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「場の空気」の版間の差分

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日本特有の事象だ、とする人もいる{{要出典}}。
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[[2007年]]には、「空気を読めない」を略して'''[[KY語|KY]]'''という言葉が一部のマスメディアで取り上げられる様になり、同年の[[新語・流行語大賞]]に(削除) も (削除ここまで)ノミネートされた。<ref>ユーキャン新語・流行語大賞公式サイト http://singo.jiyu.co.jp/ 2007年度候補語解説</ref>現在は死語となっている。
[[2007年]]には、「空気を読めない」を略して'''[[KY語|KY]]'''という言葉が一部のマスメディアで取り上げられる様になり、同年の[[新語・流行語大賞]]にノミネートされ(追記) たが落選し (追記ここまで)た。<ref>ユーキャン新語・流行語大賞公式サイト http://singo.jiyu.co.jp/ 2007年度候補語解説</ref>現在は死語となっている。


== 場の空気を「読む」とは ==
== 場の空気を「読む」とは ==

2008年7月18日 (金) 06:07時点における版

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場の空気(ばのくうき)とは、コミュニケーションの場において、言語では明示的に表現されていない諸要素のこと。「場の」はつけず、ただ「空気」と表現されることも多い。

概要

現在では、集団や個々人の心情・気分、あるいは集団の置かれている状況を指すことが多いが[1] 、人によって指し示す範囲は若干異なる。

書籍としての初出は山本七平の著『「空気」の研究』(1977年)である[2]

場の空気を読む、すなわち場の空気を意識することは暗黙知であり、心理学ではこのような能力を「社会的知能(ソーシャル・インテリジェンス)」と呼んでいる[3] 。そのような能力は「EQ」(情動指数心の知能指数)という呼び方でも知られている。特に対人心理学では、このようなコミュニケーション上の機微を習得可能なもの(=技能)として捉え、社会技能と呼ぶ。つまり、対人心理学においては、対人関係の巧拙を生得的なもの(=性格)としては捉えない。

日本特有の事象だ、とする人もいる[要出典 ]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

2007年には、「空気を読めない」を略してKY という言葉が一部のマスメディアで取り上げられる様になり、同年の新語・流行語大賞にノミネートされたが落選した。[4] 現在は死語となっている。

場の空気を「読む」とは

大きく分類すれば次の4つの要素からなる、ともされる[5] 。 1. まず状況を把握する 2. 言うべき相手を確認する 3. 適切な言葉を選ぶ 4. 適切なタイミングを選ぶ。

相手の表情から気持ちを読むこと

「場の空気を読む」ということは、集団や社会への親和性という面から見れば、周囲の人の反応を意識することと言える。他人の表情や言動と言ったものの中から、自分が何がしかの行動を取ったことへの評価に相当する情報を見つけ出すことである。

場の空気を読むことに長ける人は集団への親和性が高くなり、逆に場の空気を読めない人は集団内の人々からの評価が低くなる傾向が見られる。これは日本に限ったことではなく、他の国々でも同様の傾向がある[6]

内藤誼人は自著『「場の空気」を読む技術』において、顔の表情を読むこと、なかでも相手の眼を見ることの重要性を強調している。相手の言っていることと相手の表情とが一致しなかったら、表情のほうが相手の真情なのだと気づくことが大切である。例えば相手が「怒っていないよ」と言っている時に怒っている表情をしていたら、相手は怒っていると気づくことが必要なのである[7]

「場の空気」が読めない人は、相手の顔の表情や眼元の表情を見ないで話す傾向がある。うつむきがちに話したり、顔ではないところや、手元の資料を見ながら話す傾向がある。それにより耳から入ってくる言葉にばかり注意が向き、相手の真意・心情を理解し損ねるのである[8] 、と内藤は述べている。 「場の空気を読めない人」というのは、年齢・性別にかかわらず存在しているとされる。

