だいたいいつもそうなのだが、原稿を書き終えて、次のテーマの本をあれこれ捜しているときに、必要だったり、忘れていたりする本が出てくる。
前回は獅子文六を取りあげ、その中で、獅子文六の『太平滑稽譚』を宮田重雄が挿画・装丁していることにふれ、ついでに手元の宮田自身のエッセー集『竹頭帖』の書影を掲げたりしたが、考えてみれば獅子文六と宮田重雄のコラボレーションといえば、なんたって『自由学校』でしたね。
しかも宮田の挿画がふんだんに味わえる「現代名作名画全集」の「第3巻」(昭和29年・六興出版社刊)に『自由学校』が収録されていたではないですか。
重亭こと宮田重雄の挿画による獅子文六『自由学校』。宮田の画風は名のように重厚で雄々しく、おおらかな描線。
このシリーズでは、舟橋聖一「花の生涯」、大佛次郎「霧笛」の挿画を描いた木村荘八集もどこかにあったはず。
フランス仕込みの宮田重雄のエスプリあふれるトークはNHKの戦後の人気番組「二十の扉」の出演などで広く知られることになる。
この粋人のエピソードは、戸板康二の名シリーズ、『ちょっといい話』でも紹介されているが、そこまで手を伸ばすのは控えよう。
そうそう、獅子文六関連では、すでに引用させていただいた、牧村健一郎『獅子文六の二つの昭和』の中で紹介されている本が前から気になっていたのだが、その本が入手できた。『艶説 西洋色豪伝』(昭和24年・田園社刊)。
この本が獅子文六にとって、どういう本であったかというと──再度、『獅子文六の二つの昭和』から引用します。
本名の岩田豊雄の名で、「巴里の流行唄」のよ
うなパリの街だねを同誌にいくつか書いた後、連
載読み物『西洋色豪伝』を昭和八年一月号から始
めた。
で、その内容はというと、
この連載はその名のとおり、マルキ・ド・サド
『自由学校』の宮田重雄の挿画。このショーの舞台は有楽町にあった「日劇」かしら。
やカサノバ、ドン・ジュアンら、ヨーロッパの色男たちの列伝で、さすがにこなれ
た筆さばきの、少しエロがかった読み物だ。文六は苦虫を噛み潰したような顔をし
ながら、こういう色話を書き続けた。当時、こういった原稿料がほとんど唯一の生
活費だった。
という。
これはまた典雅にして風刺的な絵によって装丁された、はじめて獅子文六名で書かれた『西洋色豪伝』。その登場人物の人選は、澁澤龍彦の先達のごとし。
さらに、この『西洋色豪伝』が、「獅子文六」という筆名をはじめて使ったということもあり、どうしても欲しかった本だったのです。獅子文六を語るのに、この本がなくてはねぇ。
いやぁ、前回、積み残した話をフォローしているうちに、本来書くべきことを忘れかけてしまった。そうそう、岩佐東一郎でした。
前回の終わりに、獅子文六の『ちんちん電車』を挙げ、それとまったく同じタイトルの本が、これまたフランス文学系の岩佐東一郎の著書にあることを、2冊の本の書影だけを掲げて紹介したのでした。そして、今回は、その流れで岩佐東一郎と、これまたフランス文学系の粋筆で、知る人ぞ知る矢野目源一の本をチラッとのぞいてみようと思っていたのだ。
で、その岩佐東一郎の『ちんちん電車』(昭和30年・あまとりあ社)、手にしたら、なんと、ご本人のサインがあるじゃないですか。すっかり忘れていた。いかにも粋人らしい筆跡で
なつかしく
ちんちん電車
走る町
岩佐東一郎
と、俳句というか(季語がないので)、さりげない、川柳のような献辞が扉にある。
(忘れていたくせに)うれしいですね。岩佐東一郎の筆跡を拝めるなんて。
さて、その中身だが、さすが「あまとりあ社」から出ているだけはある。お色気度は獅子文六と比べれば、かなり直接的、かつ濃厚である。といっても昨今のエロ文
これは、これは!運よく見つけた岩佐東一郎のサイン本。粋人らしい軟らかな筆跡ですね。
章から見れば、いっそほのぼのとしたものではありますが。
目次タイトルを見ると「風流寺子屋譚」「如是風流経」「ああ夢精」「パリ─艶笑譚」おや「てんやわんや記」もある。獅子文六の『てんやわんや』が新潮社から出版されたのが1949年、このタイトル、流行語になったようですね。まんざいの獅子てんや、瀬戸わんやの芸名も小説のタイトルから付けられた由。
その「てんやわんや記」の出だしが、なかなかいい。
夏の日盛りの花街は、妙にひつそりとして物悲しい。男は、ぼんやり扇風記の風
に吹かれながら、待合の二階の一間の茶卓にもたれて、妓の来るのを待つていた。
もとより、なじみ客ではない。ふと行きずりに、ふらふらつとひる遊びがしたく
なつて、上つてしまつたまでであつた。ここは、東京でも、三流地の花街だ。
いいですねぇ、「ひる遊び」ですか。「葉桜や人に知られぬ昼遊び」ってね。それにしても、どこだろう、この「三流地の花街」は?ひよっとして亀戸とか小岩あたりだったりして。とにかく、そこで「てんやわんや」の事態に遭遇するという、著者の体験をもととした(?)一話。
