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'''茶谷正洋'''(ちゃたに まさひろ、[[1934年]][[2月18日]] ‐ [[2008年]][[11月19日]])は、[[日本]]の[[建築学者]]、[[建築家]]。[[港区立青山中学校]]、[[東京都立日比谷高等学校]]を経て[[東京工業大学]](追記) 理 (追記ここまで)工学(追記) 部(現・工学部) (追記ここまで)建築学科卒業。建築意匠、図学、建築の構法と形態、視環境知覚を専門としていた。一級建築士。
== 来歴 ==
== 来歴 ==
2008年12月24日 (水) 15:51時点における版
茶谷正洋(ちゃたに まさひろ、1934年 2月18日 ‐ 2008年 11月19日)は、日本の建築学者、建築家。港区立青山中学校、東京都立日比谷高等学校を経て東京工業大学理工学部(現・工学部)建築学科卒業。建築意匠、図学、建築の構法と形態、視環境知覚を専門としていた。一級建築士。
来歴
大学卒業後大成建設設計部、建設省建築研究所の研究員などを務め、1961年に東京工大助教授に。その後ワシントン大学客員教授などを経て、1980年~1994年の14年間東工大教授を務めた。1995年には東工大の名誉教授に就任。以後、法政大学・静岡文化芸術大学教授を務めた。2008年 11月19日、喉頭癌のため死去。
生前は女子美術短期大学・日本建築専門学校の講師の他、有限会社オリガミックアーキテクチャーの代表取締役も務めていた。
折り紙建築
「折り紙建築」とは、折り紙の手法を応用して一枚の紙から建築物や風景、動物などの様々な造形物を表現するものであるが、1981年にこれを考案したのが茶谷である。元々余業として始まったこの折り紙建築はその後「Origamic Architecture」として世界中に広まり、関連書籍も多く刊行されるなど人気を博している。また折り紙建築創始者(家元と自称)として、国内外での折り紙建築の展覧会やワークショップ活動で活躍していた。
代表作としては「京都迎賓館」、「大聖堂」、「アムステルダムの街並」などが挙げられる。
主な作品
- 角田山妙光寺(客殿、祖師堂他)
関連書籍
茶谷に師事していた中沢圭子との共著も多い。
- 彰国社刊
- 折り紙建築
- 折り紙建築 虎の巻
- 折り紙建築 型紙集
- 折り紙建築 型紙集2
- 折り紙建築 春夏秋冬
外部リンク
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