場の空気を読むには人の心理を読む必要があるが、その人の基本的なものの見方、考え方、信条などを知るようにし、たとえそれが自分の考え・信条と相容れないものでも理解しようと努めれば、よりうまく読めるようになる[9]

「場の空気」を読んだうえでどのように振舞うか

「場の空気を読む」ことと、それを踏まえて「どのように振舞うか」ということは、また別の要素である。無数の主体的な選択肢が、各人の技量・価値観道徳観哲学人生観・生き様などと呼ばれるものに応じて、その瞬間瞬間に存在している。

一般論として述べるならば、よほど切迫した事情が無い限り、好ましいと感じている反応が相手の表情に出たら行動を積極的に行い、否定的な反応が出た場合は、自分が直前に取ったような行動は抑制するというのが、おおむね賢い方法であることは多い。つまり「場の空気」を読んで発言や行動を控える、「場の空気」を読んで場に相応しい発言をする、といった振る舞いなどである。

だがそのような振る舞いだけでなく、もっと主体的な振る舞いも存在する。例えば、「場の空気」が"陰鬱"と読んで自ら「場の空気」の主導権を握り明るいものにする、「場の空気」が"いじめ"あるいは"犯罪的"と読んで適切・適法な行動を取る、あるいは「場の空気」が"自分の身に危険"と読んで早めにその「場」そのものから離れる、等々等々の選択肢も存在している。

振舞い方については、各人の技量・価値観道徳観哲学人生観・生き様に関連することだけあって、唯一の正解があるというわけでもないので、議論が尽きない。

「場の空気」を読む能力の習得

一般的には、相手の表情を読んで自分の行為・発言に対する評価に相当する反応を見出す能力は、これに関する訓練や実地体験の積み重ねによって伸ばすことができる。通常、このような訓練は主に成長過程で、家庭教育において極めて自然な形式で行われているので、各家庭ごとの文化的基盤の差の影響を受けやすい。 また成人してから、形式知のような形で理知的にこれを理解しようという場合は、マナー教育などを通して、学習することも可能である。また、このためのマナー関連のハウツー本(マニュアル本)なども多く出回っている。

「場の空気を読めない人」にいかに接するか

いわゆる「場の空気を読めない人」と呼ばれる人々の中にも数種類のタイプの人がいる。「場の空気」自体を読めない人と、「場の空気」はおおよそ読めているが適切な振る舞いを思いつかない人や、思いついてもあえて場の空気に即した振る舞いを行わない人がいる。

「場の空気を読めない人」に対して「場の空気を読め」とだけ叱って済ませてしまうことは、決して賢い方法ではない。内藤誼人によると、「場の空気」自体を読めない人は、場の空気に対する自覚が無いことが多いので、単に「場の空気を読め」と叱るよりも、むしろ「さっきはお客様の話に相槌を打つこともせず、書類ばかり見ていたね」といったように具体的なことを伝える方が状況改善、問題改善につながることが多い。指摘のタイミングについても、その場の状況を忘れてしまわないよう早い方が望ましいとしている[10]

「場の空気」は読めているものの適切な振る舞いを思いつかない人に対しては、適切な振る舞いの例を言葉で語ったり、具体的に自分でおこなって見せるなどの方法もあるだろう。 また「場の空気」自体は読めて適切な振る舞いも知っているが、あえてそれを実行しない人については、何故そのような態度をとるようになったのか、まずはその人の事情・真情・考え方などを探った上で適切な対処をとるほうがいいこともあろう。あるいは、むしろ反対に、集団内に広まっている考え方や行為を反省、すなわち自己反省すべき場合もあろう。時には「場の空気」を醸し出している側が、適法・適切ではない考え方や行為等をしている場合もあるからである。

「場の空気を読めない人」への接し方も、振舞い方に関する判断と同様に、技量・価値観哲学人生観生き様などにかかわることなので、唯一の正解があるわけではなく、やはり議論が尽きない。

