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◆だいやまーく2006年01月03日
『週刊/ALS患者のひとりごと』187
りんりんで気がついたことプラス創る喜び、創造する喜び3
◆だいやまーく2006年01月18日
『週刊/ALS患者のひとりごと』188
訪問看護ステーション開設にむけて
◆だいやまーく2006年02月07日
『週刊/ALS患者のひとりごと』189
踏むな!私の福祉を削るな! わの会新年会挨拶
◆だいやまーく2006年03月04日
『週刊/ALS患者のひとりごと』190
「体験記/生きる力」 ALSに私の人生を中断させない1
◆だいやまーく2006年03月08日
『週刊/ALS患者のひとりごと』191
「体験記/生きる力」 ALSに私の人生を中断させない2
◆だいやまーく2006年03月16日
『週刊/ALS患者のひとりごと』192
お礼/卒業されるみなさんへ
◆だいやまーく2006年04月19日
『週刊/ALS患者のひとりごと』193
韓国/CとK
◆だいやまーく2006年05月25日
『週刊/ALS患者のひとりごと』194
ALS10年ありがとうございました
◆だいやまーく2006年06月01日
『週刊/ALS患者のひとりごと』195
韓国が生んだ奇跡のピアニスト イ・ヒアさんに会いましょう
◆だいやまーく2006年06月14日
『週刊/ALS患者のひとりごと』196
イ・ヒアさんお帰りなさい
◆だいやまーく2006年07月26日
『週刊/ALS患者のひとりごと』197
選択肢
◆だいやまーく2006年08月31日
『週刊/ALS患者のひとりごと』198
批判のむこうに未来がある
◆だいやまーく2006年10月27日
『週刊/ALS患者のひとりごと』199
高松一校関東同窓会
第187号 2006年1月3日
週刊/ALS患者のひとりごと
今日は/お世話になります
発行 佐々木公一 ブログ
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hamu@shikoku.interq.or.jp
りんりんで気がついたことプラス創る喜び、創造する喜び3
「創ったものは忘れない ということ」に関しての私なりの考えをメールさせていただきます。公一さんが言われるように。確かに記憶を呼び起こすことと創造することでは。脳の働く部位が違う気がします。「創造すること」には。例えば。苦労して色々考えた上で創りあげたもの。私で言うと専門校時代に創りあげた卒業論文ですかね...。文章力がない私にとっては自分の思いを文章にすることができなくて、書いては消してを繰り返したり。テーマに関係する本を探し、読み比べまとめてみたり。そんな苦労をして1つのものを完成させた時(かたちとなった時)達成感と論文に対する深い思いいれを強く感じました。私の介護に対する思いがあの論文の中には入っているので...。これからも忘れることはないと思います。
話を戻します。「創りあげる」ことで生まれるもの。そのものに対する喜びや達成感など...。それを見出していくことは大切なことだと思います。そして「創造すること」から、利用者の方個人の生きがい?を見出していくことができれば(大げさかもしれませんが)、生きがいとして日々の生活の一部になることができれば、それは忘れることもなく素晴らしいものになるのではないでしょうか? 大分前にいただいた宿題を提出いたします。(高橋直子さん/ケアマネ)
人が学習するとき には良い方向への変化を求めて行うと思います。学習の意味は勉強だけでなく、行為、動作の獲得など広い意味で用いています。例えば、リハビリとは失われた身体機能再獲得という意味ですが、これを成し遂げるには単純でしんどい動作を反復して行わなければならず、時間もかかります。だからと言って止めてしまったり、手を抜いて行うと機能は戻りません。その様にならないためには患者様自身がリハビリの意味を理解し、目的を持つこと、動作に遊びの要素を入れ、楽しみながら行うこと、関わる人間がやる気を高めることなどの動機づけが大切だと考えます。
これはリハビリにおいてだけでなく、勉強、スポーツ、仕事、介護など人が行う様々なことに言えるのではないでしょうか? そして継続して行うことができ、良い結果が実感できた時には動機づけは必要なくなります。結果が楽しさ、必要性などを教えてくれると思うからです。そして、その結果をもとによりよい結果を求めて工夫され続けると考えます。(大竹茂孝さん/学生)
2006年の年賀状
