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「DDTプロレスリング」の版間の差分

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プレ旗揚げ戦においては、「観客の過半数の支持が得られなかった場合、旗揚げは取りやめる」と宣言していた。全試合終了後、観客に意を問うたところ大部分の支持が得られ、正式な旗揚げとなった。
プレ旗揚げ戦においては、「観客の過半数の支持が得られなかった場合、旗揚げは取りやめる」と宣言していた。全試合終了後、観客に意を問うたところ大部分の支持が得られ、正式な旗揚げとなった。


小規模会場や[[ライブハウス]]で定期的な興行を打ち、エンターテイメント色を大胆に打ち出すことによって支持を拡大。こういったスタイルは現在新しく旗揚げする団体がこぞって追随し、またメジャー団体の[[新日本プロレス]]も「[[WRESTLE LAND]]」と称して似た趣旨の興行を打(削除) つようにな (削除ここまで)(削除) てお (削除ここまで)り、プロレス団体運営のモデルケースを示したといえる。
小規模会場や[[ライブハウス]]で定期的な興行を打ち、エンターテイメント色を大胆に打ち出すことによって支持を拡大。こういったスタイルは現在新しく旗揚げする団体がこぞって追随し、またメジャー団体の[[新日本プロレス]]も「[[WRESTLE LAND]]」と称して似た趣旨の興行を打っ(追記) た (追記ここまで)(追記) と (追記ここまで)、プロレス団体運営のモデルケースを示したといえる。


[[2000年]]に武藤社長が退任し、三和亮(現:三和哲充)が2代目社長に就任。
[[2000年]]に武藤社長が退任し、三和亮(現:三和哲充)が2代目社長に就任。

2008年3月16日 (日) 14:29時点における版

DDTプロレスリング(ディーディーティー-)とは、1997年に武藤伸太郎が高木三四郎野沢一茂三上恭平らとともに発足したプロレス 団体である。Dramatic Dream Teamの略。エンターテイメント色が強い。1997年3月25日日比谷ラジオシティでプレ旗揚げ戦を行い、5月14日 北沢タウンホールで旗揚げ戦が行われた。

会社概要

歴史

プレ旗揚げ戦においては、「観客の過半数の支持が得られなかった場合、旗揚げは取りやめる」と宣言していた。全試合終了後、観客に意を問うたところ大部分の支持が得られ、正式な旗揚げとなった。

小規模会場やライブハウスで定期的な興行を打ち、エンターテイメント色を大胆に打ち出すことによって支持を拡大。こういったスタイルは現在新しく旗揚げする団体がこぞって追随し、またメジャー団体の新日本プロレスも「WRESTLE LAND」と称して似た趣旨の興行を打ったりと、プロレス団体運営のモデルケースを示したといえる。

2000年に武藤社長が退任し、三和亮(現:三和哲充)が2代目社長に就任。

2003年には元WAR一宮章一が3代目社長に就任。三和は会長に就任。

2005年に一宮が引退し社長も辞任。そのため2006年1月29日後楽園大会にて社長職をかけて高木、三和兄弟(三和会長と弟の三和太)、泉州力大鷲透ゴージャス松野すぎはら美里子川直也大家健、ヨシヒコの10人でロイヤルランブルを行い、優勝した高木が4代目社長に就任した。ラダー(脚立)や霊長類最強の格闘ニホンザルやっちゃんなどの非人間を、レスラーとして試合をしたりもした。(アイアンマンのチャンピオンにもなっている) やがて、大鷲透によるDISASTER BOX、イタリアから来日したプロレスラー軍団イタリアンフォーホースメンなど軍団抗争が活発化。

2006年新日本プロレスを退団した田中秀和リングアナが参戦。高木とのファンタジープロレス論で口論となり、長井満也、ポイズン澤田JULIEと同期である後藤達俊を引きつれ乱入。田中は澤田の呪文を無視するなど、一気にDDTムードを引かせる展開へ。澤田は呪文の修行で一時離脱。 6月4日後楽園ホール、澤田・高木組vs長井・後藤組。終盤に後藤を呪文で蛇手にかけることに成功し澤田が勝利を飾る。試合後も最後で否定していた田中リングアナも蛇手させることができた。 年末には正規軍に渇を入れるべく蝶野正洋スタイルに扮した高木、天山広吉スタイル(角をつけただけ)のKUDO、おまけの矢郷さんと共に(後にアシュレイ"ノートン"サウザーが加入)ヒールユニット「チーム2サウザンアイランド」を結成する。結成期間は短かったもののMIKAMIやHARASHIMAを奮起させた。 蛇界、DISASTER BOX、イタリアンフォーホースメンが次々と解散、活動休止、帰国となってしまう。後に蛇界は新・蛇界転生として復活。

