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◆だいやまーく2009年02月01日
『週刊/ALS患者のひとりごと』230
ごあいさつ/元の職場の記念行事で
◆だいやまーく2009年02月27日
『週刊/ALS患者のひとりごと』231
ご挨拶/呼吸器を外してよいか
◆だいやまーく2009年03月21日
『週刊/ALS患者のひとりごと』232
呼吸器の歴史1
◆だいやまーく2009年03月29日
『週刊/ALS患者のひとりごと』233
呼吸器の歴史2
◆だいやまーく2009年06月15日
『週刊/ALS患者のひとりごと』234
ご挨拶/いま困っていること
◆だいやまーく2009年10月01日
『週刊/ALS患者のひとりごと』236(復刊1号)
大学院で学んで1/患者会
◆だいやまーく2009年10月26日
『週刊/ALS患者のひとりごと』237(復刊2号)
大学院で学んで2/パソコン
◆だいやまーく2009年12月09日
『週刊/ALS患者のひとりごと』238(復刊3号)
医者ならば/東京新聞12/6付ALS関連記事への反論
第230号 2009年2月1日
週刊/ALS患者のひとりごと
今日は/お世話になります
発行 佐々木公一 ブログ
http://blog.livedoor.jp/alsinfo/ ホームページ
http://www.arsvi.com/w/sk13.htm メールアドレス
hamu-s@jcom.home.ne.jp
ごあいさつ/元の職場の記念行事で
支部結成40周年を心よりお祝い申し上げます。
1989年から5年間その歴史のなかに存在させていただきましたことを深く感謝申し上げます。深夜に及ぶ激論、集会・デモや対市交渉、税金調査など、それぞれの場面が鮮やかにうかんできます。なかでも拡大月間での1日37人拡大の経験や拡大「かわら版」、「前原の風景」「国二(こくに)システム」など印象的です。よく働いたけどよく遊びよく学んだ5年でした。中尾さんは私の人生の師でもあります。最近うれしいことがありました。巻田さんに時々テレビで会えること、先日中村勝也さんと守屋さんがお見舞いに来てくれたこと、朝倉さんのがんばりを聞くことなどです。週3回朝倉宅訪問が何回もありました。なお私の病気の最初の発見者が巻田さんでした。
みなさん、不思議なことに私はいま学生です。東海大学大学院の2年生です。そこで「受ける側からの介護研究」など社会福祉の勉強をしています。週1〜2の通学です。いま修士論文のラストスパートです。とはいえ体のどこも動かず、すべてを人や機械にやってもらいながらの勉強はなかなか大変です。なにしろ「本」と書くのに12回パソコンのスイッチを押す、「出版」と書くのに25回押す。失敗には同じ回数だけスイッチをおすことが必要だから。それでもがんばれるのはみなさんと培(つちか)った「あきらめない気持ち(市役所との交渉や拡大月間での目標へのこだわりのような)」があるからです。病気や障害に覆い尽くされても、すべてを失ってもなお残る自分らしさへのこだわり、「あきらめない気持ち」があるからです。感謝です。
私はこれからも、自分らしく、1、希望をもっているか。2、目的、目標をもっているか。3、やりたいことをやっているか。4、結果に責任をもっているか。人のせいにしていないか。5、そのことのために学習しているか。6、人と交わり人の意見を聞いているか。7、必要とされているか。出番があるか。8、社会に役に立っているか。人びとに支持されているか。と自問しながら新たな役割にむかっていきたいと思っています。
最後に、発病以来14年身にあまるご支援をいただいております。心より感謝申し上げます。
不況や住宅着工戸数のニュースに胸が痛みます。40周年を契機に、みなさまが健康に留意され、建設労働者の利益を守り、勇敢に、賢明に前進されることを願って、ごあいさつとします。1/12
あとがき 229号が10月で、超ご無沙汰でした。昨年後半から修士論文に没頭、初めての社会福祉学発見に胸踊らせ、心ときめかしながらも、まさに死闘でいた。そのようにして12月提出、そして1月5日口頭試問。条件付ながら合格。以後脇目も振らず、現在に至りました。懸命にがんばりました。病気になる前も含めてこれほど勉強したことはありません。研究が、発見がこんなに楽しいこと知ることが出来てとても幸せでした。心より感謝です。ただ体力もほぼ限界となり完成を6か月延期することにしました。約70ページのほぼ9割はできているのでご安心下さい。上は1月12日約300人を超えるご参加でした。皆様、本年もどうぞよろしくお願いします。
第231号 2009年2月27日
週刊/ALS患者のひとりごと
今日は/お世話になります
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ご挨拶/呼吸器を外してよいか
みなさん、今日は。東京都府中市のALS患者佐々木公一です。東海大学大学院2年在学です。本日は看護学科(東海大学社会福祉学部)のみなさんに重くむずかしいお話をします。みなさん、先日のNHKクローズアップ現代をご覧になった人はいますか。感想はいかがでしょうか?
