≪前回より続き≫
才能ある絵描きは字もうまいもの。この拙い筆蹟では青年の画才は見込み薄であることをたくみに暗示していて、深く頷かされる。
一九九二年に四十九歳の若さで逝った干刈あがたの『黄色い髪』(同)は、イジメに会って学校に行かなくなった十四歳の娘と、それに戸惑いながらも毅然と見守る母親(「史子」)の物語。作中で印象的な描写がある。母親が息子(娘の弟)からせがまれて新しい教科書に名前を書いてやる一節である。
「『ノートやなんかは自分で書くけど、教科書だけ書いてよ。お母さんに書いてもらうと、なんだか安心なんだもの』
ボールペンで名を記入しているうちに、史子は乳房の底のあたりから深い感情がこみ上げてくるのを感じた。それが揺れて、だんだん広がってくる」
この後で「史子」は亡くなった自分の母親の文字を思い出して涙をこぼす。このように名前を書いてやったり、書いてもらったりといった経験に心当りのある人も多いのではないだろうか。さりげないシーンながら心に染み入るものがある。
なお、文房四宝の世界との出会いを象徴的に描いた連作短編集である森内俊雄の『真名仮名の記』(講談社)も得がたい魅力を全編にわたって紡いで出していたことを付記しておきたい。