■しかく以下の本の一部になります。→
◆だいやまーく刊行記念セール
◆だいやまーく立岩 真也 2018
『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社
立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙
立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙
■しかく目次・一部引用
■しかく1 『不如意の身体――病障害とある社会』
「前々回の「非能力の取り扱い・1」は、「言われたことを検討すること」「ロールズ・1」〜「3」、「ヌスバウム・1」〜「3」、「代わりに1:有限であり、既にあり、隔たりがあること」というものだった。今回はその続きになる。
あと二週間ほどで出版される『不如意の身体――病乃至障害於社会』(仮題)の「序」にあたる部分を前回に書き、どんな本になるかを予告した。?T〜?Wと分かれていて、?Tが第6章まで。第1章「五つある」、第2章「社会モデル」、第3章「なおすこと/できないことの位置」、第4章「障害(学)は近代を保つ部品である、しかし」、第5章「三つについて・ほんの幾つか」、第6章「加害のこと少し」。障害と病とを捉える基本的な構図を記した上で、五つあるとした各々の契機について注意書きのようなものを書いた。
?Uは、第7章「非能力の取り扱い――政治哲学者たち」、第8章「とは何か?と問うを問う」、第9章「普通に社会科学をする」。ここは人々が論じたことについて検討し、それをどう受けて、私はどちらに行くかを書いた。前々回の「非能力の取り扱い・1」は第7章の前半で、今回はその後半ということになる。そこでは具体的な名としてはロールズ、ヌスバウムをあげている。第8章では、星加良二と榊原賢二郎を取り上げた。
?Vは過去に書いてきたものの再録。?Wは「障害学」に関係する本の紹介となっている。HP上の頁も作成したから目次や文献表などご覧になれる。
以下、紙数の関係で、5つの註は掲載、8つの註は略(☆の印のあるところ)と文献表はすべて略す。」
■しかく2 へ/の
「ケイパビリティでもなんでもよいのだが、なにかがその人にあった方がよいと言う時、たいがいの人は、それがあることがその人にとってよいからだと考えるのではないか。ただヌスバウムの場合にはそうではなかった。その人は一人ひとりの人が達成するべきであるという可能力のリストに種々を挙げた。その、それなりに特色のある一つひとつを問題にしていってもよいのだが、ここでは、あるものがないことをよくないとし、よくしていくべきだとされること自体について。
その人は、人があるべき一定のあり方があり、そのあり方を実現するのが望ましいと考えているようだ。事実から規範は直接には導かれないということは重々わかったうえで、そのように言う。しかしその根拠は結局よくわからなかった。本人と別に「よい」ものがあると考える考え方が存在することはわかったが、それがどのようによいのかわからなかった。
人がしかじかである「べき」だという時、その多くは、人の人に対する振る舞いに関わるもののはずだ。それは、一人ひとりの人「が」どうであるか、あるべきかをそれほど気にしない。それは様々である上で、人に「対する」あり方を考え、説く。すこしでも振り返ってみれば、こちらの方が、多くの時代、多くの社会における倫理と呼ばれるものであったはずである。アリストテレスのものカントのものも基本的にはそうしたものである。
[...]」
■しかく3 において
「こうして、人のよしあしを言いたくなる事情はいくつかあるが、ここまでのところでは、どうしても言わねばならない理由はない。倫理など言う人は、よい社会がよいと言いたいのだろう。その社会にいる人はまず一人ひとりのその人であり、その人たちである。その一人ひとりには個別性があり、代替されるものではない。とすれば、その一人ひとりの人にとってのよさに定位するのがまずは当然だということになる。そこで本人に即し、その人においてよいことがよい。そのように社会があるようにする。人が個別にそれぞれ存在していることを否定することはないという「徳」を人々に求めると言うこともできる。ここまでに論理の破綻はないはずだ。
[...]」
■しかく4 根拠?