事情、経過/共同通信/2008年10月07日 千葉県鴨川市の亀田総合病院の倫理委員会が4月、全身の筋肉が動かなくなる難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の男性患者が提出した「病状が進行して意思疎通ができなくなった時は人工呼吸器を外してほしい」という要望書について、意思を尊重するよう病院長に提言していたことが6日、分かった。個別のALS患者のこうした要望について病院の倫理委が判断したのは異例という。 同病院の亀田信介院長は「現行法では呼吸器を外せば(殺人容疑などで)逮捕される恐れがあり、難しい。社会的な議論が必要」として、呼吸器外しには難色を示している。難病患者を支援する関係者らも「自分の意思で外すことを認めれば、患者が周囲に気兼ねして死を選んでしまう恐れがある」と懸念している。
今度のテレビは以上からさらにすすんだ状況(亀田総合病院の倫理委員会16人全員賛成も報道された)がリアルに放映されました。ALSメーリングリストへの反応は、昨年10月の報道の時に比べて意外に少いです。賛成の人も反対の人も、あまりに苦しくて、声を出せないように見えます。しかし人びとの反応は無造作で早い。/昨日新幹線で従弟の結婚式へ行く途中、同じ新幹線に乗っているおばちゃんたちの話声が聞こえたんです。
「倫理委員会がよくても、医者が駄目だって言ってんだすぺ?」「法律が変わればやるって言ってるさ」「どうせ治らないんだもん、死なせてあげればいいのに」とぎれとぎれに聞こえては大きな笑い声(仙台の千葉さんのメールから)/
ふと思い出しましました。「夜と霧」の作者が、何のために生きるかを問うてはならない、誰のために生きるかを問うべきである、と書いていたのを。照川さんのことで改めて理解を深められた気がします。「何のために生きるか」と聞かれてもまた自問しても多くの難病患者や障害者は困ってしまいます。呼吸器はずしつまり尊厳死問題は限り無くこの問いに近いものを感じます。けれども「誰のために生きるか」には明るく笑顔で答えられます。かつて橋本会長は「家族の笑顔があればどんな困難も乗り越えられる」言い、松本名誉会長は「いまが一番幸せ」と言われました。
「もし意思表示できなくなったら、それは神様の休戦命令だから、しばらく休ませて下さい。でもよい薬、よい治療法やすぐれたコミュニケーション器機が出て来たら、すぐに呼び覚まして下さい。ではでは」照川さんに、こんな風に言ってほしいと思いました。医療、看護、介護、行政のみなさんが必ず呼び覚ましてくれると私は信じています。(2月26日)
あとがき 先日のNHKクローズアップ現代の千葉県のALS患者照川さんの「〜呼吸器をはずして」の要望が衝撃を与えている。月刊「清流」の取材があり4月号(3月1日発売)に記事掲載。
第232号 2009年3月21日
週刊/ALS患者のひとりごと
今日は/お世話になります
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呼吸器の歴史1
一部 初期の呼吸器
1、陰圧(横隔膜の力で肺をふくらませて空気を吸い込むような方式/筆者)式呼吸器の時代
最初の人工換気は1500年代に始まった機械的な人工換気を最初に始めたのは、恐らくはパラケルススが1530年に、死にかけた人の肺にふいごで空気を送り込んだ(陰圧に対して陽圧という/筆者)のが始まりであると伝えられる。この、ふいごを用いて患者の口から空気を送りこむ方法は、一応効果がある蘇生術として、ヨーロッパでは19世紀まで行なわれた。
2、タンク式の呼吸器の開発
気管内挿管が開発されたのがもう少しあとだったためか、世界で最初に開発された人工呼吸器は、現在のものとは全く異なる。これはタンク式呼吸器、あるいは陰圧式呼吸器などと呼ばれ、患者の周囲を陰圧にすることで、患者の肺に空気を送り込む。タンク式人工呼吸器が最初に記載されたのは、スコットランドのJhonDalzielらが1838年に発表したものである。陰圧の作成は2つのふいごを用い、手動で行なわれた。
