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「東北熊襲発言」の版間の差分

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一転して、佐治社長が自ら各県の県庁を訪れ、涙を流して謝罪行脚することにより、一応の決着は付いたと噂されるが、面会を拒否されているので、事実は不明。しかし、この発言によって、東北地方でサントリーの人気が急激に落ちた。発言から20年が経過しようとしている今でも、サントリー製品だけは絶対に飲まないと断言する者も数多くいる。
一転して、佐治社長が自ら各県の県庁を訪れ、涙を流して謝罪行脚することにより、一応の決着は付いたと噂されるが、面会を拒否されているので、事実は不明。しかし、この発言によって、東北地方でサントリーの人気が急激に落ちた。発言から20年が経過しようとしている今でも、サントリー製品だけは絶対に飲まないと断言する者も数多くいる。


この「東北熊襲発言」による影響は、現在に至っても続いている。例として、仙台市の野球場・[[宮城球場]]([[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天イーグルス]]の本拠地)では、ビール大手三社が販売に名乗りを上げる中、サントリーのビールは販売されていない(『日経ビジネス』2005年1月31日)。営業的にも弱い地域へ更に追い討ちを乗ける佐治の発言は、自らサントリー製品を遠ざける事態になった(削除) 。このことは東北人は根暗で粘着質であることを見事にあらわしている (削除ここまで)
この「東北熊襲発言」による影響は、現在に至っても続いている。例として、仙台市の野球場・[[宮城球場]]([[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天イーグルス]]の本拠地)では、ビール大手三社が販売に名乗りを上げる中、サントリーのビールは販売されていない(『日経ビジネス』2005年1月31日)。営業的にも弱い地域へ更に追い討ちを乗ける佐治の発言は、自らサントリー製品を遠ざける事態になった。


== 出典 ==
== 出典 ==

2008年7月15日 (火) 13:02時点における版

東北熊襲発言(とうほくくまそはつげん)とは、大阪商工会議所会頭だった佐治敬三(当時サントリー 社長)による舌禍事件。

発端

1988年 2月28日TBSJNN報道特集」で、東京からの首都機能移転問題が扱われた。この中で、佐治敬三が、大阪への移転を主張するあまり脱線し、「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」と発言した。このことは、特に東北地方の視聴者の大きな反感を買った。

解説

熊襲(くまそ)とは、日本古代において九州 南部にいた反朝廷派勢力をさした言葉である。対して、東北地方の原住民は蝦夷(えみし)と呼ばれていた。両方の呼称とも大和朝廷が付けた蔑称の面が強く、ヤマトタケル神話などではともに征伐される対象として登場する。大和朝廷による東北蝦夷征討、幕末の逆賊征討の影響もあり、もともと東北人は西日本の人に対して劣等感と敗北感をもっていた。

当時は首都機能移転が真剣に検討されていた時代で、仙台市南東北3県では誘致活動に熱心であった。同じく近畿地方でも、新首都誘致の活動が盛り上がっていた。この発言は近畿地方の経済人やマスコミを代表しての「ホンネ」であったが、批判の手法としては稚拙に過ぎたのみならず佐治(サントリー)の強烈な差別意識の露呈と受け止められ、その後の事態を招くこととなった。[1]

また、サントリーは古くより企業メセナに熱心で、美術館やコンサートホールを運営するなど国内を代表する文化的企業との高い評価を受けていたが、その顔として広く知られていた佐治により件の差別的発言が行われたことからブランドイメージを大いに失墜させた。

展開

この発言により、サントリーは、東北と北海道と九州で同時に反感を買ったが、特に東北での「反サントリーキャンペーン」は凄まじく、仙台の歓楽街 国分町や、仙台市内の酒屋の店頭から、サントリー製品が完全に撤去された。300本以上の抗議電話が殺到したサントリー仙台支店は対応に追われ、まれに励ましの電話を受けると女性社員が感動して泣き出したという[2] 。都道府県別のウイスキーの消費量の1位は東京都で2位は宮城県だが、一人当たり消費量では宮城県が日本一である。この宮城県を敵に回した事で、サントリーは大打撃を受けた。一方で、仙台市 青葉区ニッカ1番地(旧宮城町)に工場を持つニッカウヰスキーは、地元産品としての地位を再確認され、更に同社製品の質の高さが認識され、大いに業績が伸びた。

また、秋田県では当時の佐々木喜久治知事の指示で同県共済組合の保養・宿泊施設におけるサントリー製品の仕入れが停止された[3] 。一方、青森県では野辺地町でサントリーの原酒工場の計画が進んでおり、熊本県との間で誘致を競っていた事から北村正哉知事(当時)も表立った批判をせず、地元でも工場設置を望む声が引き続き強かった[4]

東北地方の民放では、笑点日曜洋画劇場などのサントリーのCM枠が全て公共広告機構(皮肉にも佐治が発起人)、或いは番組宣伝に差し替えられ、一定の時期、サントリーのCMが東北地方で流れないという対応が行われた。なお、東北地方の14の地方紙には、不見識だったとして発言を謝罪する広告が3月5日付の朝刊に出されている。

なお、この発言は国会でも取り上げられたが、当時の竹下内閣においては奥野誠亮 国土庁長官が、「首都を自分のところへ持っていきたい、その熱望の余りに口が滑ったというふうに受けとめたいな」という認識を示した。[5]

背景

東北人のプライドに関連して、1988年3月9日、国会予算委員会で、沢藤礼次郎 衆議院議員(当時)は、「ここまで言われたのでは東北人のプライドといいますか、大変傷つくのも無理がないわけであります。」と述べている[6] 。 東北地方でも、特に仙台市民の気質は「伊達者」であると言われており、名誉を重んじてプライドが高いという傾向を持っている。そのプライドを傷つけた佐治の発言は致命的であった。

決着

佐治の問題の発言は、上記の立場としてのものであったが、その後の対応はサントリーが表に出た。

当時の報道によると、まず、東北各県の知事を同社副社長らが訪問して解決としようとしたが、岩手県では、中村直 岩手県知事に「頭を下げてすむ問題じゃない」と追い返され、青森県では、北村正哉 知事から「東北人はコンプレックスを感じている」と非難された。このほか、面会自体を拒否した県もあった。

一転して、佐治社長が自ら各県の県庁を訪れ、涙を流して謝罪行脚することにより、一応の決着は付いたと噂されるが、面会を拒否されているので、事実は不明。しかし、この発言によって、東北地方でサントリーの人気が急激に落ちた。発言から20年が経過しようとしている今でも、サントリー製品だけは絶対に飲まないと断言する者も数多くいる。

この「東北熊襲発言」による影響は、現在に至っても続いている。例として、仙台市の野球場・宮城球場(楽天イーグルスの本拠地)では、ビール大手三社が販売に名乗りを上げる中、サントリーのビールは販売されていない(『日経ビジネス』2005年1月31日)。営業的にも弱い地域へ更に追い討ちを乗ける佐治の発言は、自らサントリー製品を遠ざける事態になった。

出典

  1. ^ 衆議院会議録情報 第112回国会 予算委員会第八分科会 第1号[1]
  2. ^ 朝日新聞 1988年 3月5日付朝刊 P.3 総合面
  3. ^ 朝日新聞 1988年3月4日付朝刊 P.31 社会面
  4. ^ 朝日新聞 1988年3月18日付朝刊 P.29 社会面
  5. ^ 衆議院会議録情報 第112回国会 予算委員会第八分科会 第1号[2]
  6. ^ 衆議院会議録情報 第112回国会 予算委員会第八分科会 第1号[3]

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