冷泉彰彦による空気の分類・分析と問題改善の提案

冷泉彰彦は3人以上の場における空気と、二人だけの会話における空気を区別して考察している。(冷泉は、著書において表現を簡略化するために、3人以上の場合の空気を「場の空気」、二人だけの場合を「関係の空気」と呼び分けているが冷泉以外は基本的にそのような表現を用いていないのでこの名称自体は日本語としては受け入れられていないと考えられるのでここではその用語は控える)。そしておおまかに言えば3人以上の空気に問題が生まれがちで、2人だけの場合の空気は必要なもので肯定されるべきものとといった仮説のもとで書いている。

冷泉は二人の場合の「空気」とは、二人の間、聞き手と話し手の間で共有されている情報のすべてだとする[11] 。事前にラーメンについて語っていた二人が、実際にラーメン屋でラーメンを食べた後で「うーむ」とだけ言った場合の例などを分析して、あえて全てを言葉で表現しないで省略することで、もともと二人のあいだに情報を共有しているというメッセージが送れるのだから、共感性や親近感が高まるコミュニケーションとなる、と述べる。また、恋人同士の他愛のない言葉のやりとりの例も挙げ、二人にだけは何を語っているのか明白な状況であえて具体的な話題そのものを口にしないことで互いに親密の度合いを楽しんでいるとし、肯定する[12] 。 日本人には言葉の表現スタイルを相手に合わせようとする習性があるとする。日本人は幼児相手には幼児風に話してしまうし、外国人と話す時は無意識のうちに外国人風の不完全な日本語を話したりするし、業界人と話す時は普段使わないような業界用語を使ってしまう、相手が省略語を使うとそれに合わせる省略語を使って省略語を世に氾濫させたりする、とする。それもこれも二人の間で空気を維持したい、親密さを維持したいということなのだとする。この場合の空気は一対一の関係性そのもので、重要な要素であるとし、肯定する。

ただし、関係が維持できているうちはいいのだが、複雑化した現代、人間同士の関係が破綻することは起きるのであって、そのような時には錯綜する利害関係の調整しなければならないが、空気重視、親密さ重視の日本語(日本人の表現スタイル)が事態に追いついていない、日本語の表現スタイル・日本人のコミュニケーションスタイルは「複雑さ」とうまくやってゆく機能が不足していると冷泉は指摘する[13]

冷泉は山本の『空気の研究』で使った「抗空気罪」などの表現に言及した上で、山本の死後も日本の状況は変わっていないと述べ、企業や学校での例を挙げる。3人以上のコミュニケーションでの空気は様々な問題を生んでいると指摘する[14] 。日本人は、省略表現、指示代名詞、略語、ニックネームなどの一種の暗号を頻繁に用いることで、互いに共通のデコード情報を共有していること、共通の理解があることを確認しあっており、目先の親密さ維持だけを重視するあまり、親密さの表現のスタイルが乱れるだけでもそれに感情的に反応して、「抗空気罪」を適用して断罪するのだ、とする。そこに問題がある、とする。というのは、一対一の場合ならば、「暗号」が復元できないでも、「"例の件"って何だっけ?」と気軽に聞き返せるのに、3人以上の場では空気を乱したとして顰蹙を買い「抗空気罪」が適用されるため尋ねることもできず、情報の伝達が滞り、聞き手には疎外感が残り、話し手には"分からないやつがいる不快感"が生まれてしまう、とする[15] 。一対一の時には有益な話法であっても、それが3人以上の会話、公的な場に持ち込まれると、権力を暴走させてしまうことになり合理的な判断や利害調整を妨害し始める、と指摘する[16]