3、効果が証明できるまではかなりかかった
この装置は少なくとも一人の溺水患者で用いられたことが確認されており、患者は座った状態で呼吸器内に入り、口や鼻から空気が入っていくのがはっきり確認できたとされている。しかしながらこの患者は亡くなってしまったという。
最初の呼吸器は手動だった。左の空気入れのようなレバーを人が上下させると、箱の中の圧力が変化する。更に、これとほとんど同じ機械が1864年にアメリカで特許が出されており、その適応は麻痺の患者、リウマチ、喘息、気管支炎などであった。
ほかのタンク式呼吸器としては、Wollezらの最初の実用的な鉄の肺である"spirophore"がある。彼らはこれを溺水の患者の救命に用いたと主張したが、公式な記録は残されていない。救命的な効果を発揮した初めてのものは、Egonらの小児用の小さな木の箱で、これは医師の息により陰圧を発生するものであった。彼らはこれにより50の成功例を発表している。
機械式の人工呼吸器の試作品は1908年に発表され、患者自身で呼吸を補助できるような装置も工夫された。
笑顔は/介護にことのほか大切と最近痛感している
1、微笑みは、必ず微笑み返しを呼ぶ。
2、笑顔は、相手にやさしさを広げ、その空間をやさしさでつつむ。
3、笑顔は、気持ちにゆとりをつくり、視野を広げ、心の奥行きを深くする。
4、ALSや脳神経系難病者によくおこる構音障害は、発声障害や喉下障害などの他に顔の表情筋障害もあり、切ない課題なのです。
あとがき 呼吸器はどうみても機械なのになぜ呼吸「機」でないのか、との単純な疑問から呼吸器の歴史を調べてみた。驚いた。1500年代といえば日本は戦国時代である。500年前、命を救う努力に感嘆のほかない。修士論文が間に合わず8月まで延長となった。力不足を猛省。深謝。
第233号 2009年3月29日
週刊/ALS患者のひとりごと
今日は/お世話になります
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呼吸器の歴史2
一部 初期の呼吸器
4、鉄の肺の登場
最初の鉄の肺が広く世の中に知られたのは、1928年のボストンでのことである。この機械は最初の電気式で動く呼吸器であり、ハーバード大学病院や、ロックフェラー基金により中国の北京大学病院に贈られたりした。この機械は当初、阿片中毒の患者の呼吸抑制の治療に使われた。そして1936年になり、有名なシカゴの銀行家の家族が北京でポリオにかかり、鉄の肺で救命されたことをきっかけに、ポリオの流行に備えて鉄の肺が大量生産されることとなった。
1950年ごろのICUの写真があるが、今とは全く異なり、棺桶が大量に並んでいるように見える。1950年代のICUの風景がある。鉄の肺が並んでいる。この形の呼吸器は、1950年代のポリオの世界的な流行を境に、だんだんと廃れていった。
5、胸郭式呼吸器
鉄の肺は体全体を覆うため、オムツ交換ひとつ満足にできない。体全体を覆うのではなく、胸郭周囲を陰圧にするだけでも、理論上は呼吸ができる。最初の胸郭式呼吸器 が開発されたのは、1876年のことである。これは、手術後の無気肺をマスクを用いたCPAPを用いて治療している際に、呼吸を補助するために考えられた。さらに1904年に、後に大量生産されるものと同じような胸郭式呼吸器が作られた。
1949年には持ち運びのできる胸郭式の人工呼吸器が作られ、患者が日中座っていても、夜間寝ていても呼吸を補助するように作られていた。着用できるような陰圧式人工呼吸器が最初に作られたのは、1955年のことである。胸郭式呼吸器のひとつ(もとの文章には図がある/筆者)。これに、コンプレッサーを接続する。けっこう便利だったが、十分な換気量がとれず、やはりほとんど使われなくなった。/続く
患者会とはなんだろう、と考えてみた