96年11月ALS(筋萎縮性側索硬化症)告知ですからALS満10年となりました。なお99年12月気管切開、00年3月から人工呼吸器をつけ在宅療養中です。
昨年6月、9月、12月三幸福祉カレッヂ難病講座、9月徳州会病院のセミナー、10月東海大学でそれぞれ講座を担当、7月国会へ障害者自立支援法について要請、8月わの会コンサート主催(700人参加)、毎月の日本ALS協会東京都支部、NPO法人わの会、ヘルパーステーション、加えて自分の介護体制の確立など駆け足の2005年でした
06年4月から介護保険が改悪されます。最弱者への年間700億円を上回る負担増が強行されます。今年も忙しくなりそうです。小泉内閣存命中に平和のための行動もしたい。変わらぬご支援に心より感謝申し上げます。
あとがき 「どうなる」でなく「どうする」の年に。障害者自立支援法の細目もこれからだ。
第188号 2006年1月18日
週刊/ALS患者のひとりごと
今日は/お世話になります
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訪問看護ステーション開設にむけて
この訪問看護ステーション利用者第一号予定の佐々木です。新しい理事としてもよろしくお願いします。私は96年11月ALS(筋萎縮性側索硬化症)告知ですからALS満10年となりました。なお99年12月気管切開、00年3月から人工呼吸器をつけ在宅療養中です。なおほかにNPO法人わの会の理事長もやっています。
これまで下西さん、小倉さん、殿岡さんに、私たちは10年の長きにわたり大変お世話になっております。ALS患者の希望の会の様々なとりくみへのボランティア活動、患者訪問や患者家族への相談活動、そしてわの会でもデイサービスでもヘルパーステーションでも、ある時はボランティア、ある時は講師、ある時は技術指導と様々にお世話になり続けております。この場をお借りして心より感謝とお礼を申し上げます。
たくさんの患者、家族そして障害とたたかう仲間たちが待っています。新しい訪問看護ステーションがALSや難病患者をはじめすべての障害者にとって希望の灯、やさしさの砦となることを心よりご期待申し上げます。あわせて、多くの様々な困難を乗り越えて、訪問看護ステーション設立めざす皆様の熱意と勇気とたくさんのご努力に、心よりの敬意と感謝を申し上げます。
一定以上の重い障害者は日常生活の一部またはすべてを人の介護、介助に頼らなければ生きて行けない。その理由はどのようであれ、多くの人びとが障害者の生活にかかわるようになる。そしてそれぞれの道筋から人間のいたみに対する協力者となっていく。介護、介助の世界では強さや競争でなく/やさしさ/の価値感が優先する。やさしさにはやさしさが対応し、新たなやさしさ、より深い豊かなやさしさを広げていく。つまりやさしさの連鎖が生まれ広がる。
新しい訪問看護ステーションがやさしさの連鎖の中心になり、やさしさの砦となることを確信します。NPO法人わの会も私たちもお世話になりつつですが、力いっぱい協力していこうと決意を新たにしております。どうぞよろしくお願いします。06年NPO法人わの会 佐々木公一
ライブドア
証券取引法158条違反(偽計、風説の流布)の風説の流布ということの意味がよくわからなかった。こういうことらしい。株式の分割ということがある。1株1万円のものを1株100円に100分割する。新株発行には2か月必要(法律)だから、この2か月の間市場には99%の株は存在せず、1%しか存在しない。だから買いやすくもなり必然的に値上がり傾向となる。そこへうその情報(風説)を流せば値上がり傾向は加速される。現実に05年1月ライブドア(子会社)は約42億円を瞬時に手にした。これまで4回1万分割している。こうして96年資本金600万円から時価総額7000億円に膨れ上がった。なお05年3月株式分割は5倍以内に改正された。
あとがき こんなことがあった。11月はじめ日銀総裁「量的緩和政策(ゼロ金利政策のこと)」打ち切り表明、15日小泉首相「量的緩和政策」継続発言/政府方針化、直後から株価8日続伸日経平均株価は850円上がった。もしこの発言を事前に知りうる者がいたら確実に巨大な利益を手にすることができた。ライブドアも楽天も村上ファンドも政治家、官僚とのパイプを誇示しているが、そんな質と量の情報ぬきに彼らのサクセスストーリーはなかった。つまり勝ち組は若干の落ちこぼれを出しながらも勝ち続け、負け組(国民のほとんど)は永遠に負け続けるのだ。
第189号 2006年2月7日
週刊/ALS患者のひとりごと
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踏むな!私の福祉を削るな!
