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'''本田技研工業'''(ほんだぎけんこうぎょう)は[[日本]]を代表する機械工業メーカーのひとつ。主に'''ホンダ'''のブランドで[[オートバイ]]と[[自動車]]を製造している。創業者の[[本田宗一郎]]は経営者・技術者として著名。本社は[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[南青山]]
'''本田技研工業'''(ほんだぎけんこうぎょう)は[[日本]]を代表する機械工業メーカーのひとつ。主に'''ホンダ'''のブランドで[[オートバイ]]と[[自動車]](追記) 、汎用製品 (追記ここまで)を製造している。創業者の[[本田宗一郎]]は経営者・技術者として著名。本社は[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[南青山]]
==概要==
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===沿革===
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また、[[2003年]]末には、宗一郎氏が夢見ていた[[航空機]]業界への参入への第一歩となる試作機「Honda jet」の初飛行にも成功している。さらに、[[2004年]][[2月]][[16日]]には小型ジェット機用エンジンの事業化で、[[GE]]との提携も発表。本格的に[[航空機]]ビジネスが動き出した。
また、[[2003年]]末には、宗一郎氏が夢見ていた[[航空機]]業界への参入への第一歩となる試作機「Honda jet」の初飛行にも成功している。さらに、[[2004年]][[2月]][[16日]]には小型ジェット機用エンジンの事業化で、[[GE]]との提携も発表。本格的に[[航空機]]ビジネスが動き出した。


===(削除) 商品展開 (削除ここまで)===
===(追記) 業務 (追記ここまで)===
主とした業務は、[[二輪車]]、[[四輪車]]、汎用製品の製造、販売である。二輪車に関しては世界第一位のメーカであり、世界中のほとんど地域で販売・運用されている。四輪車に関しては、2004年3月現在国内第三位のメーカである。北米では[[大衆車]]ブランドのHONDAと高級車ブランドのACURAで展開しており、大衆車で大きなシェアを占める。北米における売上げは、大きな収入源となっている。北米含む海外では、国内では販売していない[[ATV]]や[[船外機]]、[[ジェットスキー]]なども取り扱っている。
====二輪====
自転車用原動機を製作したことが社業の始まりとなり、ヒットを記録。その後、原動機付自転車の分野で[[カブ|スーパーカブ50]]という空前絶後の大ヒット作を生み、世界のあらゆる地域で使用された。これによって、「スーパーカブのホンダ」と知名度を大いに上げ、国際二輪業界において日本のメーカが覇権を握る下地となった。<br>
社の業務として「モータースポーツの振興」を挙げるだけあって、スポーツモデルにも力を入れており、二輪[[ロードレース]]の世界最高峰カテゴリである[[ロードレース世界選手権]](WGP)やプロダクションレースである[[スーパーバイク世界選手権]](SBK)での実績をフィードバックしたスポーツモデルが好評である。また、公道走行可能なバイクだけでなく、[[ロードレーサー]]や[[モトクロッサー]]などのコンペティションモデルの市販とサポートにも熱心である。<br>
ほとんどのジャンル、ほとんどの排気量において優秀なモデルを送り出し、世界第一位の二輪メーカの座を盤石のものとしている。

====四輪====
従来スポーティーなモデルを得意とし、またイメージリーダーとしてきたが、[[オデッセイ]]を始めとする一連の"ピープルムーバーシリーズ"の発売を境に[[RV]]にも力を入れている。<br>
特にオデッセイは今の日本のミニバンブームのパイオニアと言える存在で、乗用車並の操縦安定性と運転の楽しさを持ち、登場時より3代目となる現在までヒットを続けている。<br>
構造的にスポーツモデルに適さないとされていた[[FF]]車で、目を見張るほどのスポーツ性を有したインテグラやシビックを送り出した。また、[[アルミニウム]]を電気分解する際の莫大な電力消費を補うために、工場敷地内に[[発電所]]を備えた栃木製作所高根沢工場を新規に建設して送り込んだ[[NSX]]シリーズは、オールアルミボディを備え、国産[[スポーツカー]]の最高峰として君臨している。