患者会とは、治りたい、もっとよい介護をという願いと、それをなんとかしてあげたい、といういわばやさしさと善意の人びとの集合体である。そのような人びとで構成される患者会は、頼られ、頼まれ、お願いされて「なんとかしてあげたい」と頑張ってくれている。こんなに割のあわないところはほかにない。献身あるのみだから。
そのような人びと間の価値観は、尊敬や信頼が優先する。そして「なんとかしてあげたい」「役に立ちたい」との出発点の 意識、その後の患者家族の喜びや悲しみに寄り添う中での成果や到達点に対する責任感がさらに強くなるように思われます。患者としていつも心より感謝しています。
あとがき 患者会は、患者と患者とをつなぐ架け橋、患者会は、患者と社会の橋のない川にかける架け橋、患者会は、ありえないことをありふれたことにする。1、同病者の集まり、2、痛みを知るから深く適確なケアを可とする3、ケアするものが最もケアされる、それが特徴と思う。
第234号 2009年6月15日
週刊/ALS患者のひとりごと
今日は/お世話になります
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ご挨拶/いま困っていること
ちょっと計算する、ちょっと図に書いてみることができずにとても不便です。いま修士論文のアンケート集約のために統計の勉強をしていますが、一番困っていることです。
(15・0ム19)2乗÷15・0 + (16・9ム13)2乗÷16・9の平方根
このような計算がしばしば出てきます。しかたがないのである程度見当をつけて理解するように努力しています。けれども相当に大変です。ちょっと振り返って読む、ちょっとほかの本をみる、ちょっと参考資料にあたってみる、などが出来たらどんなにいいだろう、と考えながら、本を読んでいます。関係項目があの本のあのあたりに書いてあるはずだ、とうらめしく思いながら、本を読んでいます。ちょっとメモすることの大切さも日々感じています。人は1日数万回以上考えるそうですが、苦しんでいた問題の解決案や時に名案が浮かんだ時、メモができたらいいなとよく思います。健常の頃は思いもよらなかった問題です。みなさん、どう思いますか。
重度障害者として当事者研究をとりくむにあたってたくさんの教訓をえました。
がんばるべきことも多くあるけれども、がんばってはいけないことも多くあることに気がつきました。作業の種類によってはさながらアリ地獄のようでした。最初のそれはアンケート結果の整理でした。気がつくまでに何日もかかりました。最も問われたのは、それぞれの作業が自分にできるかどうか、時間に間に合うかどうかの見極め、つぎに誰に何を頼むかの判断でした。それからあきらめないことでした。
いろいろな締めきり前はいつも戦争のようで、いつもたくさんのみなさんのお世話になりました。新しい発見に胸踊らせ、心ときめかしながらも、まさに死闘という状況でした。重度障害者の研究支援のありかたは検討を要する大切な課題だと考えています。当事者研究こそが問題解決の近道と考えるからです。自分の病気のことを誰よりも知っているのは当事者本人であるからです。
具体的な作業内容について、例えばひとつの言葉や文章を別のページにコピーする時、1)コピーして、2)移動して、3)所定の場所に貼り付けるまで24回スイッチを押す、「本」と書くのに12回スイッチを押す、「出版」と書くのに25回押します。失敗には同じ回数だけスイッチを押すことが必要です。みなさんの操作回数は何回になりますか。
パソコンの操作開始までも平坦ではありません。介護者がどこかひとつのコードのつなぎ忘れをしても、ボタンの押し忘れをしても作業ははじまりません。パソコンのトラブルがあればお手上げとなります。数日間ストップすることも稀ではないのです。アンケート集約作業中、雷による停電で3日間パソコンがストップしたこともありました。このような作業の繰り返しの中での「修士論文」作業であり、70人のALS療養者による最高10時間、平均4.14時間のアンケート書込み作業でした。
ある項目に
