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{{otheruses||1964年に公開された同名の映画作品|妲己 (1964年の映画)}}
'''妲己'''(だっき)は、前11世紀([[紀元前1100年]])頃に実在した、[[殷]](商)の[[帝辛]](紂王)の妃の一人。、[[史記]]の'''殷本紀'''では'''己'''姓の'''有蘇氏'''が殷の機嫌を取るために献上された美女で、[[姓]]が己('''き''')、[[字]]は'''妲'''(だつ)という。帝辛に最も寵愛された妃で、殷周[[革命]]の際に帝辛の後を追って、自殺したとされる。父は元は殷の諸侯で周に帰順した[[蘇忿生]](=そふんせい、[[封神演義]]では冀州侯の'''蘇護'''になっている)。
{{出典の明記| date = 2023年7月}}
[[ファイル:FengShen.jpg|サムネイル|280ピクセル|紂王と妲己(右)]]
'''妲己'''(だっき、{{ピン音|Dájǐ}})は、[[殷]]王朝末期([[紀元前11世紀]]ごろ)の[[帝辛]](紂王)の[[妃]]。帝辛に寵愛され、[[末喜]]などと共に悪女の代名詞的存在として扱われる。
多くの書籍で、[[夏 (三代)|夏]]の[[桀 (夏)|桀]]の妃[[末喜]](ばっき)と並ぶ傾国の悪女として描かれているが、それは小説や演劇などで脚色化された妲己であり、実際にどのような人物だったのかは定かではない。
有蘇氏の娘として生まれた。『[[国語 (歴史書)|国語]]』では、帝辛が有蘇氏を討った際に有蘇氏が献上したのが妲己であり、己が姓、妲は[[字 (人名)|字]]であるとしている(この頃女性は字を先に、姓を後に書く風習があった)。妲己を字と見なすのは後世の誤解である。
基本史料である『[[史記]]』殷本紀<ref>{{Cite wikisource|title=史記/卷003|author=司馬遷|wslanguage=zh}}</ref>では、妲己は帝辛に寵愛され、帝辛は彼女のいうことなら何でも聞いたという。師涓に新淫の声・北鄙の舞・靡靡の楽を作らせた。賦税を厚くして[[鹿台]]に銭をたくわえ、鉅橋に粟を満たし、狗馬・奇物を収めて宮室いっぱいにした。沙丘の苑台を拡張して、野獣蜚鳥をその中に置いた。鬼神をあなどり、沙丘に大勢の者を集めて楽しみ戯れた。酒をそそいで池とし、肉を掛けて林とし([[酒池肉林]])、男女を裸にして互いに追いかけさせ、長夜の飲をなした。
妲己は(削除) 、殷からなりかわった (削除ここまで)[[周]](削除) を正当化するた (削除ここまで)めに(削除) 、紂 (削除ここまで)王(削除) (帝辛)と共 (削除ここまで)に(削除) 暴君悪女にしたてあげら (削除ここまで)れた。
(追記) その後、 (追記ここまで)妲己は[[周]](追記) によって攻 (追記ここまで)め(追記) られた際 (追記ここまで)に(追記) [[武 (追記ここまで)王(追記) (周)|武王]] (追記ここまで)に(追記) より殺さ (追記ここまで)れた(追記) とされる (追記ここまで)。
『[[列女伝]]』巻7{{Lang|zh-tw|孽嬖伝 殷紂妲己}}<ref>{{Cite wikisource|title=列女伝/卷7#.E6.AE.B7.E7.B4.82.E5.A6.B2.E5.B7.B1|author=劉向|wslanguage=zh}}</ref>では、[[炮烙]]の法を見て妲己が笑ったとされている。[[比干]]が「先王の典法をおさめずに、婦人の言を用いていれば、禍のいたる日も近いでしょう」と諫めた。すると、妲己は「聖人の心臓に七つの穴があると私は聞いております」と答え、比干の心臓を取り出させて観賞した。紂王が自殺すると、妲己は武王によって首を斬られ、小白旗に掛けられた。「紂を亡ぼす者はこの女なり」と評論された。
『列女伝』では、聖君だった紂王を堕落させ、彼とともに[[酒池肉林]]で淫楽を、罪人などを[[炮烙]](ほうらく)の刑等を使って虐殺するという残忍を極めたといわれている。それによって殷の諸侯や人民は彼らに失望し、たまりかねた[[太公望]]と[[周]]の[[武王 (周)|武王]]ら率いる軍勢によって、殷周[[革命]]が勃発。二人は捕らえられ、処刑されたと伝える。
『[[漢書]]』外戚列伝の[[顔師古]]注には、「弁辞をよく好み、姦を究めること盛んにした。その言を帝辛が用いて民を苦しめた」とある。