わの会新年会挨拶
/重度の障害者にも福祉サービスの利用に一割負担を求める「障害者自立支援法
」が成立した今年は、障害者運動の歴史の中でとりわけ苦い年として刻まれること
だろう/
新潟日報12月30日の社説はこのように書きはじめられ、このように結ばれている
。
/自分が障害者にならないという保証は誰にもない。障害を負っても、自分らし
い暮らしと人権が守られる安心な社会にしていくことが必要だ。福祉の後退が危惧
(きぐ)される中、障害者運動の大切さがいまほど問われている時はない/
その「障害者自立支援法」の不足額は280億円といわれています。4月から介
護保険が改悪されます。私たちのような最弱者の年間700億円を超える負担が増
えます。何故こうなるか、介護保険発足当時に国庫負担率を従来の50%から25
%に引き下げたからです。そこでお金について考えてみます。
問題の防衛施設庁の年間の予算は約5000億円、うち2000億円が建設、施
設工事だからその約3割600億円(「障害者自立支援法」の不足額の2年分)が
防衛施設庁幹部たちのポケットに入れられたことになります。しかも毎年です。な
お在日米軍へは毎年約6000億円、そのうち3000億円弱は日本からの一方的
プレゼント(思いやり予算)として1978年から続けられ、総額5兆円を超えま
す。これらすべて我らが税金です。
皆さんも御存じのように、96年資本金600万円から時価総額8000億円に
膨れ上がりいま1000億円以下に転落のライブドアのマネーゲームもあれば、「
障害者自立支援法」の不足額280億円に命を脅かされる全国の障害者の現実もあ
ります。これらをどう理解すればよいでしょうか。他方で米国産牛肉輸入問題で中
川農水相が、外食産業から400万円、谷垣財務相40万円、武部幹事長60万円
の献金を受け取っています。こんないい加減な人たちもいます。
踏まれたら「痛い。踏むな!」「私の福祉を削るな!」と皆でいいましょう。
わの会は、どんなに重い障害を抱えていても、その人らしい生き方を支援し、共
に創りだすため引き続きがんばります。支えあう「わ」、共に作りあげる「わ」、
みんなの想いをつなぐ「わ」をさらに広げるよう、わの会はがんばります。
私事ですが、病気をしている暇がない程忙しく動いた昨年。その事を年賀状に書
いたら、数年前までは私の病気に同情してくれる便りばかりでしたが、今年は『ご
くろうさま』という年賀状がとても多くなりました。全身介護を必要とする私です
が、今年も皆さんのお世話になって皆さんと一緒に頑張ります。新しい年引き続き
どうぞよろしくお願いします。
2006年2月5日 NPO法人わの会 理事長佐々木公一
あとがき 障害者行政の改悪がすすんでいる。福祉作業所ではわずかの工賃を上
回る利用料が課せられる。デイサービスの420円の昼食代補助が削られる。いま
来年度のアメリカの軍事費が52兆円(日本は約5兆円。なお世界の軍事費120
兆円、国連の通常予算約2100億円)と報道された。このばかげた現実に目を向
けたい。沖縄米軍基地のグァム移転費用6000億円を日本政府が負担しようとし
ている。「踏むな!私の福祉を削るな!」と叫び続ける1年に確実になる。
第190号 2006年3月4日
週刊/ALS患者のひとりごと
今日は/お世話になります
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「体験記/生きる力」
ALSに私の人生を中断させない1
96/1 発症
右手がだるく思うように動かない。腱鞘炎と理解、自己治療。
友人より右手親指と人さし指の筋肉の減少を指摘され、妻の紹介で気孔治療に行く。その時「私の手には負えない。専門病院に行くこと」と言われた。
ようやく/ただごとでない/ことに気がついた。とにかく本を読んだ。この時期主に医学書のようなものを読んだ。「原因不明、治療法なし、予後3〜5年」あきれるほど同じことが書いてあった。なおこの予備知識が後に役に立った。読む本の内容は、ALSの先輩たちの体験、癌などの闘病記、治療法、障害者問題などへ広がる。
7 通院
通院開始。ほどなく府中病院に転院して諸検査を続ける。
8 転院
この頃妻たちは主治医から病気の概要を聞かされていたようだ。
10 入院
相変わらず検査につぐ検査。ただしそれ以外にやることがないから、ただただ懸命にリハビリにとりくんだ。病院のリハビリのほか10階までの階段の昇り降り、壁投げキャッチボール、病院を出て数キロの散歩など。/直る病いと直らぬ病い、直す(直る)入院、ただただ結果を待つ入院/、ほかの患者の顔を見るたびについこんなことを考えていた。
11告知。