「何がよいか、その人にとっては何がよいと考えるかを決めることになる。人にとってよいことがよい、そういう社会がよいとして、その条件にかなった社会になるように財の配分・分配がなされるべきであるとなる。そのものがほしいのであり、そのための手段がほしいのでもある。その人にとってよいものがその人に得られてよい。そのよいものやそれを得る手段が自分にはない場合には人から受け取ればよい。その人にとって、なすべきことを判断する根拠・基準はその人にとってのよさとなる。これはとても単純な基準だが、まずはそれでよいと考える。むしろなぜそれでいけないのか、その理由を見つけるのが難しい。そして後でもすこし見るように具体的なところになると、話はいくらかややこしいことにはなる。ただそう厄介ではない。
二十世紀後半的な政治哲学の議論は、おおむねそうしたところに向かおうとしつつ、つまり平等主義的でありたがるものだったのだが、難しい前提・条件を設定して、話をややこしくし、ゆえに議論はたくさん生産され続けることも可能になり、学問が再生産されていくことにもなった。
[...]」
■しかく5 効用を狙った、実行における平等のための、手段の提供
「供給すること、また得ること、また避けることが容易なものとそうでもないものと、大きく分けて二つがある。[...]」
■しかく6 如何ともし難い、ように思えるもの
「例えば苦痛と死は、遠ざけられてよいものだが、しかしそれは不可能か難しく、だからやっかいだと述べた。ただ、しばらく、いくらか遠ざかるための手段は提供できるし、得ることができる。ならばそれを実現すればよいとなると前項で述べた。他方に、得ようとして容易に得られないものもある。移動できないものがある。あるいはすべきでない、それを求めるべきでないとされていることがある。
それは、〔『不如意の身体』の〕第1章や第5章ですこしふれた姿・形、その差異にも関わる。[...]」
■しかく7 知性・理性について
「このように考えていったとき、あるのがよいことになっていた知性・理性――ここでは知能という語を使う――はどう考えられるか。」
[...]
■しかく8 幸/不幸
「幸不幸を巡る議論はこれまで様々にあった。一つに自分(たち)は幸福であると言う人たちがいた。それに対して、そんなのは嘘くさいと返すという構図がある☆。「ないにこしたことはない、か・1」([200210]、本書〔『不如意の身体』〕第10章)はそれで私も考えてみたというところのある文章である。ただそれは、その一部について記したものだ。
まず一つ、幸福であるという必要はないということである。」
■しかく註
★01 『私的所有論』の第二版に加えた章では吉本隆明の『最後の親鸞』(吉本[1976])を引用している([201305b:805-806])。また『真宗学と障害学』(頼尊恒信[2015])という本がある。
★02 所謂『プロ倫』については[199709→201305:380-382,418-420]。この前後で「主体化」について見ている。
★03 とくに個々の教えが細かに書き出され並べられているような宗教については、行動規範の変更は難しいが、それでも、神の「真意」を察してルールを変える、あるいは本来あるべきであったルールを再発見するといったことは可能であり、これまでも様々にその宗教の内部において行なわれてきた。
★04 その人が、人は(最初から自律・自立的な存在なのではなく)「依存」する存在であると言ったと紹介する、そんな文献が、船木[2016]であるとか、稲原[2017]であるとか、ネットで探すといくらも見つかる。当たり前のことを言う人の名をあげる必要は私にはとくにないと思う。加えれば、「ケイパビリティ」をもってくるというのも私には不思議なことだった。間違っているというのではない。もっともことを言っていると思うが、それは以前からたくさんの人が思い、言い、その方向に行動してきたことだと思うからだ。だから幾度かそのことを言ってきた。ケイパビリティと開発という主題についての文献紹介として伊芸研吾[2016]。
ヌスバウムの議論について批判的に検討した少ない一つが榊原による批判である。私も榊原と似たようなことを思っていて、批判するのはもっともだと思う。ただ、一つ、榊原は「スティグマ化への傾向性」(榊原[2016:186])を言うのだが、「スティグマ化」されてしまうもとののが否定的なものであるなら、それは仕方がないということになる。わるいものではないと言えた後に「スティグマ化」がよくないと言えるということになるはずだ。
関連してもう一つ、榊原は、潜在能力アプローチは「社会的関係の網の目の中で生じる社会的排除/包摂という現象を、個人の持つ潜在能力に単純化してしまう」(榊原[2016:7])と言う。たしかにそのもののよしあしは天然に決まっているのではない。だが、それが「社会的」なものであることを指摘すれば、ヌスバウムはそれはそうだと言うだろう。個人に予めあるものではなく社会的なものであると言えばすむわけではない。とするとなすべきことは、そこでよい/よくないとされているものがどれほどよい/よくないものであるのかと一つひとつ問うことだと考える。それで本章を書いている。