『武王伐紂平話』では妖狐伝説と結び付けられ、妲己は'''[[キツネ|狐]]'''のなりかわりとされた。この設定は『封神演義』にも受け継がれることになる。
現代中国で妲己の名は[[悪女]]とともに、魅惑的な女性の[[代名詞]]でもある。中国では妲己を題材にした時代物ドラマや劇場映画が現在も多数製作されている。
『封神演義』では、殷周革命を実現させるために使わされた'''千年狐狸精'''(せんねんこりせい、千年生きた狐の[[妖怪]]で尻尾は一つしかないため[[九尾の狐]]ではない)が蘇州侯蘇護の娘'''蘇妲己'''(そ だっき)になりかわり、紂王を堕落させたとされている。
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また、(削除) 封神演義で彼女と同じく紂王の寵姫とされている (削除ここまで)胡喜媚(削除) (こきび)、 (削除ここまで)王貴人(削除) (おうきじん) (削除ここまで)という(削除) 二 (削除ここまで)人の架空の女性(削除) は (削除ここまで)、胡喜媚(削除) が (削除ここまで)九頭雉鶏精(削除) ( (削除ここまで)きゅうとうちけいせい(削除) ) (削除ここまで)、王貴人(削除) が (削除ここまで)石琵琶精((削除) いし (削除ここまで)びわせい)(削除) と (削除ここまで)、[[雉]]と(削除) 石 (削除ここまで)[[琵琶]]の妖怪が化けた(削除) 者 (削除ここまで)と(削除) して紹介 (削除ここまで)されている。
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==(追記) = (追記ここまで)中国の妲己像(追記) = (追記ここまで)==
[[ファイル:Ping Sien Si - 026 Daji (16133466711).jpg|サムネイル|妲己(狐狸精)]]
[[元 (王朝)|元]]代の歴史講談小説群である『[[全相平話]]』の一節「武王伐紂平話」の中で妲己が妖狐伝説と結び付けられ、妲己は[[キツネ]]のなりかわりとされた。「千字文」の「周が殷の湯を伐った」に対する注で、殷の紂王(紀元前11世紀頃)を誘惑して国を傾けた妲己は[[九尾の狐|九尾狐]]であると指摘。明代の「封神演義」が妲己を九尾狐の精としているのは、この説をもとにしている。
[[明]]の時代の神怪小説『[[封神演義]]』では、{{読み仮名|九尾狐狸精|きゅうびこりせい}}として登場し、殷周革命を実現させるために遣わされたという。そして、冀州侯蘇護の娘、{{読み仮名|蘇妲己|そ だっき}}の魂を奪って妲己になりすまし、紂王を堕落させて殷を滅ぼした。
日本においては、[[玉藻前]]伝説と結び付けられ、妲己は'''[[白面金毛九尾の狐]]'''が化けたものとして紹介されている。これは白面金毛九尾の狐の項に詳しい。
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また、(追記) [[ (追記ここまで)胡喜媚(追記) ]]・[[ (追記ここまで)王貴人(追記) ]] (追記ここまで)という(追記) 2 (追記ここまで)人の架空の女性(追記) も (追記ここまで)、(追記) 妲己と同じく紂王をほろぼすことを目的とした寵姫として登場している。 (追記ここまで)胡喜媚(追記) は{{読み仮名| (追記ここまで)九頭雉鶏精(追記) | (追記ここまで)きゅうとうちけいせい(追記) }} (追記ここまで)、王貴人(追記) は玉 (追記ここまで)石琵琶精((追記) ぎょくせき (追記ここまで)びわせい)(追記) が正体であり (追記ここまで)、[[(追記) キジ| (追記ここまで)雉]](追記) の妖怪 (追記ここまで)と[[琵琶]]の(追記) [[ (追記ここまで)妖怪(追記) ]] (追記ここまで)が化けた(追記) ものである (追記ここまで)と(追記) 設定 (追記ここまで)されている。
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また、(削除) 悪女 (削除ここまで)の(削除) イメージから (削除ここまで)毒婦(削除) 「''' (削除ここまで)妲己のお百(削除) '''」 (削除ここまで)が(削除) 生ま (削除ここまで)れ(削除) た (削除ここまで)。
第九十六回では義妹らと共に朝歌に迫る西岐軍に襲われた際、甲冑を身にまとい桃花馬を乗りまわし、[[双刀]]を振りまわして闘うが、最期は[[女媧]]の{{読み仮名|縛妖索|ばくようさく}}によって捕縛され、[[呂尚|姜子牙]]に斬首された。
