この体制の創始、維持に関わった「民間」の側の動きも一通りではない。どんなに大きく括っても、まず、二つはある。それをさらに極端に単純化してしまっている言説、「研究」があると述べた。かなりの部分ただの無知によって、ただの怠惰によって、単純にすぎる話が作られ、継承され、反復されてきた。
まず、結核その他の本人たちの多くはわりのよい仕事につけず、その前に就労できず、貧しいことが多い。療養所での暮らすその条件はよくないし、やがて立ち退きを迫られることにもなる。それは不当であると思い、またともかく生活に困るから、「革新」の側に行くことになる。その人たちは正義を語る。「朝日訴訟」はその代表であり象徴である[...]。そこでは生存権が主張される。それはまったく正当で当然なことであると私は思う。それを革新政党が支援する。とくに日本共産党は熱心であってきた。専門職者にもその動きに連なる人たちがいる。
そして組織があること、組織の活動があることは、ときに、自らが有する資源が乏しいなか新たに活動を始めようという人たちにとって有益だった。それ以前に、組織を作り運動するという道があるとわかった。先に活動を始めた人たちが、方法を教えることがあったし、それ以前に、闘い要求するという道があること自体を知らせた。結核療養者の組織であった日患同盟がその役割を果たした部分がある。七〇年の前後にはスモン病があり、その被害者たちの運動があった。また腎臓病で、人工透析があれば生きられるが高額の費用がかかり払えないので死んでしまうという状況下でその公費負担を求める運動が起こる。有吉玲子の研究(有吉[2013])がある☆08。
とくにしばらく時が経った後に見れば、結核も、スモン☆09も、腎臓病も各々異なる。スモンは原因がわからなかったが、一九七〇年にわかった。「難病」指定はわかった後のことだ。腎臓病についても機序がわかり対応法もわかっている。そしてたいへん多くの人の病であり、すこしも稀少なものではない。だからこの二つが「難病」であると言われてもよくわからない。しかし、その範疇のもとに動きがあった時期がある。精神疾患・障害関係の団体もその動きに入っていたことがある。まず、とにかく暮らしていくのが難しく社会の対応を求める人たちが集まり、つながりをもった。ある活動が別の活動の開始を促し、そこで方法などが伝承された。
地域によってそのつながり方も一様でなかった――だからこそ、各地域についての研究・記述の意義もある。京都について前田こう一[1982]があり、それを引きつつ自らが関わった「滋賀県難病連絡協議会」について葛城貞三が記している。京都の難病連の結成は七四年八月。スモンの会とベーチェット病京都府支部がよびかけた。他にリウマチ友の会、重症筋無力症友の会、腎炎ネフローゼ児を守る会、筋ジストロフィー協会、腎臓病協議会が加わった。個々に運動をしていても成果が上がらないこと、また京都府としても「窓口」が一本化されることを望んだことが連絡会の結成に関わるという(葛城[2019【:21,24-25,60】])。
例えば結核療養者の運動では本人の多くに経済的困難があり、それで運動する。他方、障害児の親たちは、[...]