既に明らかだと思うが、本章・本書は今まであるもの(あるいはさらにこれから探求されるもの)に「ケアの倫理」を加えるという立場は取らない。井上彰[2017]はよい本だが、この点では見解を異にする。「合理的能力に基づく選択責任の構想は、そのような選択責任追及の「過酷さ」とは無縁である。まず第一に言えることは、合理的能力を有さない者には責任が帰されない点である。この点は、合理的能力をべースとする以上明白だが重要である。われわれの構想は、合理的能力を有しているとは言い難い存在――たとえば、重度の障害者や重篤な精神疾患に悩む人――に無慈悲に責任を追及する営みをよしとしない。それゆえわれわれの構想は、あらゆる人間に対し、その能力の有無や軽重に関係なく責任を問う議論――たとえば巷に蔓延する自己責任論――とは区別されるべきである。もちろんそれは、合理的能力の欠落した人たちをそのまま放置することを意味しない。そのような扱いが、われわれの宇宙的価値としての平等を上位に置く価値体系からして許容されない点については、すでに第四章第四節(2)で確認した通りである」(井上[2017:192])
ここに付された註。「重度の障害者といった合理的能力を欠く人たちに対しては、平等の価値以外にも、別の道徳的価値、たとえばケアを要求する規範が成立する可能性はある。この点については、ケアの倫理を中心に数多の議論があり、人道的価値との関係も含めて整理する必要がある(Kittay[1999]、Nussbaum[2006]、品川[2007])。いずれにしてもそうした価値のあり方について積極的な主張を展開するためには、平等主義的正義論の価値体系のなかで当該価値がいかに定位きれるかについて明らかにする必要がある。逆にそれを明らかにしなければ、テムキンと同様、アドホックな多元主義に訴える議論と化しかねない。」(井上[2017:201])
......以下『現代思想』では略......
☆05 『税をなおす』(立岩・村上・橋口[2009])、その出版を受けての[201012]の「税は保険でなく分権という語には慎重であった方がよい」等々。
☆06 「同じであること自体が追求されるべきだとしたのではなく、一人一人が承認されるべきだとするなら、世界と人間の行いの有限性を前提としたとき、ありうる落とし所として「皆がそこそこ」がよいのではないかというぐらいのことである。だから平等は絶対的な目標というより、消極的な基準としてある。」([200401:106])
☆07 この辺りの議論の流れの紹介はたくさんある。「障害学」に関係する本に収録されているものでは川越[2013]。
☆08 片山知哉は「デフ・ナショナリズム」を支持する。その論文として片山[2010][2011a][2011b]、これらを受けて書かれた博士論文として片山[2014]。
☆09 成年後見制度について[201609][2017]。
☆10 「無能」であることを肯定するある種の伝統、知的伝統がしてあることを否定はしない。『人間の条件』でいくつかをあげた。すべてを肯定するわけでないことも述べた。『ねこに未来はない』(長田[1971])といったものもあげた。例えば「無垢」をもって肯定されることがある。無垢がよいことで、実際無垢なら肯定すればよい。しかしそうでもないならあまり言わないほうがよい。
☆11 肯定的なものとして、『「障害は私の個性」――共に生き、共に学ぶ』『癒しのセクシー・トリップ――わたしは車イスの私が好き!』『いのちに贈る超自立論――すべてのからだは百点満点』(安積[1990][1993][2010])。『エンジョイ自立生活――障害を最高の恵みとして』(樋口恵子[1998])。それに対して例えば「障害者に生まれて幸福だったと自分を偽るな。本音で生きろ!」(新田勲[2001])。
また「障害は個性である」という主張があり、それに対して反論する人がいる。肯定することと個性であることとは、まずは異なる。だが、言葉の規定の仕方によっては、違わない意味で使われることはある。人に関わる肯定的な属性・性質を個性と呼ぶことはあるからである。それに対して、個性というのものはもっと個別の、人が作っていくものであって、おかしいというような返し方もある。また、実質的には障害を肯定する/しないの議論と同じ部分もある。cf.森[1999]。
☆12 中西・上野[2003]はとてもすっきりした主張がなされており、ゆえにそれだけでなかろうという反応が当然にある。中西から見た運動史(中西[2014])は自らが活動を始めてしばらく経ったそれ以降に取得された知識が含まれているが、それでも基本路線は同じだ。関連する編書に上野・中西編[2008]。なお、介助は本来は「ないにこしたことはない」という前提を弱めると、社会サービスの査定の必要はないという明快な主張がいくらか維持されにくくなることは加えておく。
■しかく文献(第149回・第151回分)→
文献表(総合)
※(注記)文献表にあげるもの:
◆だいやまーく94
◎にじゅうまる安部 彰・
堀田 義太郎編 2010
『ケアと/の倫理』(生存学研究センター報告11
◆だいやまーくAltham, J. E. J. ; Harrison, Ross eds. 19950406
World, Mind, and Ethics: Essays on the Ethical Philosophy of Bernard Williams, Cambridge University Press, 240p. ISBN-10: 0521479304 ISBN-13: 978-0521479301
[amazon]/
[kinokuniya] ※(注記)
◆だいやまーく天田 城介 20100310 『〈老い衰えゆくこと〉の社会学 増補改訂版』,多賀出版,vi+683p.
