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: デビュー以来大事に大事に使いつづけている技。かつてスーパージュニアで[[獣神サンダー・ライガー]]をこの技で秒殺したこともある。エプロンサイドからトップロープに飛び乗って出すスワンダイブ式、コーナーポスト最上段からのミサイル式など、[[ドロップキック]]のレパートリーは多い。
: デビュー以来大事に大事に使いつづけている技。かつてスーパージュニアで[[獣神サンダー・ライガー]]をこの技で秒殺したこともある。エプロンサイドからトップロープに飛び乗って出すスワンダイブ式、コーナーポスト最上段からのミサイル式など、[[ドロップキック]]のレパートリーは多い。
; カラ・パリダ
; カラ・パリダ
: コブラクラッチで決めるクロスフェイス。[[大谷晋二郎]]のキングコブラホールドや[[アメリカン・ドラゴン]]のコブラクラッチ・クロスフェイスに似た技。
: コブラクラッチで決めるクロスフェイス。[[大谷晋二郎]]のキングコブラホールドや[[(追記) ブライアン・ダニエルソン| (追記ここまで)アメリカン・ドラゴン]]のコブラクラッチ・クロスフェイスに似た技。
; どどん
; どどん
: 相手の背後に回り、[[タイガースープレックス]]のように相手の腕を固め(羽交い絞めは背後から相手の脇から手を差し込んで固めるのに対し、この固め方は背後から相手の腕の外側から自分の腕を巻き込み、手のひらを相手の背中に当てるようにして相手の腕を固める)、仰け反る様に上に持ち上げて、一旦静止してから相手を前のめりにマットに叩きつける技。持ち上げられた相手は体が反られるため、仕掛け側の太腿のあたりに足の甲をフックしたような体制になり、倒されるときに仕掛け側の足がそこから差し込まれるため、落下が上半身からになってしまう。落下時は、仕掛け側に固められていた腕を素早く振りほどき、柔道の前受身のように手を顔の前あたりに持っていかないと顔面から落ちてしまうため大変危険な技である。しかし、サングレ・アステカというメキシコ出身の覆面レスラーに、持ち上げたときに脇にふくらはぎを差し込まれ、そのまま前方回転エビ固めで丸め込まれてしまいフォール負けを喫してしまったこともある。また、相手が粘る時は、[[タイガースープレックス]]に移行する場合もある。
: 相手の背後に回り、[[タイガースープレックス]]のように相手の腕を固め(羽交い絞めは背後から相手の脇から手を差し込んで固めるのに対し、この固め方は背後から相手の腕の外側から自分の腕を巻き込み、手のひらを相手の背中に当てるようにして相手の腕を固める)、仰け反る様に上に持ち上げて、一旦静止してから相手を前のめりにマットに叩きつける技。持ち上げられた相手は体が反られるため、仕掛け側の太腿のあたりに足の甲をフックしたような体制になり、倒されるときに仕掛け側の足がそこから差し込まれるため、落下が上半身からになってしまう。落下時は、仕掛け側に固められていた腕を素早く振りほどき、柔道の前受身のように手を顔の前あたりに持っていかないと顔面から落ちてしまうため大変危険な技である。しかし、サングレ・アステカというメキシコ出身の覆面レスラーに、持ち上げたときに脇にふくらはぎを差し込まれ、そのまま前方回転エビ固めで丸め込まれてしまいフォール負けを喫してしまったこともある。また、相手が粘る時は、[[タイガースープレックス]]に移行する場合もある。

2007年12月28日 (金) 16:35時点における版

田口 隆祐
プロフィール
リングネーム 田口 隆祐
本名 同じ
ニックネーム ファンキーウェポン
身長 180cm
体重 91kg
誕生日 (1979年04月15日) 1979年 4月15日(45歳)
出身地 宮城県 岩沼市
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 サッカー
レスリング
デビュー 2002年 11月22日
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田口 隆祐(たぐち りゅうすけ、1979年 4月15日 - )は、日本の男子プロレスラーである。新日本プロレス所属。宮城県 岩沼市出身。宮城県仙台第一高等学校卒業。