11月、筋萎縮性側索硬化症との告知をうける。神経病院10階、小さな会議室。主治医、看護婦、看護婦長、ソーシャルケースワーカー、リハビリ担当者、それに妻と私。この時点では、事前に医学書などを読んでいたこと、とはいえALSの進行性をリアルには思い描けなかったこと、学生運動の中でだが、/死に直面/というような経験があったこと、などの理由から、あまり大きな動揺はなかった。しかしその直後の主治医と担当看護婦のやさしい言葉には、つい泣けてしまった。車やバイクで走っている時、長男とジョギングもキャッチボールもしてやれなくなるのか、と思った時、涙が止まらなくてこまったことが何回もあった。
97/1 職場復帰
4 職場移動
11 退職
11月から年末、職場の仲間の好意にあまえ、最初の休職。年明けて職場復帰、周囲の暖かい配慮のもと10時〜4時の制限勤務とするも4月には通勤困難となり、5月より制限勤務のまま勤務地を居住地である府中に移動、様々な配慮、援助をうけながら10月まで勤務。しかし車の運転、歩行とも困難となり、11月退職。
11 障害者手帳交付
この時期とにかく人に会いたくなかった。前歯を2本折る、顔を5針縫う、後頭部負傷など10くらい連続してけがをした。みじめだった。杖を持ちはじめた時、車椅子に乗りはじめた時極めて強い抵抗を感じた。まったく眠れない夜も続いた。ALS拒否とみじめな体をみせたくないそれだけだった。人生2番めの苦難の時期だった。(続く)
あとがき 遅ればせながら私も「体験記/生きる力」にとりかかっています。これまで書けなかった事もこの機会に挑戦です。多くの仲間、家族、遺族他の皆様がこの体験記を何らかのけじめにしたいと言っておられます。ぜひ体験記をお書き下さい。私もがんばります。応援もよろしく。
第191号 2006年3月8日
週刊/ALS患者のひとりごと
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「体験記/生きる力」
ALSに私の人生を中断させない2
12 ヘルパー開始
98/1 (教育)入院
こんなことがあった。割り当てられた病室が重い感じの呼吸器装着患者と相部屋だった。過敏になっていた私たちは/呼吸器をつけて生きる/ことの困難さをみせつけるものと受け止め抗議、部屋をかえてもらった。
7 住宅改造
10 保健所訪問看護開始
11 入浴サービス開始
転期1
11月、主治医のすすめにそい、JALSA本部を訪問。難病をめぐる情勢、ALSをとりまく状況、医療や新薬の現状などの話を聞いて、可能性を感じるとともに、病気そのものを比較的客観的にみることができるようになった。
97年4月にJALSA総会で、東京の患者数名が初めて顔を合わせた。その後のALS患者の自宅訪問などの中で、患者同士の交流の大切さを痛感。自分もふくめて多くのALS患者は、孤立した状況におかれ、医療や薬剤の情報などもあまりなく、さまざまな薬や健康補助食品を試行錯誤的に試しているという状況などを知る。
97年7月と98年8月に松本日本ALS協会会長(当時)を秋田の八郎潟に訪問、ご夫妻からのお話は混迷している私たちに感動と生きる勇気を与えてくれた。足の屈伸運動を160回顔を真っ赤にしてしてみせてくれた。呼吸器患者としての入浴もやってみせてくれた。そのほかいろいろなリハビリもみせてくれた。「生きられる。生きろ」との必死の激励に聞こえた。ここで教わった薬や栄養の知識は現在も有効に実践している。
その後橋本みさおさんを練馬に訪問した。呼吸器をつけての元気な日常に圧倒された。妻は橋本さんが3才からの子育て闘病と夫は仕事を続けながらの24時間他人介護の生活ぶりにめをみはり感謝していた。/私たちにもやれる。仕事も介護も両立できる/と。
ALS患者の中でも松本会長をはじめ呼吸器をつけた最も困難と思われる人たちの奮闘ぶりに接する中で、まだ動くことのできる自分たちが、今できることを積極的にやることこそ大切なのだと長年中途障害者の福祉作業所で働く妻や患者仲間と話し合ってきた。そしてとりあえず、お互いの情報を交換しあうことからはじめようと、「希望」の発行を開始した。「思うに希望とは、もともとあるともいえぬし、ないともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ」、魯迅の言葉の示す方向を、力をあわせ、歩みたいと思う。と当時書いた。
転期2 「府中地域福祉を考える・わの会」
同時期に、居住地である府中市で「府中地域福祉を考える・わの会」を結成し、主に障害者・高齢者を対象に、パソコン教室、旅行会や食事会、カラオケや病院などへの移送等の活動をすすめてきた。現在NPO法人取得、デイサービスやヘルパー派遣など介護保険事業もすすめている。
あとがき 2/11JALSA東京都支部役員会、18晴海で医療制度改悪反対全国患者家族集会、21日は渋谷保健所でのALS患者会3/5葛西臨海海洋公園へわの会1日旅行、鮪と対面。
第192号 2006年3月16日
週刊/ALS患者のひとりごと
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お礼/卒業されるみなさんへ
一年有余にわたり様々にお世話になりました。困った時の突然のお願いにもたくさんのわがままを聞いていただきました。