○しろまるをつけるためには最低6回スイッチを押すことが必要でした。
いまそのようにして綴(つづ)られ寄せられた魂の叫び(70人のアンケート回答/全国のALS患者は7696人)の最後のまとめに取り組んでいます。
あとがき 6/8都立府中看護学校講演挨拶です。かく頑張っています。8月迄休刊にします。
第236号(復刊1号) 2009年10月1日
週刊/ALS患者のひとりごと
今日は/お世話になります
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大学院で学んで1/患者会
大学院にきて新鮮な驚きの連続だった。少し後悔もした。「もっと早く社会福祉の勉強をしておけばよかった」と。なにしろ宇宙よりも天体よりも複雑系の人間、60兆個の細胞をもち、そのうち数百億個が毎日死に、また生まれるという人間。
その人間の生と老化の途上で傷ついた人びと、ひとりでは生きられない人びとによりそう学問/社会福祉を学ぶ人びとを尊敬する。
患者の人生そのものが多様で、病気もその受け止めもまた多様であるなら、ケアのかたちも多様でなければならない。必要なケアが必要な人に、必要な質と量のケアが届けられなければならない。そして、難病患者に対する時、「あなたはこれから、どんな新しい人生をつくりますか。そこにはつらいこと、苦しいこともあるけれど、無限の可能性に満ちています」、と言ってあげられる。こんなケアの理論をめざすという初心に立ち返りながら、引き続き頑張っていきたい。
そこで研究の目的を、ALS療養者の視点から、ALS療養者の生活の可能性の広がりとその生活支援について明らかにすることにした。
すなわちALS療養者は残された機能を生かしてどんなことができているのか。「私にできること」を実現させるための要因は何か。70人のALS療養者が自ら回答してくれたアンケート結果を集計し分析した。その促進要因は以下のようであった。療養者同士の交流、パソコン利用、医療・福祉制度の活用、そして家族や社会から情報を得ようとし、家族や患者会も含めた社会の中で役割を取ることが、ALS療養者の「できること」を拡大させていた。
なかでも患者会は特別の役割を果たしていた。「医学的な疾患に関する情報は、医師や医学書から得ていた。療養生活に関する情報は、患者会や同病者から得ていた」、「患者会や同病者からの情報は、人工呼吸器装着後の療養生活を描いたり、少しでも楽になるための情報など、専門家と異なる細かいアドバイスがある」また、自分より障害が重度でも前向きに生きている人を「生き方の目標」とするなどの先行研究があった。この研究の分析結果からも、療養者同士の交流に前向きで、その中で常に情報を得ようとしている療養者は、「できること」を拡大していた。
ALS療養者との交流によって、54人(79.4%)の回答者が「私にできること」が拡大したと自己評価をしている。また39人(59.1%)の回答者が、他の療養者との交流が「人工呼吸器についての考え方」を変えたと答えている。実際に他の療養者と交流している人々は、日常生活で具体的に「できること」を拡大しているかの問いに対する偏相関分析の結果は、交流によって「私にできること」が拡大したと療養
者同士の交流を前向きに捉える療養者、また外から「情報を常に得ようとしてる」
療養者は、「私にできること」が多い療養者であるといえる(p<.01)。
あとがき 「患者会は、患者と患者とをつなぐ架け橋、患者会は、患者と社会の橋のない川にかける架け橋(233号)」。すべてが終わり皆様への報告書送付準備中。変わらぬご支援に深謝。
東海大学新聞です。
2009年09月29日 ALS療養者の大学院修了生に「特別賞」を授与しました
http://www.u-tokai.ac.jp/TKDCMS/News/Detail.aspx?code=health_science&id=2838
第237号(復刊2号) 2009年10月26日
週刊/ALS患者のひとりごと