===[[モータースポーツ]]への取り組み===
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[[燃料電池]]車の[[FCX]]の開発、[[ハイブリッドカー|ハイブリッド車]]の[[インサイト(自動車:ホンダ)|インサイト]]・[[シビック|シビックハイブリッド]]の市販など環境を考えた製品開発にも取り組んでいる。また、2004年にはハイブリッドLクラスミニバン、通称グランドワゴンの投入が決定している。


===商品展開===
====二輪====
自転車用原動機を製作したことが社業の始まりとなり、ヒットを記録。その後、原動機付自転車の分野で[[カブ|スーパーカブ50]]という空前絶後の大ヒット作を生み、世界のあらゆる地域で使用された。これによって、「スーパーカブのホンダ」と知名度を大いに上げ、国際二輪業界において日本のメーカが覇権を握る下地となった。<br>
社の業務として「モータースポーツの振興」を挙げるだけあって、スポーツモデルにも力を入れており、二輪[[ロードレース]]の世界最高峰カテゴリである[[ロードレース世界選手権]](WGP)やプロダクションレースである[[スーパーバイク世界選手権]](SBK)での実績をフィードバックしたスポーツモデルが好評である。また、公道走行可能なバイクだけでなく、[[ロードレーサー]]や[[モトクロッサー]]などのコンペティションモデルの市販とサポートにも熱心である。<br>
ほとんどのジャンル、ほとんどの排気量において優秀なモデルを送り出し、世界第一位の二輪メーカの座を盤石のものとしている。

====四輪====
従来スポーティーなモデルを得意とし、またイメージリーダーとしてきたが、[[オデッセイ]]を始めとする一連の"ピープルムーバーシリーズ"の発売を境に[[RV]]にも力を入れている。<br>
特にオデッセイは今の日本のミニバンブームのパイオニアと言える存在で、乗用車並の操縦安定性と運転の楽しさを持ち、登場時より3代目となる現在までヒットを続けている。<br>
構造的にスポーツモデルに適さないとされていた[[FF]]車で、目を見張るほどのスポーツ性を有したインテグラやシビックを送り出した。また、[[アルミニウム]]を電気分解する際の莫大な電力消費を補うために、工場敷地内に[[発電所]]を備えた栃木製作所高根沢工場を新規に建設して送り込んだ[[NSX]]シリーズは、オールアルミボディを備え、国産[[スポーツカー]]の最高峰として君臨している。
コンパクトカーの分野では、2003年に[[フィット]]が[[トヨタ自動車|トヨタ]]の[[カローラ]]を販売台数で一時追い抜くなど躍進したが、その後販売が低迷してしまっている。
==年表==
==年表==
===社史===
===社史===

2004年3月5日 (金) 22:32時点における版

本田技研工業(ほんだぎけんこうぎょう)は日本を代表する機械工業メーカーのひとつ。主にホンダのブランドでオートバイ自動車、汎用製品を製造している。創業者の本田宗一郎は経営者・技術者として著名。本社は東京都 港区 南青山

概要

沿革

1946年静岡県 浜松市山下町(後の山下工場)に本田技術研究所として開設され、内燃機関および各種工作機械の製造、ならびに研究を開始。1947年にはA型自転車用補助動力エンジンを開発し、ヒット商品となる。

1948年に株式会社(本田技研工業株式会社)として設立。

1963年にはスポーツトラックとも呼ばれるT360(日本初ツインカムエンジン搭載)で四輪自動車業界に参入した。

その後もCVCCVTECに代表される高い技術開発力で「技術のホンダ」に成長した。
自動車・二輪車だけでなく、アシモに代表される二足歩行ロボットの開発も行っている(このロボットは、ニューヨーク証券取引所の始業ベルを人間以外で初めて鳴らしたという快挙も成し遂げた)。
また、2003年末には、宗一郎氏が夢見ていた航空機業界への参入への第一歩となる試作機「Honda jet」の初飛行にも成功している。さらに、2004年 2月 16日には小型ジェット機用エンジンの事業化で、GEとの提携も発表。本格的に航空機ビジネスが動き出した。

業務

主とした業務は、二輪車四輪車、汎用製品の製造、販売である。二輪車に関しては世界第一位のメーカであり、世界中のほとんど地域で販売・運用されている。四輪車に関しては、2004年3月現在国内第三位のメーカである。北米では大衆車ブランドのHONDAと高級車ブランドのACURAで展開しており、大衆車で大きなシェアを占める。北米における売上げは、大きな収入源となっている。北米含む海外では、国内では販売していないATV船外機ジェットスキーなども取り扱っている。