荒巻さんのテンポのよい介護に私も元気になりました。口の文字盤も素晴らしい。
大道寺さんの不思議な安定感にはいつも感心しました。特に/教え方/がとても上手でした。
河埜さんはお母さんのようなくつろぎを作ってくれました。マッサージにも様々な工夫をしてくれました。心よりお礼申し上げます。
引き続き輝いて下さい。時々こんなことを考えて下さい。
1、希望を強くもっているか。2、目的、目標をもっているか。3、やりたいことをやっているか。4、結果に責任をもっているか。人のせいにしていないか。5、そのことのために学習しているか。6、人と交わり人の意見を聞いているか。7、必要とされているか。出番があるか。8、社会の役に立っているか。人びとに支持されているか。
機会があればぜひまたお世話になりたいと思います。気楽に遊びに来て下さい。
/白衣の天使/が楽しみです。 2006年3月13日 佐々木公一
お礼/北沢京子様
長い間様々にお世話になりました。困った時の北沢さんにたくさんのわがままを聞いていただきました。そして介護では、ヘルパー集団の中でやさしく時にはきびしい先輩として、貴重な役割をはたしていただきました。さらに困難だった医療行為問題をともに突破していただきました。家族ともども心よりの感謝とお礼を申し上げます。
ふたつのことを申し上げます。
ひとつはお願いです。いつもやっていただきました足のマッサージの中でも足の指をそらせる(4〜5秒間強く押す)のがとても気持ちがよかったので、ぜひ伝授しておいて下さい。
もう一つは旅の思い出です。
ある旅行(たぶん新潟)で私が常に愛用している足のマッサージ機がヒートアップして困っていたら、北沢さんがベットの足下に椅子を出して座りマッサージをしてくれた後、足の裏をくっつけて自転車のペダルを踏むように押してくれました。こんな方法もあるのかとびっくりしました。感謝です。
清里、桃源郷、八千穂、伊豆、静岡、三浦、小淵沢、小田原、栃木、新潟、福井(あと思い出せません)......家族/としていつも同行していただきました。
当面体調を整えていただき、ぜひまたお世話になりたいと思います。そして佐々木家にとりいつまでも/困った時の北沢さん/でいて下さい。 2006年2月18日 佐々木公一
あとがき 卒業と引退がありささやかにパーティーを開いた。在宅療養、数えきれないたくさんの支援で成り立っている。改めて深く感謝。おかげさまで無事ALS10年になりました。あわせて本『やさしさの連鎖』もまもなく出版されます。たくさんの思いをこめて/感謝の集い(5/21於府中市コンチネンタルホテル)/を準備中です。
第193号 2006年4月19日
週刊/ALS患者のひとりごと
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韓国/CとK
8年前の日韓ワールドカップの時の韓国サポーターの応援タオルにはKoreaではなくCoreaであったことに気付きました。その後偶然テレビでみたどこかの中華街の横断幕がCoreaとなっていてびっくりしました。日本が統治時代前後にアルファベット順で Japanの前に来るCはけしからんとのことでKになったらしいのですが、事実はわかりません。この疑問が消えずにいました。
縁あって韓国ソウル放送の孫永柱さんに教えていただきました。
「さて、以前お問い合わせのcorea と korea の件ですが 韓国の国号は高麗時代の表記で、数世紀を‘Corea’という表記で通用されてきました。
1255年プランス人による <Caule>という表記がはじめてあらわれ、その後 'Cores', 'Coray', 'Corie', 'Corey', 'Coeree', 'Corea'などで表記されました 1882年の朝鮮と日本との条約にも <- 'Treaty of Amity and Commerce between the United States of America and Corea'>と表記されていることが確認できます。19世紀後半まで'C'の表記が使われていました。.
'Korea'という表記は 18世紀後半に初めて現れて、ドイツとイギリスで使われていたようです。
18,19世紀には混用して使われましたが、 1910年日本の統治時代前後にアルファベット順で Japanの前に来るCがJより後のKに定着されてしまったらしいです。
私が知っているのはこれくらいですが答えになりましたか?」
冒頭の文章は本紙97号に書いたもの。はじまりはワールドカップの時の韓国サポーターの応援タオルとテレビ画面の私の記憶。それがこんな大変なことにつながるとは思いもよらなかった。
思えば豊臣秀吉の朝鮮出兵、西郷隆盛の征韓論、日韓併合(1910〜45年)と占領統治、戦後処理、歴史認識など日本の対朝鮮半島に対する弱きをくじく外交と歴史、正視に耐えない。
韓国ソウル放送
4/13に韓国ソウル放送から取材を受けました(5/5放送予定)。そこで最後にこんな質問がありました。