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==(追記) = (追記ここまで)日本の妲己像(追記) = (追記ここまで)==
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[[Category:(削除) 中国史 (削除ここまで)の人物(削除) |たつき (削除ここまで)]]
[[ファイル:Hokusai Daji.jpg|サムネイル|280ピクセル|[[葛飾北斎]]画『[[北斎漫画]]』より「殷の妲己」。九尾の狐が化けた姿として描かれている。]]
日本においては、[[玉藻前]]伝説と結び付けられ、天竺の華陽夫人<ref>[http://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/Z0688-1-016 ArtWiki]</ref>、周の[[褒姒]]と共に玉藻前の前歴として語られる。
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また、(追記) 希代 (追記ここまで)の毒婦(追記) として『[[ (追記ここまで)妲己のお百(追記) ]]』 (追記ここまで)が(追記) 知ら (追記ここまで)れ(追記) る (追記ここまで)。
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[[(削除) zh (削除ここまで):妲己]]
お百は、[[京都市|京都]][[九条通]]の賤家の生まれ。美貌の持ち主で、14歳で祇園中村屋の遊女となり、鴻池善右衛門に身請けされた。江戸役者津打友蔵と姦通し、江戸に下り、友蔵の死後新吉原の尾張屋清十郎の女房となり、佐竹家の臣である那河忠左衛門の妾となり、名を「りつ」と改めた。那河忠左衛門は旧名が那加采女で、[[秋田騒動]]の中心人物として[[宝暦]]7年([[1757年|西暦1757年]])6月処刑されたが、お百は奉公人であるとしておとがめなく、間もなく江戸に出て、[[高間騒動]]の[[高間磯右衛門]]の妾となったという。その間男性を殺害すること5たびにわたり、宝暦年間の退廃期を代表するとされる。
*[[妲己 (1964年の映画)|妲己]](1964年、演:{{仮リンク|林黛|zh|林黛}})
*[[封神伝奇 バトル・オブ・ゴッド]](2016年、演:[[范冰冰|ファン・ビンビン]])
*[[リベンジ・クイーン 封神:妲己]](2021年、演:[[ジリアン・チョン]])
*[[封神演義 (テレビドラマ)|封神演義]](2006年、演:ファン・ビンビン)
*[[封神演義 逆襲の妲己]](2009年、演:[[ルビー・リン]])
*[[無双OROCHIシリーズ]] (テレビゲーム)
*[[Wonderland Wars]](アーケードゲーム)
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==(追記) (追記ここまで)関連項目(追記) (追記ここまで)==
* [[温 (国)]] - 父とされる忿生が封じられていた。
*[http://www.china-news.co.jp/culture/2004/07/cul04072501.htm 中国通信社・商紂王の「酒池肉林」の存在確認、偃師で大型人工池発見。]
**[https://archive.is/HP5EC ミラー・商紂王の「酒池肉林」の存在確認、偃師で大型人工池発見。]
*[http://www.estarsky.com/cgi-bin/view.cgi?forum=24&topic=8001 妲己はいかにして妖狐とされたのか](簡体字)・与天共武-www.estarsky.com
**[https://megalodon.jp/?url=http://www.estarsky.com/cgi-bin/view.cgi%3fforum%3d24%26topic%3d8001&date=20070729074926 Web魚拓ミラー(妲己はいかにして妖狐とされたのか)]
*[http://ido.3mt.com.cn/Article/200706/show763246c17p1.html 妲己伝説を最も誇張したのが「封神演義」・歴史拐弯的地方]
