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上下線どちらも進行方向左側に駅跡が見える。京成上野行きの列車に乗り、日暮里駅を発車した後にトンネルに入りずっと進行方向左側を見ていると現在も[[プラットホーム|ホーム]]や[[改札]]、地下道、地上への階段、案内表示などを確認することができる。[[非常灯]]も点灯したままである。
上下線どちらも進行方向左側に駅跡が見える。京成上野行きの列車に乗り、日暮里駅を発車した後にトンネルに入りずっと進行方向左側を見ていると現在も[[プラットホーム|ホーム]]や[[改札]]、地下道、地上への階段、案内表示などを確認することができる。[[非常灯]]も点灯したままである。


(削除) 1997 (削除ここまで)年の営業休止後しばらくは西洋式建築の地上口に「当駅は、4月1日から営業を休止いたしております。[[京成上野駅]]をご利用くださいますようお願い申し上げます」といったお知らせが掲示されたが、正式に廃止となってからは「博物館動物園駅跡」と書かれた看板が掛けられている。駅施設の一部は現在資材置き場として活用されている。
(追記) 平成9 (追記ここまで)年の営業休止後しばらくは西洋式建築の地上口に「当駅は、4月1日から営業を休止いたしております。[[京成上野駅]]をご利用くださいますようお願い申し上げます」といったお知らせが掲示されたが、正式に廃止となってからは「博物館動物園駅跡」と書かれた看板が掛けられている。駅施設の一部は現在資材置き場として活用されている。

平成17年9月には[[上野の杜芸術フォーラム]]主催の「PROJECTORPINHOLE 駅が巨大な針穴写真機になる」というイベントが西洋様式の地上口建物を使ってひと月の間催された。


== 沿革 ==
== 沿革 ==

2008年5月25日 (日) 16:26時点における版

博物館動物園駅
博物館動物園駅出入口
はくぶつかんどうぶつえん

Hakubutsukan-Doubutsuen
所在地 東京都 台東区上野公園
所属事業者 しかく京成電鉄
所属路線 京成本線
キロ程 (京成上野起点)
開業年月日 1933年 12月10日
廃止年月日 2004年 4月1日
備考 1997年4月1日営業休止
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改札口付近
ホーム
通路のペンギンの絵

博物館動物園駅(はくぶつかんどうぶつえんえき)は、東京都 台東区にあった京成電鉄 本線。昭和8年(1933年)の京成本線開通にあわせ、東京国立博物館国立科学博物館上野動物園東京芸術大学などの最寄り駅として開業した。その後の老朽化や乗降客数の減少に伴い、平成9年(1997年)に営業休止、平成16年(2004年)に廃止となった。駅舎やホームは現在も見ることができる。

駅構造

改札は1ヵ所のみで上りホームに設置されていた。地上口は2ヵ所あり、帝室美術館(現在の東京国立博物館)の敷地内に作られた地上口は、国会議事堂中央部分のような西洋様式の外観が特徴となっている。もうひとつの上野動物園旧正門へ続く地上口は、昭和40年代に現在の動物園正門が作られたことで人の流れが変わり、まもなく閉鎖された(現在は東京都美術館が利用する資材倉庫になっている)。地下の壁面には東京芸術大学の学生が描いたとされる「ペンギン」「ゾウ」の絵がある。最後まで木製の改札が使われるなど、大掛かりな改修を受けたことがないため、昭和初期そのままの雰囲気を残した数少ない都会の駅であった。

ホームは薄暗く煤けていたこともあって「暗くて怖い・寂しい」という意見も聞かれる。乗降客数が最も多かったのは、昭和47年10月にジャイアントパンダが上野動物園に来園し、その後に巻き起こったパンダブームの頃と言われている。見慣れない雰囲気に、動物園に行く親子連れ、特に子供たちの目には薄気味悪いと映ったかもしれない。

なお、秋本治作の漫画こちら葛飾区亀有公園前派出所』で当駅が取り上げられ(1995年・95巻 ISBN 4088527399)、ペンギンの絵などが題材として扱われた。そのおかげもあって乗降客数が増加したと言われるが、落書きも増加するといった負の側面もあったとされる。

廃止理由

  • ホーム(有効長)が短いため、4両編成しか停車できない。また、先頭車両の一番前のドア用に設置されていた小さな台は、安全面で問題になっていた。
  • 1980年より普通列車の一部が6両編成になったことで停車する列車本数が減り、既存の乗降客の多くが隣の京成上野駅に流れていった( 京成上野駅からの距離が0.9kmと近い)。
  • 廃止直前は営業時間が7〜18時台のみで、1時間に1本も列車が停車しない時間帯があった(駅員は1人。駅員の休憩時間確保のため)。
  • 1933年の開業以来、本格的な修繕がなされていないため老朽化が進んでいた。
  • 自動券売機自動改札機が設置されておらず、改修や維持に大規模な投資が必要であった。
  • 主な乗降客は周辺の博物館や上野動物園の勤務者で、1日の平均乗降客数が500人未満と非常に少なかった。

現状

上下線どちらも進行方向左側に駅跡が見える。京成上野行きの列車に乗り、日暮里駅を発車した後にトンネルに入りずっと進行方向左側を見ていると現在もホーム改札、地下道、地上への階段、案内表示などを確認することができる。非常灯も点灯したままである。

平成9年の営業休止後しばらくは西洋式建築の地上口に「当駅は、4月1日から営業を休止いたしております。京成上野駅をご利用くださいますようお願い申し上げます」といったお知らせが掲示されたが、正式に廃止となってからは「博物館動物園駅跡」と書かれた看板が掛けられている。駅施設の一部は現在資材置き場として活用されている。

平成17年9月には上野の杜芸術フォーラム主催の「PROJECTORPINHOLE 駅が巨大な針穴写真機になる」というイベントが西洋様式の地上口建物を使ってひと月の間催された。

沿革

太平洋戦争末期には、空襲に備えてトンネル内の線路を三線軌条化し、国鉄日暮里駅から隣の寛永寺坂駅(現在廃止)まで優等客車を入れて運輸省の事務所にしたため、京成上野〜日暮里間が運休となった。また、1976年(昭和51年)の京成上野駅大改修工事の際にも当駅は営業を休止した。

隣の駅

京成電鉄
本線
京成上野駅博物館動物園駅 ― (寛永寺坂駅) ― 日暮里駅

1947年までは、博物館動物園駅と日暮里駅の間に「寛永寺坂駅」があった。同駅はトンネルの入口にあったが、ホームは撤去されて跡しかない(日暮里方面へ行く時に、地上に出る直前に線路の両脇にある空間がホーム跡である)。しかし、地上の駅舎跡は現在も残されており、事務所として賃貸されている。貸し出す際に京成側が駅舎を残すという条件をつけたためである。

参考文献

  • 石本祐吉「京成電鉄 "不思議発見"」『鉄道ピクトリアル』632号、電気車研究会、1997年1月

関連項目

外部リンク

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