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大学院で学んで2/パソコン
ALS療養者はパソコンを通して、家族、医療関係者、介護関係者などに意思や要求を伝えていた。療養者と家族との関係では、気持ちを「伝えている」、「ほぼ伝えている」の合計は63人(90.0%)であった。介護関係者との関係では57人(87.7%)、医療・看護関係者との関係では60人(85.7%)、保健所・役所との間では40人(58.8%)が「伝えている」、「ほぼ伝えている」と回答していた。 また「パソコンの利用時間」と「パソコン伝達への評価(信頼感)」は、ALS療養者と周囲の人々との伝達に有意な相関関係を示していた。すなわち、パソコンの利用時間が1時間以上の療養者は、「医療・看護関係者への伝達」(p<.01)‖「役所‘保健所への伝鍛」(p<.10)‖「伝鍛結果への評価」(p<.01)が様意に相関していたことから‖パソビンの利用時間が長い療養者は‖あまりパソビンが使えない療養者よりも‖パ ソコン利用をとおして、医療関係者や役所関係との連絡を取り、また療養者自身がこのような伝達に対して高い評価をしていた。
また、パソコン操作は、関係者とのコミュニケーションだけでなく、趣味として手がけてきた書きもの、絵を描く、詩や俳句を作る、創作小話を創るなどを可能とし、さらに「描いた絵を病院のロビーに飾ってもらう」「展示会を開く」「病院便りに寄稿する」など社会参加に広がっている。
以上のことから、ALS療養者は、パソコンのメールで人々と交流し、Webからいろいろな情報を得ている。さらに文章・絵(表現)を描き、それを人に伝えることを通して家族や、介護者、看護者、行政へ精力的に働きかけ、一市民として生活の豊かさを築いている。パソコンは、コミュニケーションに重篤な障害をもつALS療養者が、家族メンバーとして家族と伝え合い、さらに介護、医療関係者への伝達と表現を通して社会参加に貢献していると考えられる。
還暦の妻へ
母、妻、主婦、介護者(もう14年めになります)、ヘルパー、ヘルパーステーション及びデイサービス運営、わの会運営、講師、または代理講師、特にこの2年半は大学の付き添い(時には保護者、時には学友、時には運転手)でめまぐるしい毎日でした。あまりにもたくさんの苦労をかけてきました。一心同体の日々に心よりありがとう。深く深く感謝です。論文の最後にこのように書きました。「論文の作業は家族ぐるみの取り組みになりました。子どもたちの協力にも感謝です。私事ながらこの論文は妻との共著とも言うべきものとなりました。わの会や患者会では同志、私の文章の最初の読者で辛口批判家ある妻の協力、叱咤激励も貴重なものでした。感謝です。」
あとがき 意思伝達装置(ソフトウエアの組み込まれたパソコンとスイッチや印刷機など周辺器機の総称)の中心であるパソコンの役割を調べた。「呼吸器は分身、パソコンは命」と先輩療養者が言っていたがその通りの結果となった。10/10都立神経病院で患者会(ALS)、10/14国立看護大学校で「文字盤教室」などがあった。子供達の提案で妻の還暦祝。皆で手紙を書いた。
第238号(復刊3号) 2009年12月9日
週刊/ALS患者のひとりごと
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医者ならば/東京新聞12/6付ALS関連記事への反論
今度の北里大学の調査は日本神経学会約4500人の専門医を対象に実施、約1500人から匿名!!で回答を得たという。/「人工呼吸器をはずして...」とのALS患者の依頼を医師の248人(2割)が経験し、過半数が条件次第で容認/との記事をみた。
医者ならば
いま日本のALS患者は約8000人、そのうちの71%約5680人のALS患者は、病名さえ知らされず人知れず死んで行くものや、介護力のなさ故に本心を隠してまた隠さざるをえなくて確実に死に至る道/人工呼吸器拒否の道を選ぶものがいる。他方で立ち塞がる困難をくぐり抜けた29%約2320人の人工呼吸器をつけたALS患者がいる。記事の焦点とされているのは29%の中の意志伝達が困難または困難が予想される患者、家族のことである。