そうした問題点を解決するために、日本人はもっと聞き手のことを配慮して、省略表現やニックネームなどの「暗号」の使用を控えて、例外的なメンバーのことも意識しつつ多少冗長であってもいいからものごとをきっちりと言葉で説明するようにすべきだと冷泉は提案する[17] 。また他にも、慣れ合いを感じさせる語尾を安易に用いず、自分が目上であろうが目下であろうが「です、ます」などの表現を標準表現として積極的に用いるべきことなど、いくつかの提案をしている[18]

精神医療との兼ね合い

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精神医療分野では、社会性に影響のある幾つかの症状も存在する。これらに関係する者は、場の空気に馴染まない傾向も否定出来ない。

しかし、これらでは「際立った個性」が「場の空気を乱している」と評される傾向も否定できず、これも前出の「場の空気」という考え方に対する否定論に繋がっている。勿論、周囲の人に迷惑を掛ける個性では困るが、「とりたてて迷惑ではない」程度の個性に関しては寛容になることも重要と言えよう。

精神疾患うつ病では、過度に干渉すると悪化する危険性も指摘されている。場の空気を盾に無闇に干渉することは、医学上の禁忌である。

発達障害と「場の空気」

社会技能は訓練による習得を前提とした概念であるものの、広汎性発達障害を持つ人物の場合、社会技能の習得が生理的に不可能か、かなりの困難を伴う。即ち、場の空気を読むことができない。これは性格や家庭教育の問題ではなく、脳の先天的な機能(心の理論)の欠陥によるものである。但し、これらの発達障害による問題行動は、成長に伴って減少する傾向がある。

人格障害と「場の空気」

長期に渡って周囲と円滑なコミュニケーションが営めず、当人がその状態を苦痛と感じる場合、精神医学では人格障害と診断する。但し、人格障害だから場の空気が読めないのではなく、場の空気が読めないことを本人が苦痛と感じる場合に人格障害と診断されるという点に留意する必要がある。また、人格障害は「広義」の精神疾患であり、一般的な精神疾患のように責任能力の有無に関わる判断材料にはなりえない。

ネット上のコミュニティにおける場の空気

近年ではコンピュータ通信やインターネットの発達に伴い、従来には無かった形式の様々なコミュニケーションの形式が生まれたりネット上に様々なコミュニティが生まれており、そこにおいても「場の空気」に相当するものが見られることがあるものの、「空気」の位置づけに関しては、それなりに新しい状況も見受けられる。

インターネット上のコミュニティにおけるコミュニケーションは、現実に人と人が顔を合わせながら直接行うコミュニケーションとは異なり、多くが文字によるコミュニケーションであるため、顔の表情・眼元・声色といった「場の空気」の読解にかかわる重大な非言語的シグナルの大部分が抜け落ちてしまっているので、相手の真情を察することは(直接のコミュニケーションに比べれば)困難なことも多い。

そのため、インターネットネット上のコミュニティでは、メンバー間の感情的衝突の回避などは、「場の空気」ではなくて、管理者や中心的メンバーがルール・ガイドライン・コンセプトなどを文字によって明示的に示すことやその明示的ルールに基づいて強制的に文章を削除する措置によってようやく実現していることも多い。

もっとも、それでもネット上のコミュニティの中にも各コミュニティごとの不文律的なもの、雰囲気、「場の空気」に類似したものをやはり持っていると言われているコミュニティも存在する。明示されたガイドラインなどではなく、「過去ログ」などの形で残された、過去のやりとりの大量の記録によって、参加者間に「場の空気」に相当する認識・意識が生まれていることもあるのである。[19]

関連項目


批評

山本七平は、例として戦艦大和沖縄出撃を挙げ、出撃は無謀であると判断するに至る細かいデータおよび明確な根拠があるにもかかわらず、明確な根拠の全くない出撃が「空気」によって最終的に決定されたと指摘している。この事象をもって、山本は「それ(空気)は非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力をもつ超能力である」と述べた[20]



関連文献

(以下基本的に出版年順)

