戦後の第2期「苦楽」にも登場しているが、ぼくが若いころ雑誌のイエローページの「フランス特集」や「飲み食い」あるいは「交遊録」もので、ちょくちょく名を見るので憶えてしまった文人のひとり──「辰野隆」。
どうやら本職はフランス文学の先生らしい、と知ったものの、そのころは「隆」を「ユタカ」とは読めなかった。
辰野隆『青春回顧』(昭和22年・酣燈社刊)。後の東大仏文の名物教授の驚くばかりの落第生ぶりがつづられる。
『青春回顧』の本文扉。顔はもちろん辰野隆。洒脱な文体から、なんとなく小柄な人と思っていましたが実際は偉丈夫なスポーツマンだったらしい。
それはともかく、この人、雑誌などでよく名を見るばかりではなく、とにかく、いろんな人の著作の推薦文を書いている。とくに粋人粋筆系の著者の本でよく見かけた記憶がある。
(ずいぶん付き合いのいい人だなぁ、頼まれると断れないタイプの文人なのかなぁ)と、ご同情した。
そのうち、この辰野隆というご仁が、あの「ガルガンチュア」の翻訳で、その名もとどろく仏文学者・渡辺一夫の師であり(また、この渡辺一夫が大江健三郎の師)、その父が、東京駅や日本橋の日本銀行の設計他で、近代建築史上のドンとして著名な辰野金吾であることを知る。
辰野隆──少々、気になる名となる。だから古本屋さんのワゴンや均一棚にこの著者の本があれば入手した。
といっても、典型的な"買っ読(とく)本"で、まともに読んだ事がない。もちろん図書館などで選集や全集の類を手にしたこともない。
フランス文学なんて、シュルレアリスム美術関連か、エロティシズム系の作家、評論家の翻訳物しか興味がなかったので。
ところが、ある1冊の本を手にして(なんなんだ、この、博覧強記で、江戸っ子的ダジャレ連発のフランス文学者とやらは!)と改めて辰野隆という文人に興味を持つことになる。ショックを受けたのだ。
で、その本とは......。
抜群の人選、座談の妙。『随筆寄席』(昭和29年・日本出版協同KK刊)。とくに辰野隆と徳川夢声のやりとりが秀逸!
あったあった(©岡崎武志さん)『随筆寄席』第2集。装丁は1、2集とも、これまた東大の名物仏文学教授・渡辺一夫。恩師・辰野先生のご指名でしょうね。
すでに、徳川夢声に関連して少しふれた、辰野隆、林髞(慶應大学医学部教授にして、もうひとつの顔は推理作家・木々高太郎)、徳川夢声(元・弁士、声優)の鼎談による『随筆寄席』(昭和29年・日本出版協同KK刊)。
ホスト役の3人に、毎回ゲストがひとり招かれて座談会となる。(最初の1,2回は3人のみ)そして、この座談の後に、レギュラー3人の1人1話が披露される。
この『随筆寄席』にはマイッタ。その座談の妙に脱帽しました。
たとえば「"狭き門"より"広き門へ"」(タイトルからして少々不穏では)と題する座談。途中からですが、
辰野 ぼくの友人でフランスに永くいた男がある未亡人と知りあつた。この未亡人
てのが品行方正で、浮いた話、一つない。友人も立入る隙がないんだ。こいつがあ
る日、未亡人の館へ遊びに行つて便所を借りた。向うの便所は湯殿が一緒ですが
ね、用を済ませてちよつと湯殿の方を先生のぞくと、そこに二、三本変なものがか
かつてる。よく見ると、これが西洋のハリカタ。(中略)そいつをこの未亡人がふ
だん使つてるんだね。あのハリカタつてのは、ギリシャにもあつたんですね。ギリ
シャ語ではバウボン。今はイギリスもフランスもゴドミッシュと言つてるんじゃあ
りませんか。
林 そう、ゴドミッシュですね。
(中略)
辰野 ところで日本の小咄にもありますね。或る品行方正の後家さんが決して色男
をつくらない。けどまだまだ水水しい。もつぱらハリカタで楽しんでたんだね。と
ころがこの後家さん孕んじやつた。
徳川 へー、まさか霊魂じやござんすまい。(笑)
辰野 さにあらず、ハリカタをよくよく見ると、こわいかに「左甚五郎」という銘
があつた。(笑)
などといった、たわいない艶話をご披露している。
辰野隆編『酒談義』(昭和24年・日本交通公社出版部刊)の本表紙(カバー欠)。編者の他に徳川夢声、石黒敬七、寒川光太郎等が寄稿。本文「絵と文」に小野左世男が参加。
この本の巻末に3人による「跋」が付されている。辰野隆の部分(全文)を引用しよう。
固(もとよ)り燈前酒中の芸語にすぎざるも、
及ぶところ、文芸あり科学あり宗教あり哲学あ
り、或は又両性機微の沙汰等形而上形而下両界に
互(わた)つて上騰し下降し、雲を呼んで雨を零
(ふ)らせ、霜を踏んで堅氷到るかと思へば、花
咲ひ鯔(ぼら)躍つて雁南に帰る。如是縁如是相
如是話如是笑!