また、このほかに様々なレスラーを他団体にフリー参戦で送り込んでおり、プロレスラーの派遣会社とも言える形態での活動も活発。

2007年上半期、アントーニオ本多率いるハワイアン軍団aWoが登場。大鷲透が一時的離脱。HARASHIMAがKO-D王者に君臨する。YAGOプロレスが旗揚げ戦にて解散。10周年記念興行としてこれまで元DDT所属選手や関係のあった選手が登場し話題となる。一方、蛇界は話し合いと試合の結果、ベアー福蛇による「明るく楽しく激しい蛇界」を宣言し、ロス・サルセロス・ハポネサスの衣装でドリアン澤田、マンゴー福蛇となる。また、上記の他団体派遣で飯伏幸太らが参戦を果たし、更にはGPWAへの加入もあってかプロレスリング・ノアとのパイプも出来(ちなみに高木とノアの仲田龍取締役とは以前から交流があった)、4月1日の後楽園ホール大会で丸藤正道がノア所属選手として初めてDDTマットに立った。それ以降も飯伏がノアのシリーズにスポット参戦したり、マッスル坂井の対戦相手として森嶋猛が逆にDDT参戦を果たし、更には12月9日新潟フェイズサヨナラ興行には、ノアの総帥・三沢光晴が「超大物X」としてシークレット参戦(鈴木鼓太郎とのタッグで高木・坂井組と対戦。ちなみに当初は坂井ではなく、偽沢光晴こと一宮が対戦する予定だったが、一宮が肺気胸のため参戦をキャンセルした)を果たした。一方、蛇界は仲間割れの末ポイズンは高木に策略で改造蛇人間ジャカイダーとなり、チビッ子の人気に。それに歯止めをかけ再び参戦を果たした長井満也がナガイダーとなり地球の平和を守るのであった。

下半期、aWoのKooがHARASHIMAからKO-D王者を奪取。怪物なみのパワーで防衛記録を伸ばすも、リベンジに燃えるHARASHIMAが激戦の末再び君臨する。やがて往年DDTメンバー・高木、MIKAMI、鳥羽、ポイズンによるDDTレジェンド軍を結成。試合に勝つとMIKAMIは好きな歌を熱唱するなどやりたい放題を繰り返す。一方ナガイダーとして人気を博していたものの、それに歯止めをかけ再び参戦を果たした後藤達俊がゴトウダーとなり地球の平和を守るのであった。そして抜群のチームワークをもったaWoは、まさかのディック東郷の裏切り、大鷲・晴也と結託したヒール軍団メタル・ヴァンパイヤの誕生により解散に追い込まれた。まさかタッグ防衛に調子づいたヌルヌルブラザーズはマイケルの暴走、しょっぱい試合内容から相方・松永が呆れ果て空中分解してしまう。

2008年、ヌルヌルブラザーズ松永が晴れて正式入団。しょっぱい試合でブーイングを受けたマイケルはサムライTVの生放送番組「Sアリーナ」にて生契約更改が行われたが、高木の逆鱗に触れ契約書は破かれ決裂となる。

別ブランド

  • 「y2D」...DDTの原点である熱く激しい戦いを見せる。主に佐々木貴、MIKAMIなどが中心に活躍。現在は消滅。
  • マッスル 」 ...マッスル坂井プロデュースによる演劇色を強めた興行。毎回ゲストが参戦するなど客入りが好ましい。
  • Cruiser's Game 」 ...MIKAMIプロデュースによる軽量級の選手を集めた興行。ここ最近は休業中。
  • ユニオンプロレス 」 ...ポイズン澤田による数年ぶりに復活を遂げたDDTの傘下団体。特にDDT所属選手は参加しない。
  • 「YAGOプロレス」 ...「明るく楽しいパッケージど真ん中」をコンセプトとした矢郷さんの団体だったが、旗揚げ戦後1時間余りで解散。
  • 新北京プロレス 」 ...「趙雲子龍」所属の海外団体。日本初興行は成功を収める。
  • でら名古屋プロレス 」...名古屋を中心に興行を行う地域密着型の団体。正確にはユニオンと同じ傘下団体。
  • ハードヒット」 ...通常のプロレスルールに減点制を導入し、プロレスのスポーツライクを全面に押し出した興行。

タイトルホルダー

DDTプロレスリングが管轄する王座と保持者(2007年11月27日現在)

現在の所属・参戦選手&スタッフ

DDTレジェンド軍

本隊

メタルヴァンパイア

ヌルヌルブラザーズ (活動停止)

参戦選手

スタッフ

過去の所属選手

関連項目

外部リンク

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