モータースポーツへの取り組み

設立翌年1949年には日米対抗レースにC型モーターサイクルで出場し、優勝するなど当初よりモータースポーツへの志の高い会社とも言える。19??年に、ホンダのマシンを駆った高橋国光によりWGPにおいて日本人初の優勝を飾る。 また1961年F1参戦を発表。当初エンジンサプライヤーとしての参戦予定であったが予定していたコンストラクターのキャンセルによりシャーシを含めての活動となる。1980年代の国内F1ブームでは、当時人気を博したアイルトン・セナと蜜月の関係を結び、「F1のホンダ」として大いに知名度を高めた。また1980年代後半は、ホンダのエンジンが最も高性能であり、ホンダのF1エンジン無くしては総合優勝を狙えない状況であった。
社業としてのモータースポーツだけでなく、ユーザにもモータースポーツを楽しんでもらおうと、シビックインテグラによるワンメイクレースを開催している。2004年は2004年 ベルノエキサイティングカップ インテグラワンメイクレースが各地方シリーズとして開催される予定である。

環境への取り組み

1971年には低公害技術であるCVCC発表。翌年から翌々年にかけてトヨタフォードクライスラーいすゞに技術供与。
燃料電池車のFCXの開発、ハイブリッド車インサイトシビックハイブリッドの市販など環境を考えた製品開発にも取り組んでいる。また、2004年にはハイブリッドLクラスミニバン、通称グランドワゴンの投入が決定している。

商品展開

二輪

自転車用原動機を製作したことが社業の始まりとなり、ヒットを記録。その後、原動機付自転車の分野でスーパーカブ50という空前絶後の大ヒット作を生み、世界のあらゆる地域で使用された。これによって、「スーパーカブのホンダ」と知名度を大いに上げ、国際二輪業界において日本のメーカが覇権を握る下地となった。
社の業務として「モータースポーツの振興」を挙げるだけあって、スポーツモデルにも力を入れており、二輪ロードレースの世界最高峰カテゴリであるロードレース世界選手権(WGP)やプロダクションレースであるスーパーバイク世界選手権(SBK)での実績をフィードバックしたスポーツモデルが好評である。また、公道走行可能なバイクだけでなく、ロードレーサーモトクロッサーなどのコンペティションモデルの市販とサポートにも熱心である。
ほとんどのジャンル、ほとんどの排気量において優秀なモデルを送り出し、世界第一位の二輪メーカの座を盤石のものとしている。

四輪

従来スポーティーなモデルを得意とし、またイメージリーダーとしてきたが、オデッセイを始めとする一連の"ピープルムーバーシリーズ"の発売を境にRVにも力を入れている。
特にオデッセイは今の日本のミニバンブームのパイオニアと言える存在で、乗用車並の操縦安定性と運転の楽しさを持ち、登場時より3代目となる現在までヒットを続けている。
構造的にスポーツモデルに適さないとされていたFF車で、目を見張るほどのスポーツ性を有したインテグラやシビックを送り出した。また、アルミニウムを電気分解する際の莫大な電力消費を補うために、工場敷地内に発電所を備えた栃木製作所高根沢工場を新規に建設して送り込んだNSXシリーズは、オールアルミボディを備え、国産スポーツカーの最高峰として君臨している。 コンパクトカーの分野では、2003年にフィットトヨタカローラを販売台数で一時追い抜くなど躍進したが、その後販売が低迷してしまっている。

年表

社史

モータースポーツ史

  1. 1966年 ロードレース世界選手権全クラスに参戦、全クラスを制覇。この年をもってロードレース世界選手権撤退。
  2. 1979年 ロードレース世界選手権に復帰。GP1クラスでは4ストロークのNR500で参戦。
  3. 2003年 F1、IRL、JGTC、MotoGP、WSS、WMX、JMX、AMA-SXに参戦。ロードレース世界選手権MotoGPクラスで三連覇、WSSで二連覇

商品

二輪

50cc以下(原付一種)

125cc以下(原付二種)

125cc超250cc以下

250cc超400cc以下

400cc超750cc以下

750cc超

四輪

現行車種

過去の生産車種

原動機

外部リンク

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