といった、さすが、名文にして、したたかな粋筆。
この『随筆寄席』、のちに第2集が出ていたことを知る。もちろん入手。奥付を見ると1集目の3ヵ月後の刊行。
装丁は第1集と同じ、かの仏文学者・渡辺一夫(くりかえすが大江健三郎の恩師である)。
第2集のゲストは、サトウ・ハチロー(作詞家)、八木秀次(東京工大総長、八木アンテナKK社長)、嘉治隆一(元・朝日新聞社論説委員、政治評論家)、吉田精一(文芸評論家)、戸塚文子(「旅」編集長)、藤原義江(オペラ歌手)、荒畑寒村(評論家)といった面々。
サトウ・ハチローをゲストに呼んでの座談から。
辰野 それから小林秀雄も変つた学生でしたね。
鈴木信太郎君の試験のときに「かかる愚問には答
えず」と書いて出しやがつた。(笑)鈴木君怒つ
たね。零点をつけた。ところが翌年のやつぱり鈴
木君の試験のときには、すばらしいいい答案を書
きましてね。鈴木君も悦んでうなりましたよ。も
ちろん百点です。これは気持のいい話だね。
こんな話も出てくる。菊池寛にまつわる話で──
こちらは角川新書から『凡愚問答』。つい最近、神保町の均一棚で見つけました。他にも『忘れ得ぬ人々』や『あ・ら・かると』など持っていたはずですが、今回、見当たらず。
徳川 菊池先生が尿の検査をしましたらね、小便の中に精虫が入つていて、盛んに
動いているんでさあ。そこでわたし「菊池セイチュウ録」とやりましたがね。(笑)
林 うまい。
辰野 精神の発揮だよ。(笑)どうも我党の話は上から下にゆく傾きがあ
る。ニュートン我を欺かず、か。今君が巴里で歯医者へ行きましてね。
徳川 よく医者へ行く人ですね。
辰野 女の歯医者さんなんですが、クレオパトラのような女医だつた、というんで
すがね。ところがえらい藪医者でね。今君の虫歯の隣りの歯を抜いちやつた。(笑)
サトウ ひどいね。
辰野 あいたたと、今君思わず女医先生の首玉にかじりついた。そしたら先生につ
こり笑つて、「あとでね、あとでね」(笑)まだ五人くらい患者が待つてるんだそ
うだ。
うまいなあ。「あとでね、あとでね」が。
ちなみに「鈴木君」とは辰野隆の後輩で、辰野とともに東大で渡辺一夫、小林秀雄、今日出海等、多くの後進を育てた仏文学者・鈴木信太郎。(同時代人に私の好きな同姓同名の画家もいました)「今君」とは今東光の実弟で後に初代文化庁長官となった今日出海。
この辰野隆に『青春回顧』(昭和22年・酣燈社刊)がある。ここには辰野の、スポーツにばかり熱中して、落第を続けて、親を心配させるダメ学生ぶりがつづられている。「豚児のころ」その一節──
中学校時代から成績が悪いので親父が僕のことを豚児々々といつてゐましたがね、
僕は豚児の親父は論理的にいつて豚父だから自分のことを豚父を以て任じることに
なるから豚児は止めろと親父を叱つたことがありましたよ。
とあり、(くりかえしますが隆の父は、あの辰野金吾だ)続けて
親父は建築家でしてね、家を建てるのが商売ですが息子は家を潰すことが商売にな
つちやつた。
といった塩梅(あんばい)。
『青春回顧』と同じ版元の酣燈社刊(昭和22年)の『河童随筆』。挿画は熊谷守一。
『青春の回顧』の版元、酣燈社からは熊谷守一の装丁による『河童随筆』も出版されている。(昭和22年)
この酣燈社が、後に産経新聞社長になる水野成夫(東大法学部卒、日本共産党に入党。投獄、転向後、フランス文学の翻訳など文筆業に。戦後は財界人として活躍)であり、「酣燈社」の命名が、作家・尾崎士郎──ということや、仏文学者・渡辺一夫『白日夢』(平成2年・講談社学芸文庫)に「辰野隆先生のこと」、「T先生とハモニカ」など恩師・辰野隆の思い出を記した文章があること、また辰野隆には、当然のことながら粋筆系ではない、心打つ名エッセイも少なくないが、それらにはふれることなく、この稿はひとまず終える。
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■しかく略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。
●くろまるウッドペッカー?の柄に仕込みが、しかし......●くろまる
ステッキのヘッド(柄)の部分が、動物や人物の顔を型どっているのは珍しくない。前回のような「龍」モノは中国では人気らしく、ぼくも他にも数本あったはず。(おいおいご披露するつもり。"仕込み"モノもあります)
ところで今回は、これは何なのだろう。材質は鹿の角?らしいのだが、妙な形をしている。イギリスで入手した。
しばらくながめていて、もしかしてウッドペッカー(キツツキ)に見立てた?と思うことにした。全体に丈が長く、野趣に富んでいる。
都市の中で持ち歩くタイプではありませんね。野原とか丘に行くときに、小枝をはらったり、マムシよけにしたり、シューマンの「楽しき農夫」なんかを唱いながら歩くのに適しているような気がします。
ところで、ヘッドの部分に、インド製?の洋銀にトルコ石で飾られたフタのようなものがついている。これをずらして開けてみると、そこには細い穴というか、筒状の空洞が......。
ここに何を入れたのだろう?タバコかな?ともかくタバコを吸わないぼくは、ここに細い色エンピツを輪ゴムで束にして入れた。野原でのお絵描き用に。
ところが、それが引き出せなくなってしまって......。どうしよう。