  • 山本七平『「空気」の研究』文藝春秋、1977年、1983年、ISBN 4163340203 ISBN 4167306034
  • 鮫肌文殊『空気の壁―空気を読める人読めない人』太田出版 2004年 ISBN 4872338855
  • 内藤誼人『「場の空気」を読む技術』サンマーク出版、2004年、ISBN 4763195948
  • 中島 孝志『頭のいい人は「場の空気」が読める!―たった1分で"うまくいく流れ"をつくるノウハウ』青春出版社 2005年 ISBN 441303533X
  • 横井 暁子『空気の読めない夫たち』ポプラ社 2005年、ISBN 4591089177
  • 中谷 彰宏『空気を読める人が、成功する。―機転をきかせてチャンスをつかむ50の具体例』ダイヤモンド社 2005年 ISBN 4478703396
  • 秋庭 道博『1秒で「場の空気」が読めれば、すべてうまくいく―ビジネスや人間関係は、いつもこの能力を見られている! 』 ゴマブックス 2006年、ISBN 4777104850
  • 上條晴夫『教室の空気を変える!授業導入100のアイデア』たんぽぽ出版、2006年、ISBN 4901364472
  • 内藤 誼人『空気のよみかた』ベストセラーズ、2006年、ISBN 4584189285
  • 福田健『「場の空気」が読める人、読めない人―「気まずさ解消」のコミュニケーション術』2006年 PHP研究所, ISBN 4569654657
  • 和田 秀樹『一瞬で空気を変えるバカ』ビジネス社、2006年、ISBN 4828412573
  • 冷泉彰彦『「関係の空気」「場の空気」』講談社現代新書、2006年、ISBN 4061498444
  • 生活情報研究会『やばい敬語―あぶない会話 気まずい空気』ごま書房、2006年 ISBN 4341083414
  • キャスリン スチュワート『アスペルガー症候群と非言語性学習障害―子どもたちとその親のために』2004年 明石書店 ISBN 4750319015

出典

  1. ^ 福田健『「場の空気」が読める人、読めない人―「気まずさ解消」のコミュニケーション術』2006年 PHP研究所, ISBN 4569654657 での「場の空気」の定義におおむね沿ったもの
  2. ^ 山本七平『「空気」の研究』文藝春秋、1977年。
  3. ^ 内藤誼人『「場の空気」を読む技術』サンマーク出版, 2004年, ISBN 4763195948 p.36
  4. ^ ユーキャン新語・流行語大賞公式サイト http://singo.jiyu.co.jp/ 2007年度候補語解説
  5. ^ 内藤誼人『「場の空気」を読む技術』p.36-38
  6. ^ 内藤誼人の前掲書(p.26-27, p.31-32)。同書によると、カナダでの調査およびアメリカでの調査でも「場の空気」を読めない人に対する評価は次第に低くなる、との結果が出ている。
  7. ^ 内藤誼人、前掲書 p.40
  8. ^ 内藤誼人、前掲書 p.41
  9. ^ 内藤誼人 p.72
  10. ^ 内藤誼人、前掲書 p.183-184
  11. ^ 『「関係の空気」「場の空気」』23頁
  12. ^ 『「関係の空気」「場の空気」』30-32頁
  13. ^ 『「関係の空気」「場の空気」』61-66頁
  14. ^ 『「関係の空気」「場の空気」』120-150頁
  15. ^ 『「関係の空気」「場の空気」』157-162頁
  16. ^ 『「関係の空気」「場の空気」』180頁
  17. ^ 『「関係の空気」「場の空気」』180-183頁
  18. ^ 『「関係の空気」「場の空気」』180-210頁
  19. ^ 注. ただし、そのログが後発参加者には実際上参照困難である場合などでは、そのような意識が浸透しないこともある。
  20. ^ 山本七平『「空気」の研究』(文庫版)、文藝春秋、1983年、ISBN 4167306034、p.16, 22。

関連項目

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