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2009年4月16日 (木) 18:32時点における版
文室 綿麻呂(ふんや の わたまろ、天平神護元年(765年) - 弘仁14年4月24日(823年 6月6日))は、平安時代前期の征夷大将軍、公卿。三諸大原の長男。
略歴
歴戦の将軍であったことから平城上皇の信任を得ていた。そのため薬子の変では囚われの身となるが、鎮圧軍の坂上田村麻呂の助命嘆願もあり命を救われている。その後、田村麻呂とともに平城上皇の東国での再起計画を阻止した。乱後、その功績を認められ参議に任ぜられる。高位高官でありながら、田村麻呂に随行し、蝦夷征討に従う。田村麻呂の死後、その遺志を奉じて蝦夷征討の任にあたる。東北経営の礎を築いた名将といえる。
年表
- 天平神護元年(765) - 三諸大原の長男として誕生。
- 大同4年(809年) - 三山朝臣と改姓、ついで文室真人の姓を賜る。
- 弘仁元年(810年) - 薬子の変。平城上皇に従い捕縛され左衛士府に禁固されるが、坂上田村麻呂の助命嘆願により一命を助けられる。
- その後、田村麻呂とともに上皇の東国再起計画を阻止する。その功績により参議、大蔵卿、陸奥出羽按察使に任ぜられる。
- 弘仁2年(811年) - 陸奥出羽按察使征夷将軍に任ぜられ、爾薩体(「にさったい」あるいは「にさて」)、弊伊(へい)の2村の蝦夷を平定。
- 弘仁3年(812年) - 徳丹城を築城。
- 弘仁4年(813年) - 征夷大将軍に任ぜられる。
- 弘仁7年(816年) - 右近衛大将、兵部卿に任ぜられ、中納言に進んだ。
家族・一族
- 祖父 : 文室智努(ふんやのちぬ)別名 : 文室浄三。別字に「珍努」がある。
- 父 : 三諸大原
- 弟 : 文室秋津
- 弟 : 文室宮田麻呂
- 弟 : 文室海田麻呂
- 子 : 文室巻雄
- 子 : 文室氏雄
- 子 : 文室能雄
系譜
天武天皇 - 長親王 - 智努王 - 三諸大原 - 文室綿麻呂 - 巻雄 - 茂典 - (以後定かならず)
関連人物
関連項目