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[[2007年]][[1月2日]]・[[2月26日]]の[[大日本プロレス|大日本]]・[[後楽園ホール]]大会において、メインの[[デスマッチ#蛍光灯デスマッチ|蛍光灯デスマッチ]]で勝利した事により、[[3月14日]][[大日本プロレス|大日本]]・[[後楽園ホール]]大会で、[[佐々木貴]]の持つ[[BJW認定デスマッチヘビー級王座]]への挑戦が決定。蛍光灯の他に、出身地広島で暴走族仲間だった[[鳶職|鳶職人]]が当日、リングの外に設置する高さ5メートルの[[足場|建築現場用足場]]を使う、「'''廣島 大治組プレゼンツ 高所作業につき立体足場建築現場デスマッチ 〜one night carnival〜'''」を提案。その試合において、[[佐々木貴]]とすさまじい死闘を繰り広げるも惜敗。しかしプロレス歴約3年半、デスマッチ歴約半年で著しい成長を遂げた宮本に、観客からは王者[[佐々木貴]]より大きな声援と惜しみない拍手を送られた。そしてこの試合は、[[プロレス大賞]]ベストバウトにもノミネートされた。
[[2007年]][[1月2日]]・[[2月26日]]の[[大日本プロレス|大日本]]・[[後楽園ホール]]大会において、メインの[[デスマッチ#蛍光灯デスマッチ|蛍光灯デスマッチ]]で勝利した事により、[[3月14日]][[大日本プロレス|大日本]]・[[後楽園ホール]]大会で、[[佐々木貴]]の持つ[[BJW認定デスマッチヘビー級王座]]への挑戦が決定。蛍光灯の他に、出身地広島で暴走族仲間だった[[鳶職|鳶職人]]が当日、リングの外に設置する高さ5メートルの[[足場|建築現場用足場]]を使う、「'''廣島 大治組プレゼンツ 高所作業につき立体足場建築現場デスマッチ 〜one night carnival〜'''」を提案。その試合において、[[佐々木貴]]とすさまじい死闘を繰り広げるも惜敗。しかしプロレス歴約3年半、デスマッチ歴約半年で著しい成長を遂げた宮本に、観客からは王者[[佐々木貴]]より大きな声援と惜しみない拍手を送られた。そしてこの試合は、[[プロレス大賞]]ベストバウトにもノミネートされた。


(削除) 現在は (削除ここまで)[[佐々木貴]]が邪猿気違'sから育成担当を引き継ぎ、更なる高みを目指し(削除) 、 (削除ここまで)[[7月16日]][[桂スタジオ]]大会から(削除) 、 (削除ここまで)「'''デスマッチ7番勝負'''」(後述)に挑戦(削除) する事が決定 (削除ここまで)(削除) た (削除ここまで)
(追記) その後 (追記ここまで)[[佐々木貴]]が邪猿気違'sから育成担当を引き継ぎ、更なる高みを目指し[[7月16日]][[桂スタジオ]]大会から「'''デスマッチ7番勝負'''」(後述)に挑戦し(追記) 、現在は[[BJW認定デスマッチヘビー級王座]]に再挑戦を狙っている (追記ここまで)


== ヤンキー7番勝負 ==
== ヤンキー7番勝負 ==

2008年2月20日 (水) 15:49時点における版

宮本裕向
プロフィール
リングネーム 宮本裕向
本名 同じ
ニックネーム ヤンキー
身長 175cm
体重 80kg
誕生日 (1982年05月25日) 1982年 5月25日(42歳)
出身地 広島県 廿日市市
所属 666
トレーナー マンモス佐々木
デビュー 2003年 8月2日
徳島市体育館
vs藤田峰雄
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宮本裕向(みやもとゆうこう1982年 5月25日 - )は、666に所属する日本のプロレスラー広島県 廿日市市出身。身長175cm、体重80kg。

経歴

2003年 8月2日徳島市体育館大会、vs藤田峰雄戦でデビュー。当時はWMF所属。練習生時代には、マンモス佐々木がスパーリングのパートナーを務めた。WMFを退団後は666に移籍。特攻服を身にまとう「ヤンキーキャラ」して、大日本プロレス等さまざまな団体に参戦。

プロレスラーになる前は、地元・広島で暴走族として暴れまわっていた、本物のヤンキーである。

666、DDTなどでは、isamiとのヤンキータッグ「ヤンキー二丁拳銃」として活動。

2005年には、ZERO1-MAX 大森隆男率いる「アックスボンバーズ」に参加。

2006年 6月4日大日本 桂スタジオ大会の「デスマッチファイター募集」に真っ先に名乗りを上げ、念願のデスマッチデビューを果たした。

更に9月、リアルジャパンプロレス後楽園ホール大会での「掣圏真陰流トーナメント」で、初の総合格闘技参戦で初優勝の快挙を成し遂げた。

その後はisamiと共に、葛西純&沼澤邪鬼の「045邪猿気違's」が開校した「スクール・オブ・デス」に入学し、デスマッチのノウハウを学ぶ。

2007年 1月2日2月26日大日本後楽園ホール大会において、メインの蛍光灯デスマッチで勝利した事により、3月14日 大日本後楽園ホール大会で、佐々木貴の持つBJW認定デスマッチヘビー級王座への挑戦が決定。蛍光灯の他に、出身地広島で暴走族仲間だった鳶職人が当日、リングの外に設置する高さ5メートルの建築現場用足場を使う、「廣島 大治組プレゼンツ 高所作業につき立体足場建築現場デスマッチ 〜one night carnival〜」を提案。その試合において、佐々木貴とすさまじい死闘を繰り広げるも惜敗。しかしプロレス歴約3年半、デスマッチ歴約半年で著しい成長を遂げた宮本に、観客からは王者佐々木貴より大きな声援と惜しみない拍手を送られた。そしてこの試合は、プロレス大賞ベストバウトにもノミネートされた。

その後佐々木貴が邪猿気違'sから育成担当を引き継ぎ、更なる高みを目指し7月16日 桂スタジオ大会から「デスマッチ7番勝負」(後述)に挑戦し、現在はBJW認定デスマッチヘビー級王座に再挑戦を狙っている。

ヤンキー7番勝負

得意技

  • ムーンサルト・プレス(with蛍光灯)
  • スプリング・エルボー
  • ヤンキードライバー


登場曲

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