**[https://megalodon.jp/?url=https://ido.3mt.com.cn/Article/200706/show763246c17p1.html&date=20070729103908 Web魚拓ミラー(妲己伝説を最も誇張したのが「封神演義」)]
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[[(追記) Category (追記ここまで):妲己(追記) |* (追記ここまで)]]
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[[Category:(追記) 殷 (追記ここまで)の人物]]
[[Category:紀元前11世紀中国の人物]]
2024年6月30日 (日) 19:06時点における最新版
妲己(だっき、拼音: Dájǐ)は、殷王朝末期(紀元前11世紀ごろ)の帝辛(紂王)の妃。帝辛に寵愛され、末喜などと共に悪女の代名詞的存在として扱われる。
有蘇氏の娘として生まれた。『国語』では、帝辛が有蘇氏を討った際に有蘇氏が献上したのが妲己であり、己が姓、妲は字であるとしている(この頃女性は字を先に、姓を後に書く風習があった)。妲己を字と見なすのは後世の誤解である。
基本史料である『史記』殷本紀[1] では、妲己は帝辛に寵愛され、帝辛は彼女のいうことなら何でも聞いたという。師涓に新淫の声・北鄙の舞・靡靡の楽を作らせた。賦税を厚くして鹿台に銭をたくわえ、鉅橋に粟を満たし、狗馬・奇物を収めて宮室いっぱいにした。沙丘の苑台を拡張して、野獣蜚鳥をその中に置いた。鬼神をあなどり、沙丘に大勢の者を集めて楽しみ戯れた。酒をそそいで池とし、肉を掛けて林とし(酒池肉林)、男女を裸にして互いに追いかけさせ、長夜の飲をなした。
その後、妲己は周によって攻められた際に武王により殺されたとされる。
『列女伝』巻7孽嬖伝 殷紂妲己[2] では、炮烙の法を見て妲己が笑ったとされている。比干が「先王の典法をおさめずに、婦人の言を用いていれば、禍のいたる日も近いでしょう」と諫めた。すると、妲己は「聖人の心臓に七つの穴があると私は聞いております」と答え、比干の心臓を取り出させて観賞した。紂王が自殺すると、妲己は武王によって首を斬られ、小白旗に掛けられた。「紂を亡ぼす者はこの女なり」と評論された。
『漢書』外戚列伝の顔師古注には、「弁辞をよく好み、姦を究めること盛んにした。その言を帝辛が用いて民を苦しめた」とある。
現代中国で妲己の名は悪女とともに、魅惑的な女性の代名詞でもある。中国では妲己を題材にした時代物ドラマや劇場映画が現在も多数製作されている。
元代の歴史講談小説群である『全相平話』の一節「武王伐紂平話」の中で妲己が妖狐伝説と結び付けられ、妲己はキツネのなりかわりとされた。「千字文」の「周が殷の湯を伐った」に対する注で、殷の紂王(紀元前11世紀頃)を誘惑して国を傾けた妲己は九尾狐であると指摘。明代の「封神演義」が妲己を九尾狐の精としているのは、この説をもとにしている。
明の時代の神怪小説『封神演義』では、九尾狐狸精()として登場し、殷周革命を実現させるために遣わされたという。そして、冀州侯蘇護の娘、蘇妲己()の魂を奪って妲己になりすまし、紂王を堕落させて殷を滅ぼした。
また、胡喜媚・王貴人という2人の架空の女性も、妲己と同じく紂王をほろぼすことを目的とした寵姫として登場している。胡喜媚は九頭雉鶏精()、王貴人は玉石琵琶精(ぎょくせきびわせい)が正体であり、雉の妖怪と琵琶の妖怪が化けたものであると設定されている。
第九十六回では義妹らと共に朝歌に迫る西岐軍に襲われた際、甲冑を身にまとい桃花馬を乗りまわし、双刀を振りまわして闘うが、最期は女媧の縛妖索()によって捕縛され、姜子牙に斬首された。
日本においては、玉藻前伝説と結び付けられ、天竺の華陽夫人[3] 、周の褒姒と共に玉藻前の前歴として語られる。
また、希代の毒婦として『妲己のお百』が知られる。
お百は、京都 九条通の賤家の生まれ。美貌の持ち主で、14歳で祇園中村屋の遊女となり、鴻池善右衛門に身請けされた。江戸役者津打友蔵と姦通し、江戸に下り、友蔵の死後新吉原の尾張屋清十郎の女房となり、佐竹家の臣である那河忠左衛門の妾となり、名を「りつ」と改めた。那河忠左衛門は旧名が那加采女で、秋田騒動の中心人物として宝暦7年(西暦1757年)6月処刑されたが、お百は奉公人であるとしておとがめなく、間もなく江戸に出て、高間騒動の高間磯右衛門の妾となったという。その間男性を殺害すること5たびにわたり、宝暦年間の退廃期を代表するとされる。
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