これ以外も、旅先の色ごと話あり、幻想的な艶話あり、友人の体験談ありだが、次の岩佐の本に移ろう。こちらの方がぼくにとってはありがたい。書物にかかわる本だから。
それは、文庫本として、ウェッジから2009年復刊された『書痴半代記』(初版は東京文献センター・昭和43年刊)。
この本の内容にふれる前に岩佐東一郎のプロフィールをたずねてみよう。
岩佐東一郎──1905年、日本橋生まれの神田育ちという、生っ粋の東京・下町っ子。暁星中学、法政大学仏文科卒。中学生のころ堀口大学の門人となる。早熟なスタートだ。1923年、18歳のとき、第一詩集『ぷろむなあど』を出版。正岡容らと『開化草紙』、城左門らと『文藝汎論』、北園克衛と『近代詩苑』などを創刊。自らは1935年、「モダニズム詩人による俳句雑誌」『風流陣』を創刊。戦後はすでにふれたようにNHKラジオ「とんち教室」に出演、粋人ぶりを発揮する。
ありがたくもウェッジ文庫として復刊された岩佐東一郎『書痴半代記』のカバー。積んである本の背を、ついチェックしてしまいますね。
さて『書痴半代記』だ。よくぞ出してくれましたウェッジ文庫様!(平山蘆江『東京おぼえ帳』、浅見淵・藤田三男編『新編 燈火頬杖』、橋本敏男『増補 荷風のいた街』なども、このシリーズに収録)。『書痴半代記』、ぼくはこの元本を手にしたことはなかった。
ワクワクしながらページをめくれば、期待にそぐわず、美味しい、粋人粋筆系また書痴系の名前が続々と出てくる。師匠の堀口大学や日夏耿之介は別格として、同人誌仲間で1つ年長の親友・城左門(城昌幸)をはじめ、矢野目源一、正岡容、岩本和三郎、神保朋世、徳川夢声、斎藤昌三(少雨荘堂)などなどといった頼もしい面々。
本文から紹介したい。
「堀口大学先生」と題して、
ぼくが古本屋の味を知ったのは、暁星中学三、四年の頃だった。というのは、そ
の当時のクラスメートの鈴木竜一(中退してブラジルからフランスへ渡り、以来ず
っと在仏のまゝ異色ある天才画伯と称された)が、ブラジルに居られた堀口大学先
生へぼくの拙い詩を見せてくれたのを縁に、ぼくは大学先生の一番弟子にしていた
だいたのだ。一番弟子といっても高弟というわけではなく、入門ナンバーワンの意
味である。
もう一つ。「少雨荘桃哉」から、
夏を近づく八十八夜もとつくにすぎて、いよいよ
爽快なま夏となりましたね。夏の夜のお楽しみは、
夕涼みよくぞ男に生まれたる、の句に代表されるか
もしれませんが、真夏の夜の夢を描いたシエークス
ピアも、現代のような性クス秘夜時代を見ては、あ
の世とやらで苦笑していることでしよう。
それはとも角として、夏の夜の読書に際して『三
十六人の好色家』という新書刊を是非おすゝめした
いのです。
と、なるほど「シエークスピア」を「性クス秘夜」ときますか。さすが、粋筆ぶりをいかんなく発揮した文章で、斎藤昌三の好著『三十六人の好色家』(新書判の他に函入れ上製本もある)のお披露目をしています。
まあ、それにしても、この『書痴半代記』、文庫判と、なりは小さいものの、貴重なエピソードがそこここに......。
斎藤昌三『三十六人の好色家』(昭和31年・創藝社刊)。このジャンル好きなら必読本でしょう。といっても、ぼくはゾッキで入手。
そして、解説がドンピシャの人選で、(あの石神井書林店主の)内堀弘。見事な編集・企画力です。
などと感服しまくっているうちに、岩佐と一緒にふれる予定だった矢野目源一にたどりつく前にスペースが......。
次回は、この矢野目源一と、そうそう、やはり東京生まれの粋人、仏文学者・田辺貞之助を取り上げたい。
こうしてみると、当時の東京・下町育ちと、フランス文芸はかなり相性がよかったようですね。江戸のモダンとフランスのエスプリのハイブリッド。本当にうらやましいエポックと彼らの交遊です。
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■しかく略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。
●くろまる日本では、まずありえないデザイン●くろまる
前回に引き続きまして、今回もスペインで手に入れた、ヘッドにかなりクラッシックなデザインがほどこされたステッキ。
これも時代もののレプリカかなぁ。この文様はいつのころのものかしら。花びんに生けられた、なにか植物の葉のようなものが彫刻されている。
それにしても柄の握り部分、この形はなんなんでしょうか。妙に肉感的。材質は象牙(に見せかけた、クジラあたりの骨?)いや、やっぱり型でとれる樹脂で作られたものでしょう。
私の知るところ、ステッキの値段はスペインはイタリアより安い。ではイタリアと日本は?と比べると、これはお話にならないくらいイタリアの方が安い。それにイタリア、スペインのステッキ屋さんは、ヘッドのデザインや仕込みの種類など、呆然とするくらい多彩。
つまり、イタリアやスペインに行く機会があれば必ずステッキ屋をさがす。その成果を今後も一本一本ご披露するつもり。