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*夫:[[長屋王]]
*夫:[[長屋王]]
**子:膳夫王・[[葛木王]]・鉤取王
**子:膳夫王(追記) ・膳夫王(石川夫人母との説あり) (追記ここまで)・[[葛木王]]・鉤取王
[[Category:飛鳥・奈良時代の皇族|きひないしんのう]]
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[[Category:729年没|きひないしんのう]]
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2009年8月30日 (日) 07:24時点における版

吉備内親王(きびないしんのう、生年不詳 - 神亀6年2月12日(729年 3月20日))は、草壁皇子元明天皇の次女。元正天皇文武天皇の姉妹。長屋王の妃。長屋王の変自殺に追い込まれた。

吉備内親王は長屋王に嫁ぎ、膳夫王葛木王鉤取王を産んだ。和銅8年(715年)2月25日に、息子達が皇孫待遇になる。同年、元号が霊亀となった後に三品に叙される。神亀元年(724年)2月4日に二品に叙される。

しかし、神亀6年(729年)2月、長屋王の使用人であった漆部造君足と中臣宮処連東人の密告により、長屋王が国を傾けるため「左道」を行ったとして、彼は自刃に追い込まれた。吉備内親王も、3人の息子達と共に縊死した。彼女は長屋王と同じく、生駒山に埋葬された。

当時皇太子 基王が急死し、自らも病弱であった聖武天皇に万が一の事があれば、天皇の叔母にあたる内親王やその子供達の皇位継承の可能性もあったと考えられる。天皇が根拠のない密告を信じて政府首班の長屋王を死に追い込んだ背景には、皇位を巡る天皇の疑心暗鬼があったとする説もある。

系譜

  • 夫:長屋王
    • 子:膳夫王・膳夫王(石川夫人母との説あり)・葛木王・鉤取王

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