹 持統天皇物語』
- 長岡良子『古代幻想ロマンシリーズ・眉月の誓』
小説
- 阿夫利 千恵『妖の女帝 持統天皇』
- 小石房子『鉄の女帝持統』
- 近藤精一郎『白鳳の女帝―持統天皇私伝』
- 三田 誠広『炎の女帝 持統天皇』
関連項目
外部リンク
在位年と西暦との対照表
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