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「フェルディナンド・ダヴィッド」の版間の差分

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== 作品 ==
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ダヴィット自身の作品は、およそ40点ある。2つの[[交響曲]]のほか、5つの[[ヴァイオリン協奏曲]]、[[歌劇]]《ハンスは見張る(''Hans Wacht'')》([[1852年]])、3つの[[ヴァイオリン]]と[[ヴィオラ]]、2つのチェロのための《[[弦楽六重奏曲]]》、そして多数のリートである。また、[[トロンボーン]]のための[[コンチェルティーノ]]や[[ファゴット協奏曲]]も遺した。また、[[フランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ]]や[[ピエトロ・ロカテッリ]]、[[ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルク]]らの作品の校訂者も務めた。ほかにも、楽譜出版社[[ペータース (出版社)|ペータース]]のために、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]のピアノ三重奏曲全曲を校訂している。[[1843年]]には、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の《[[無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ]]》の校訂も務めている。
ダヴィット自身の作品は、およそ40点ある。2つの[[交響曲]]のほか、5つの[[ヴァイオリン協奏曲]]、[[歌劇]]《ハンスは見張る(''Hans Wacht'')》([[1852年]])、3つの[[ヴァイオリン]]と[[ヴィオラ]]、2つのチェロのための《[[弦楽六重奏曲]]》、そして多数のリートである。また、[[トロンボーン]]のための[[コンチェルティーノ]]や[[ファゴット協奏曲]]も遺した。また、[[フランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ]]や[[ピエトロ・ロカテッリ]]、[[ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルク]]らの作品の校訂者も務めた。ほかにも、楽譜出版社[[ペータース (出版社)|ペータース]]のために、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]のピアノ三重奏曲全曲を校訂している。[[1843年]]には、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の《[[無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ]]》の校訂も務めている。

またダヴィットは、17〜18世紀のヴァイオリン作品の校訂と出版を多数行っており(『Die hohe Schule des Violinspiels』)、その中にはトマゾ・アントニオ・ヴィターリによるト短調のシャコンヌ(チャッコーナ)も含まれる。彼がシャコンヌの校訂に用いたのは、現在もザクセンの州立図書館(SLUB)に所蔵されている18世紀の筆写譜(D-Dl Mus.2037-R-1)である。


==外部リンク==
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2022年4月13日 (水) 06:43時点における最新版

フェルディナント ダヴィット
基本情報
生誕 (1810年01月20日) 1810年 1月20日
出身地 自由ハンザ都市ハンブルク
死没 (1873年07月19日) 1873年 7月19日(63歳没)
スイスの旗 スイスクロスタース
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト作曲家
担当楽器 ヴァイオリン

フェルディナント・ダヴィット(Ferdinand David, ドイツ語発音: [ˈfɛʁdinant ˈdaːvɪt] , 1810年 1月20日 ハンブルク - 1873年 7月19日 クロスタース)は、ドイツ系ユダヤ人ヴァイオリニスト作曲家ダーフィットとも表記。

その超絶技巧から、フェリックス・メンデルスゾーンが自作の《ヴァイオリン協奏曲ホ短調》の初演を委ねたことで歴史に名を残した。

経歴

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ダヴィットはメンデルスゾーン家と同じアパートで生まれ、まもなくメンデルスゾーン家は引っ越したが、家族ぐるみの付き合いは続いたといわれている。

1823年から1824年まで、ルイ・シュポーアモーリッツ・ハウプトマンに師事し、1826年ベルリン王立劇場ヴァイオリン奏者に就任。1829年にはドルパト弦楽四重奏団の第1ヴァイオリンを担当し、リガサンクトペテルブルクモスクワで演奏旅行を行う。1835年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団コンサートマスターに就任し、1843年にはライプツィヒ音楽院のヴァイオリン科教授に就任した。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を初演しただけでなく、公演準備の間、作曲者との緊密な協力関係を築き、技巧面で助言をした。

作品

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ダヴィット自身の作品は、およそ40点ある。2つの交響曲のほか、5つのヴァイオリン協奏曲歌劇《ハンスは見張る(Hans Wacht)》(1852年)、3つのヴァイオリンヴィオラ、2つのチェロのための《弦楽六重奏曲》、そして多数のリートである。また、トロンボーンのためのコンチェルティーノファゴット協奏曲も遺した。また、フランチェスコ・マリア・ヴェラチーニピエトロ・ロカテッリヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクらの作品の校訂者も務めた。ほかにも、楽譜出版社ペータースのために、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲全曲を校訂している。1843年には、バッハの《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》の校訂も務めている。

またダヴィットは、17〜18世紀のヴァイオリン作品の校訂と出版を多数行っており(『Die hohe Schule des Violinspiels』)、その中にはトマゾ・アントニオ・ヴィターリによるト短調のシャコンヌ(チャッコーナ)も含まれる。彼がシャコンヌの校訂に用いたのは、現在もザクセンの州立図書館(SLUB)に所蔵されている18世紀の筆写譜(D-Dl Mus.2037-R-1)である。

外部リンク

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脚注

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