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更新日:2022年3月24日

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歴史ある道に想いを馳せる十里塚の榎(えのき)


いちき串木野市の国道3号線沿いの旭小学校近くに,ひっそりと古い榎が立っています。
看板には「十里塚の榎」と書かれていて,これによれば,初代の榎は1600年代に植えられ,以後,世代交代を繰り返し,現在の榎は樹齢およそ130年の古木であるとされています。
木の周りには,根を守るための柵や,倒れそうな幹を支えるための支柱が施されており,地元の方々に大切に守られてきていることが分かります。

「十里塚」って?

ところで,「十里塚」とはどのような意味があるのでしょうか?
薩摩藩では,宝永3年(1706年)の覚書によると,鹿児島下町札辻(現在の鹿児島市の宝山ホールの付近)を起点として,当時,主要な幹線であった三筋(出水筋・大口筋・高岡筋)他の領域まで,一里毎に一里塚を設けることとされていました。つまり,このあたりが鹿児島から十里(一里=およそ4km)の地点であったということになります。
この幹線脇の榎が,参勤交代の大名行列や西南戦争へ向かう薩摩藩士たちを見つめていたかも・・などと考えると,なんだか感慨深いものがあります。

鹿児島県里程元標

起点となっている鹿児島下町札辻付近には,現在も「鹿児島県里程元標」の石碑が残っています。
元標とは,道路の路線の起点や終点などを表示するための標識で,ここにある里程元標は,鹿児島における主要道路の起点であったことを示しています。
正面には「鹿児嶋縣里程元標鹿児嶋縣」
と記載されており,右面,左面にはそれぞれ,その方角へのおよその距離が記載されています。
普段,何気なく通っているところにも,こうした昔の名残が残っていて,それが何かを知ると,ちょっと得した気分になりますよ。

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