医者ならば、まず問題とすべきはこの心ならずも死を選ぶ、選ばざるを得ない人びとのことでないだろうか。これらの「呼吸器をつけたくてもつけられない」人びとの生への可能性、あるいは困難の多くは患者・家族の責任によらない不条理に、まず目を向けるべきではないでしょうか。さらに人工呼吸器をつけて社会参加を積極的に展開しているALS患者の活動や社会資源を活用して生きる姿に、可能性を求めないのでしょうか。
障害者自立支援給付
さらに介護保険をカバーするべき支援制度の中でも自立支援給付は、長時間のヘルパー派遣を可能とすることから、療養者の生活に大きな影響を与えます。私の調査(修士論文・08年8月・70人のALS療養者に対するメールによる本人調査)でも利用状況は以下のとおりで先行研究と変わらない。居宅介護(ホームヘルプ)35.7%、重度訪問介護24.3%、行動支援(外出支援)18.6%、移動支援25.7%でした。
自立支援給付を「受けていない」が20人(35.7%)、100時間以内(1ヶ月)が17人(30.4%)で、この二つの群を合わせると37人(66.1%)の回答者が自立支援給付を全く受けていないか、あるいは十分に受けていなかった。つまり1日約3時間の介護保険以外は家族介護となり、ここから悲しい事件も起きています。。
このような現状を踏まえた調査であり、記事であるだろうか。
被害者でありながら加害者に
ALS患者がみな出会う言葉があります。「1、呼吸器につながれて生きる。2、呼吸器をつけると介護が大変、それでもつけますか」です。どう思われますか。少し考えてみます。(1)本人の意志と環境の両方から責められる。普通逃げ道はない。(2)とりわけ2は重く絶望的に響く。介護力がなければ生きられない、と。(3)さらに追い討ち/家族やまわりに迷惑をかけて生きる。それでもよいのか、と
。
こうしてALS患者は病気の被害者でありながら加害者にされます。私の恩師が戦争の爆撃で友を助けられなかった、と男泣きで語ってくれたことが忘れません。戦争や原爆体験の中で「お母さん、助けてあげられない自分を許して下さい。」の発言によく出会います。神戸の地震(ボランティアに行きました)の手記でもよく出て来ます。つまり戦争や事故は被害者を瞬時に加害者に変えます。そしてそれは人の
心の最も弱い部分です。2、介護が大変 をいう人は何をどう理解しているのか、気になります。
それは神様の休戦命令
「もし意思表示できなくなったら、それは神様の休戦命令だから、しばらく休ませて下さい。でもよい薬、よい治療法やすぐれたコミュニケーション器機が出て来たら、すぐに呼び覚まして下さい。ではでは」私はこんな風に言おうと思っています。医療、看護、介護、行政のみなさんが必ず呼び覚ましてくれると私は信じています。
あとがき 呼吸器はずしを容認する医者、呼吸器をつけない医者が増えているようです。この記事を何度も読んだが残念ながらここにはALS患者へのまなざしがない。まるで米軍の爆撃機に乗って戦場を取材しているかのようだ。「ALSは人工呼吸器をつけても数年から10数年で死ぬ」などの初歩的間違いもある。30年を超えて社会参加されておられる先輩ALS患者もおられる。東京新聞には/まなざし/のあるよい記事も多いので残念だ。
厚生労働省QOL向上班を見にいきませんか。以下JALSA東京都支部からのお知らせです。
開場はお茶の水の東京医科歯科大学です。
第一日目 平成21年12月15日(火) 9 : 00〜16 : 30 (受付8:15〜)
第二日目 平成21年12月16日(水) 9 : 00〜16 : 45 (受付8:15〜)
東京医科歯科大学 湯島キャンパス5号館4階 講堂
〒113-8510 東京都文京区湯島1-5-45
二日目の午後には、佐々木公一さんが発表します。
時間のある人は、ご参加ください。