◆だいやまーく―――― 20110920
『老い衰えゆくことの発見』,角川学芸出版,256p. ISBN-10:4047034959 ISBN-13:978-4047034952 1,890円
◆だいやまーくa href="../w/ay01.htm">安積遊歩 19900415 『「障害は私の個性」――共に生き、共に学ぶ』,神奈川県高等学校教職員組合・高等学校教育会館,神高教ブックレット16,29p.
※(注記)(安積純子名)
◆だいやまーく―――― 1993
『癒しのセクシー・トリップ――わたしは車イスの私が好き!』,太郎次郎社,230p.
◆だいやまーく―――― 2010
『いのちに贈る超自立論――すべてのからだは百点満点』、太郎次郎社エディタス
◆だいやまーくBerube, Michael 1996
Life as We Know It: A Father, a Family, and an Exceptional Child, Pantheon
◎にじゅうまるDworkin, Ronald 1981a "What is Equality? Part 1: Equality of Welfare",
Philosophy & Public Affairs 10:185-246→Dworkin[2000:11-64]
◎にじゅうまる―――― 1981b "What is Equality? Part 2: Equality of Resources",
Philosophy & Public Affairs 10:283-385→Dworkin[2000:65-119]
◎にじゅうまる―――― 2000
Sovereign Virtue. The Theory and Practice of Equality, Cambridge: Harvard University Press=20021010 小林 公・大江 洋・高橋 秀治・高橋 文彦 訳
『平等とは何か』,木鐸社,634p. 6500
※(注記)
◎にじゅうまる船木 祝 2016 「弱い立場の人々を支える社会の倫理についての一考察――「強さの倫理」と「弱さの倫理」」,『人体科学』25-1:13−22
※(注記)
●くろまる浜岡 剛 200107 「リベラルな社会における障害者の未来――H.S.Reinders, The Future of the Disabled in Liberal Societyの紹介」,『京都市立看護短期大学紀要』25:125-134
◎にじゅうまる樋口恵子 19980205
『エンジョイ自立生活――障害を最高の恵みとして』,現代書館,198p. 4-88233-045-8 1575
[amazon]/
[kinokuniya] ※(注記)
◎にじゅうまる稲原 美苗 2017 「障害とスティグマ――嫌悪感から人間愛へ」,『思想』1118:42-54
◎にじゅうまる伊芸 研吾 201604 「障害とは何か――ケイパビリティアプローチの視点から」,『開発協力文献レビュー』6
※(注記)
◎にじゅうまる井上 彰 20170623
『正義・平等・責任――平等主義的正義論の新たなる展開』,岩波書店,230p. ISBN-10:400061200X ISBN-13:978-4000612005 4800+
[amazon]/
[kinokuniya] ※(注記) p
◆だいやまーく石川准・
倉本智明 編 2002
『障害学の主張』、明石書店 [138][140]
◆だいやまーく岩波書店編集部 編 19840309 『現代世界の危機と未来への展望』,岩波書店
◆だいやまーく岩田 靖夫 198510
『アリストテレスの倫理思想』,岩波書店
◆だいやまーく―――― 19940426 『倫理の復権――ロールズ・ソクラテス・レヴィナス』,岩波書店,294p. ISBN-10: 4000024574 ISBN-13: 978-4000024570 5500
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[kinokuniya]
◆だいやまーく神島 裕子 20130910
『マーサ・ヌスバウム――人間性涵養の哲学』,中央公論社
◆だいやまーく柏葉 武秀 2008 「倫理学は障害学に届きうるか」,障害学会大会,於:熊本学園大学
◆だいやまーく―――― 201003 「リベラリズムと障害者」,『応用倫理』3:34-44
※(注記)