質問 いま一番力を入れてとりくんでいることは何ですか。
答え 全国のALS患者の体験(『体験記/生きる力』)を集めること。発症間もない頃、告知前後の困難にどう向かいどう乗り越えてきたかを短くまとめて多くの患者の経験を集めると、混迷している患者家族に役に立つと考えるから。
質問 その理由を教えて下さい。
答え 最近特に亡くなる患者が多いと感じています。発症後知り合った仲間の多くは亡くなりました。できるだけたくさんの患者に元気でい続けてほしい。発信し続けてほしいと願っております。死んではいけない、生きてほしいと願っております。
あとがき 4月3日三浦へ日帰り旅行、5日イ・ヒアさんとの懇親会、13日韓国ソウル放送からALS療養生活について取材(5/5韓国で放送予定)、16日山梨県患者交流会、17日自立支援法学習会(日本共産党主催於て国会)。それぞれに記憶に残る出来ごとだった。いまの課題は3つ。ALS10年と出版感謝の集い(5/21於府中市コンチネンタルホテル)、体験記/生きる力募集(6月閉切り)、イ・ヒアさんのコンサート(6/14、15於府中芸術劇場)。
第194号 2006年5月24日
週刊/ALS患者のひとりごと
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ALS10年ありがとうございました
本日はご多忙中にもかかわらず、こんなにたくさんの皆さんのご参加をいただきました。心暖まる通信も、たくさんいただきました。深く深く感謝申し上げます。皆さんにお会いして、私の人生のそれぞれのステージでの出合いを、懐かしく思い出しています。そしてたくさんのやさしさに包まれてきたことを、とてもありがたく幸せに思っています。心よりお礼と感謝を申し上げます。
妻、子供たち、きょうだいたちをはじめ、多くの人々の愛情に今日まで支えられてきていいます。何よりも、ALS以外病気に無縁な健康な体に産み育ててくれた両親に感謝しています。とくに父亡きあとの母には、言葉につくせないほどたくさんの心配と苦労をかけています。「ありがとう」と、遠く故郷にいる母に伝えたい。
「責め苦の中で歌ったもののバラード」のアラゴンのように、「もし もう一度 行けというなら わたしはまた この道を行こう」とはいえないけれど、ALS人生、結構楽しく忙しい。49年の健常者人生、10年のALS(障害者)人生、2つの人生から見えてくるものは、たくさんありました。社会への言い分も、徐々に増えてきました。
私はいま医療、介護、看護のみなさんとそれぞれの改善めざす討論、ニュースへの感想や討論、人生相談や時には恋愛相談などの日々の会話の中にいます。ヘルパーステーションあいあい(愛会)の会議は、必ず参加です。重度障害者として、介護を受ける側の意見も述べます。ただヘルパーの労働条件は深刻です。困難ですが避けては通れません。これまでのわの会活動に加えて、これらの分野が課題となり新しい生き甲斐となっています。
ついにキャッチボールもしてやれなかった息子結一郎(発症当時4歳、いま中学2年)との、心のキャッチボールも、新しい生き甲斐に加わわっています。
先日韓国ソウル放送から取材を受け、最後に、こんな質問がありました。
質問 いま一番力を入れてとりくんでいることと、その理由を教えて下さい。
答え 全国の患者の体験(『体験記/生きる力』・現在37人の応募あり)を集めること。
発症間もない頃、告知前後の困難に、どう向かいどう乗り越えてきたか、を短くまとめて多くの患者の経験を集めると、混迷している患者家族に役に立つと考えるから。最近特に亡くなる患者が多い、と感じています。発症後知り合った仲間の多くは、亡くなりました。できるだけたくさんの患者に、元気でい続けてほしい。発信し続けてほしいと願っております。死んではいけない、生きてほしいと願っております。いまこの仕事に、全力でとりくんでいます。
/首から下はどこも動かない「障害一種一級」「介護度五」の私の目標は『発信する、行動する、仕事をする』。ただ、その「発信する」にも、発症前の十倍以上時間がかかる。「本」と書くのに一二回スイッチを押す、「出版」と書くのに二五回スイッチを押すとしても、たとえば、昨年のメール発信数は約一五〇〇だった。結構やれると思っていただけたらうれしい。
どんな難病でも、どんなに重い障害を抱えていても、人間らしく生きられる、社会に貢献もできる。必要な環境(私の場合介護体制とパソコンの維持、管理など)を社会が整えることが出来さえすれば、と思っている。/と本のあとがきに書かせていただきました。
「踏むな!私の福祉を削るな!」連帯を求めて、連鎖を広げてがんばります。本日は、本当にありがとうございました。引き続き、よろしくお願いします。 2006年5月21日 佐々木公一
あとがき ALS10年元気です。ただただ感謝です。本は『やさしさの連鎖―難病ALSと生きる』(1500円/ひとなる書房/03(3811)1372)。祝う会に160人のご参加。感謝深甚.