経歴

宮城県仙台第一高等学校サッカー部、東海大学 レスリング部出身。2002年3月に新日本プロレスのスカウト部長になる前の木村健悟にスカウトされて新日本プロレスに入団し、同年11月22日後楽園ホール興行での対矢野通戦でプロレスデビュー。ニックネームはドロップキック・マスター。

ジュニアヘビー級戦線で活動し、2003年にはベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに出場した。2004年にはヤングライオン杯、ヤングライオン闘魂トーナメントで優勝を飾り、新日本のヤングライオン(若手レスラー)の中ではトッププレイヤーになった。2005年には2月から10月までメキシコのCMLLへ遠征を実施した。 2006年2月19日両国でエル・サムライとタッグを組みIWGPJrタッグ王座を獲得。

長期メキシコ遠征帰国後から、勝利後リング上でファンキーな踊り(通称:タグダンス)を舞い、観客を楽しませている。日本初公開のタグダンスは、2006年1月28日後楽園ホールにて、今のファンキー仕様の髪型を初披露した田口隆祐がタイガーマスク (4代目)と組み、後藤洋央紀組と戦った試合で田口隆祐が後藤洋央紀を必殺のどどんで破った後に多少中途半端ながら披露された(その直後に小バカにした態度でに真似されていた)。ちなみにこの日の後楽園ホール大会では、当日朝方亡くなったブラック・キャットの追悼のテンカウントゴングや、田口と同期といってもよい安沢明也の引退セレモニーがあった日でもあった。

2007年 7月6日の後楽園ホールにて、を破りIWGPジュニア・ヘビー級王座を獲得した。

2007年 12月9日大阪府立体育会館・第2競技場にて、井上亘に敗れIWGPジュニア・ヘビー級王座の防衛に失敗、ベルトを手放した。

得意技

ドロップキック
デビュー以来大事に大事に使いつづけている技。かつてスーパージュニアで獣神サンダー・ライガーをこの技で秒殺したこともある。エプロンサイドからトップロープに飛び乗って出すスワンダイブ式、コーナーポスト最上段からのミサイル式など、ドロップキックのレパートリーは多い。
カラ・パリダ
コブラクラッチで決めるクロスフェイス。大谷晋二郎のキングコブラホールドやアメリカン・ドラゴンのコブラクラッチ・クロスフェイスに似た技。
どどん
相手の背後に回り、タイガースープレックスのように相手の腕を固め(羽交い絞めは背後から相手の脇から手を差し込んで固めるのに対し、この固め方は背後から相手の腕の外側から自分の腕を巻き込み、手のひらを相手の背中に当てるようにして相手の腕を固める)、仰け反る様に上に持ち上げて、一旦静止してから相手を前のめりにマットに叩きつける技。持ち上げられた相手は体が反られるため、仕掛け側の太腿のあたりに足の甲をフックしたような体制になり、倒されるときに仕掛け側の足がそこから差し込まれるため、落下が上半身からになってしまう。落下時は、仕掛け側に固められていた腕を素早く振りほどき、柔道の前受身のように手を顔の前あたりに持っていかないと顔面から落ちてしまうため大変危険な技である。しかし、サングレ・アステカというメキシコ出身の覆面レスラーに、持ち上げたときに脇にふくらはぎを差し込まれ、そのまま前方回転エビ固めで丸め込まれてしまいフォール負けを喫してしまったこともある。また、相手が粘る時は、タイガースープレックスに移行する場合もある。
鹿殺し
メキシコ無期限遠征後から名前は知られていたがずっと未公開だった技。形はリバースゴリースペシャルボムと同じ。2006年のスーパージュニアでサングレ・アステカ相手に初公開される。
フィッシャーマンズスープレックス
タイガーマスクのベルトに挑戦する際、小林邦昭に伝授された技。投げてから後方回転して腕ひしぎ逆十字に移行する事もある。
三角跳び式プランチャ
コーナー側に向かって走って行き、コーナーに跳び乗って相手に向かって跳んでいくプランチャ。

タイトル歴

新日本プロレス
K-AWARD
  • 年間最高試合賞(タッグマッチ部門)(2004年)

入場テーマ曲

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