◆だいやまーく―――― 201110 「配分的正義と障害学――ケイパビリティ・アプローチの再検討」,『西日本哲学年報』19:73-90
※(注記)
◆だいやまーく―――― 201603 「障害は除去されるべき特質なのか」,『宮崎大学教育文化学部紀要』33・34:47-58
◆だいやまーく加藤 秀一 編 2010 『生――生存・生き方・生命』,岩波書店,シリーズ自由への問い・8
◎にじゅうまる片山 知哉 2010年02月26日
「養育関係内における多文化主義――子どもの文化選択をめぐる規範理論への予備的考察」,
安部・堀田編[2010:145-166]
◎にじゅうまる―――― 2011a 「ネオ・リベラリズムの時代の自閉文化論」,
『生存学』3: 106-116
◎にじゅうまる―――― 2011b 「文化の分配、所属の平等――デフ・ナショナリズムの正当化とその条件」 『障害学研究』7 pp.185-218
◎にじゅうまる―――― 2014 「所与の選択――こどもの文化選択をめぐる規範理論」,立命館大学大学院先端総合学術研究科2013年度博士学位論文
◎にじゅうまる川越 敏司 20130830 「障害の社会モデルと集団的責任論」,
川越・川島・星加編[2013:52-76]
◎にじゅうまる川越 敏司 ・
川島 聡 ・
星加 良司 編 20130830
『障害学のリハビリテーション――障害の社会モデルその射程と限界』,生活書院,192p. ISBN-10: 4865000135 ISBN-13: 978-4865000139 2000円+tax
[amazon]/
[kinokuniya] ※(注記)
◆だいやまーく川本 隆史 19950120 『現代倫理学の冒険――社会理論のネットワーキングへ』,創文社,246+47p. ISBN-10: 4423730731 ISBN-13: 978-4423730737 3675円
[amazon]/
[kinokuniya] <58,59,63,65,320>
※(注記)
◆だいやまーく川島 聡 201106 「差別禁止法における障害の定義――なぜ社会モデルに基づくべきか」,
松井・川島・長瀬[2011:289-320]
◆だいやまーく―――― 20130830 「権利条約時代の障害学――社会モデルを活かし、越える」,
川越・川島・星加編[2013:90-117]
◆だいやまーく北田 暁大 20031025
『責任と正義――リベラリズムの居場所』,勁草書房,398+36p. ISBN:4326601604 4900
[amazon]/
[kinokuniya] ※(注記)
◎にじゅうまるKittay, Eva Feder 1999
Love's Labor: Essays on Women, Equality, and Dependency, Routledge.=20100910 岡野 八代・牟田 和恵監訳,『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』, 白澤社,443p. ISBN-10:4768479359 ISBN-13:978-4768479353 4620円
[amazon]/
[kinokuniya] ※(注記)
◆だいやまーく松井 彰彦・
川島 聡・
長瀬 修 編 2011
『障害を問い直す』,東洋経済新報社 [144]
◆だいやまーくMcMurrin, Sterling M. ed. 1980
Tanner Lectures on Human Values, Volume 1, Cambridge University Press.
◆だいやまーく森 正司 1999
「障害個性論――知的障害者の人間としての尊厳を考える」
◆だいやまーく長瀬 修・桐原 尚之・伊東 香純 編 2017
『障害学国際セミナー 2016――法的能力(障害者権利条約第 12 条)と成年後見制度』,生存学研究センター報告29
◎にじゅうまる新田 勲 20010501 「障害者に生まれて幸福だったと自分を偽るな。本音で生きろ!」,全国自立生活センター協議会 編[2001]
◆だいやまーくNussbaum, Martha C. 19950406 "Aristolle on Human Nature and the Foundations of Ethics", Altham ; Harrison eds.[1995:86-131]
◆だいやまーく―――― 2000
Women and Human Development, Cambridge: Cambridge U. P.