第195号 2006年6月1日
週刊/ALS患者のひとりごと
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韓国が生んだ奇跡のピアニスト
イ・ヒアさんに会いましょう
イ・ヒアさんは先天性の障害により、両腕の指が2本ずつしかなく膝下の足がない。指の力を鍛えるため、5歳よりピアノを始める。7歳で学生音楽コンクールにおいて最優秀賞を受賞。1日10時間に及ぶ練習は、彼女には過酷なたたかいであったと聞いています。翌93年6月、第6回全国障害者芸術大会で最優秀賞を受賞。その後コンサートで世界をまわっている。
4月5日イ・ヒアさんが都内の福祉専門学校の2000人の新入生にピアノ演奏の後「みなさんも目の前の困難に立ち止まらず、あきらめず、夢がかなうよう進んで下さい。私はヘレンケラ−のように、乙武さんのようになりたい」と呼び掛けたその夜、府中市でのわの会との懇親会にかけつけてくれました。「握手したら天子のようなあたたかさ、やわらかさに感激しました」、参加した視覚障害者の感想です。
お知らせとお願いです。そんな中6月14日と15日にわの会がイ・ヒアさんをお招きしてチャリティーコンサートをおこないます。
曲目
・ショパン/幻想即興曲ハ短調op.66
・ショパン/ワルツ ロ短調op.62-2
・ブラームス/ハンガリー舞曲第5番(ピアノ連弾)
・N.ネッケ/クシコ・ポスト(ピアノ連弾)
・シューベルト/セレナーデ ・アリラン
・アメージング・グレイス ほか
どうぞこのコンサートにお出で下さい。府中の森芸術劇場(ウィーンホール)にお出で下さい。 6月14日(水曜日) 15日(木曜日) 18時30分開場 19時開演
京王線東府中駅徒歩6分 全席指定 3000円
税金と障害者
今年4月から施設やデイサービス(私も利用しています)の昼食代650円のうちの国の負担分420円の1割42円が自己負担に追加されました。そして応益負担の広がりなどによる負担増により、授産施設などで、わずかな労賃を上回る自己負担が続出しています。これらの負担増を行政が肩代わりする軽減措置をとる例えば荒川区の予算は3000万円、区の予算800億円の0・04%、国の予算にあてはめると約300億円です。
他方で沖縄の米軍基地のグァムへの引っ越し費用当面7200億円、さらに合計で3兆円、沖縄に新しく建設する米軍用空港の費用約1兆円。なお在日米軍へは毎年約6000億円を支出、そのうち3000億円弱は思いやり予算、もう総額5兆円を超えます。これらすべて我らが税金です。なおアメリカの軍事費が52兆円、日本は約5兆円。世界の軍事費120兆円、税金の使い方が狂っています。
あとがき 差し迫ったご案内になってしまいました。申し訳ありません。チケットはこのアドレスにお申し込み下さいますようよろしくお願いします。5月21日の大仕事の後、27日日本ALS協会総会、28日三幸福祉カレッジ難病講座などがありました。
第196号 2006年6月14日
週刊/ALS患者のひとりごと
今日は/お世話になります
発行 佐々木公一 ブログ
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hamu@shikoku.interq.or.jp
イ・ヒアさんお帰りなさい
座間市でのコンサートは、いかがだったでしょうか?
先日(4月5日)府中においでいただいた時、あなたのピアノ演奏を聞いてただただ涙している人が、たくさんいました。「驚きと感動」が、いつまでも会場をつつんでいました。「握手したら天子のようなあたたかさ、やわらかさに感激しました」など、やさしい笑顔をあふれさせました。あなたの人を幸せにする不思議な力に、感動しました。
あなたの大好きな乙武さんは、こんなことを言っています。「障害を持っているボク、乙武洋匡ができることは何だろうか。もっと言えば乙武洋匡にしかできないことは何だろうか。この問いに対する答えを見つけ出し、実践していくことが、『どう生きていくか』という問いに対する答えになるはずだ」、二人の姿が重なって見えます。両腕の指が2本ずつしかなく、膝下の足がないという先天性の障害を乗り越え、韓国が生んだ奇跡のピアニストとして、世界に羽ばたくイ・ヒアさんに、感動と連帯の拍手を送ります。
私たちわの会も、それぞれに障害をかかえながらも、それぞれの夢や目標にむかって頑張っています。例えば、首から下はどこも動かない「障害一種一級」「介護度五」の私の目標は、『発信する、行動する、仕事をする』。ただ、「発信する」にも、発症前の十倍以上時間がかかる。「本」と書くのに一二回スイッチを押し、「出版」と書くのに二五回スイッチを押しながらも。
「障害は不便である。しかし、不幸ではない」ヘレン・ケラーのように、世界の人びとを励まして下さい。可能性が無限にあることもあわせて。
そしてイ・ヒアさんと私たちの交流が架け橋になり、韓国の人びととのふれあいに広がれば、これほどうれしいことはありません。
2006年6月12日 NPO法人わの会 理事長佐々木公一
青い山脈とりんごの唄