◎にじゅうまる―――― 2006
Frontiers of Justice: Disability, Nationality, Species Membership, Harvard University Press, 512p. ISBN-10: 0674024109 ISBN-13: 978-0674024106
[amazon]/
[kinokuniya] ※(注記)=20120808 神島裕子訳,
『正義のフロンティア――障碍者・外国人・動物という境界を越えて』,法政大学出版局,568p. ISBN-10: 4588603256 ISBN-13: 978-4588603259
[amazon]/
[kinokuniya] [142]
◎にじゅうまる長田 弘 1971 『ねこに未来はない』,昌文社→1975 角川文庫
◆だいやまーくRanjchman, J. & West, C. eds.
Post-Analytic Philosophy, Columbia University Press
◆だいやまーくRawls, John 1971
A Theory of Justice. Harvard University Press,=1979 矢島鈞次・篠塚慎吾・渡辺茂訳,『正義論』,紀伊國屋書店,482p. <281-284,313>
※(注記)
◆だいやまーく―――― 1975 "A Kantian Conception of Equality",
Cambridge Review 96(2225,February 1975): 94-99→Ranjchman & West eds.[1985:201-213],→Rawls[1999]
◆だいやまーく―――― 1984 藤原保信訳,「秩序ある社会」,岩波書店編集部編[1984:
◆だいやまーく]
◆だいやまーく―――― 1992
Handout in Rawls' Lecture on "Political Philosophy" (mimeography), Harvard University
◆だいやまーく―――― 1993
Political Liberalism, Columbia Univ. Press
◆だいやまーく―――― 1999a
A Theory of Justice Revised Edition, Harvard University Press=2010 川本隆史訳,『
◆だいやまーく』,紀伊国屋書店
◆だいやまーく―――― 1999
Collected Papers, Freeman, S. ed., Cambridge: Harvard U. P.
◆だいやまーく―――― 2001
Justice as Fairness: A Restatement, Cambridge: Harvard U. P.=200408 田中 成明・亀本 洋・平井 亮輔 訳,
『公正としての正義 再説』,岩波書店,402+24p. ISBN:4-00-022846-3 3570
[amazon]/
[kinokuniya] ※(注記)
◆だいやまーく―――― 2005
Political Liberalism, expanded edition, N. Y.: Columbia U. P.
◆だいやまーくReinders, Hans S. 2000
Future of the Disabled in Liberal Society: An Ethical Analysis, Univ of Notre Dame Pr
◎にじゅうまるRoemer, John E. 1986 "Equality of Resources Implies Equality of Welfare",
Quarterly Journal of Economics 101:751-784 <328>
◆だいやまーく榊原 賢二郎 20161110
『社会的包摂と身体――障害者差別禁止法制後の障害定義と異別処遇を巡って』,生活書院,398p. [138][142][144]
◆だいやまーく佐藤 久夫 2013 「障害者権利条約実行のツール――社会モデルか統合(ICF)モデルか」,
川越・川島・星加編[2013:118-130]
◆だいやまーくSen, Amartya 1980 "Equality of What?", McMurrin ed.[1980]→Sen[1982:353-369]
◆だいやまーく―――― 1982
Choice, Welfare and Measurement, Harvard U. P.
◎にじゅうまる―――― 1992
Inequality Reexamined, Clarendon Press, ISBN: 0674452569
[amazon]=19990715 池本幸生・野上裕・佐藤仁訳,
『不平等の再検討――潜在能力と自由』, 岩波書店, 263+63p., 3150,円 ISBN: 4000028782
[amazon] ※(注記)
◆だいやまーくSinger, Peter 1993
Practical Ethics, 2nd Edition, Cambridge Univ. Press=1999 山内友三郎・塚崎智監訳 1993 『実践の倫理[新版]』、昭和堂★
◆だいやまーくSilvers, Anita 1998 "Formal Justice",
Silvers et al.[1998]
◆だいやまーくSilvers, Anita ; Wasserman, David ; Mahowald, Mary B. 1998
Disability, Difference, Discrimination, Rowman & Littlefield, 351p. ISBN-10: 0847692221 ISBN-13: 978-0847692224 [amazon]/
[kinokuniya] ※(注記)
◆だいやまーく品川 哲彦 20071025
『正義と境を接するもの――責任という原理とケアの倫理』,ナカニシヤ出版,325p. ISBN-10: 4779501644 ISBN-13: 978-4779501647 5040 [amazon]