/青い山脈/の『雨にぬれてる焼跡の 名もない花も振り仰ぐ』の/焼跡/が、東京大空襲の/焼跡/であることを最近知った。だとすると、『古い上着よさようなら さみしい夢よさようなら』は、天皇制の軍国日本の政治体制とその下の暗く悲しい国民感情に違いない。同じように/りんごの唄/の『唄いましょうかりんごの唄を 二人で唄えばなお楽し みんなでうたえばなおなおうれし』は、まさしく民主主義の呼び掛けに相違ない。戦後アメリカ占領軍による原爆報道などへのきびしい統制(プレスコード)のもと歌詞にも様々な苦労が必要だったらしい。
あとがき 4月5日の懇親会以来のイ・ヒアさん歓迎会(6月12日)を開いた。ショパン/幻想即興曲ハ短調op.66などあわせて5曲演奏された。四本の指の奏でる迫力に圧倒された。コンサート今日と明日、府中の森芸術劇場(ウィーンホール)19時開演。京王線東府中駅徒歩6分 全席指定 3000円。6月10日JALSA東京都支部役員会。14、15日はコンサートに行く
第197号 2006年7月26日
週刊/ALS患者のひとりごと
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選択肢
最近親しいALS患者2人が病院とは意見を異にして、在宅療養を強く希望していた。そこで/在宅がなぜよいか/を/選択肢/という観点で説明出来ないかと、サッカーをみていて、こんなことを考えました。
サッカーの攻撃の時、早さとともにボールをパスする時の選択肢が多いほど成功させる率が、高いように思う。つまりこうだ。その場面で選択肢がひとつなら守りをそこに集中させれば、容易に防げる。ところがパスを受けられる選手が4人いれば、選択肢が4つになれば、守る力を4つにわけなければならない。ところで一般的にボールをパスする時の選択肢は、味方の陣地から相手の陣地に行く程に少なくなる。敵地で選択肢をどう増やすかは戦術の問題。ここでは/守りの時は選択肢が多く、攻める時選択肢は少なくなる/。つまり/ゆるやかな時は選択肢が多く、激しくなると選択肢は少なくなる/ことを確認出来ると思います。ただし最近ほんの少し理解したことですが。
野球の場合。接戦の時、例えば(3点差以内)無死ランナー1塁の場合、ランナーをすすめる打法(バントや右打ち)が求められる。選択肢が限定される。反対に同点の無死ランナー3塁の場合、バント、ゆるい内野ゴロ、外野フライなどが可となリ選択肢の選択肢の広がりが、選手をのびのびさせる。余談だが、こんな場面を特に興味深く見ている。バント後の一死2塁の時(1人を犠牲にしてチャンスを与えられた)打者がどう打つか、エラーで出したランナーをどう抑えるか/(エラーをした)野手のためにも必死で投げた/松坂投手のコメントで何回も聞いた。
将棋の場合、最も激しい横歩取り戦法では、12手目が選択肢2つ、20手目が選択肢3つ、それ以外は20手まですべて選択肢はひとつ、つまりそれ以外の手を指せば負けるというきびしさだ。それ以降も選択肢の少ない超激戦が続く。とてもおもしろく興味がつきないが、最初から最後まで緊張の連続だ。
入院生活は朝起きてから夜寝るまで、実に/選択肢がひとつだけ/の時間が長い。消灯から起床まで、さらに食事、回診など延々と続く。治療のための入院ならいざ知らず、療養のための入院にはとてもきびしい。私たち患者は、激しさやきびしさの中では生きて行けない。自分らしく生きるために、ある程度選ぶことができるメニューが必要だ。ゆっくりとそしてやさしさの中でこそ自分らしく生きられる。ところが今一連の医療制度改悪の中、療養型ベットの削減(半減以下)で、病院での長期療養が、在宅不可の患者の選択肢から消えつつある。残る選択肢は死ぬよりない。
ヒズボラ/レバノン
ブッシュやライスがテロリストとよぶ/ヒズボラ/報道がいどうもおかしいので、調べてみた。レバノン国民の40%を占めるシーア派の圧倒的支持を受ける民兵組織で、レバノン正規軍の支持も受けており、メンバーには、14人の国会議員と2人の大臣がいる。レバノン南部に展開している。なぜ民兵組織かといえば、イスラエル軍とレバノン軍の衝突を避けるためということらしい。イスラエル対策におけるシリアの血の教訓に学んでいる。
あとがき 7月14日東海大学、23日JALSA東京都支部役員会、25日患者、障害者団体と日本共産党との懇談会(於国会)など参加。患者・障害者に対して、医療保険制度や診療報酬、介護保険、自立支援医療、そして税制までが、急速にくらしと命を奪う制度となりつつあります。
第198号 2006年8月31日
週刊/ALS患者のひとりごと
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批判のむこうに未来がある
冥王星の問題は、伝統や「歴史」を現実と真理が乗り越えたものと受け止めた。活発な批判精神の賜(たまもの)なのだと思う。真理とはほど遠いアメリカの主張と反対運動を乗り越えたのものだから、価値が高いのだと思う。自民党総裁選挙の候補者たちの発言にも聞くべきものがあった。河野太郎は「800兆円を超える国の借金は、戦後の自民党政治の責任(この種の発言を自民党議員から聞くことは珍しい)。先の戦争は、侵略戦争。靖国には、行くべきでない」、こんなことを言っていた。鳩山氏は、総裁選挙制度を批判していた。谷垣氏の靖国発言も聞くべきものがある。
批判という立場に立つ時、人は真理に近付くように思える。人類の偉大な発見も発明も批判ぬきには、何一つありえなかった。批判のむこうに未来がある、と確言できる。だが反対の場合は。
/以下に述べる餌さにいとも簡単にパクついた候補者たち(特に比例上位の女性たち)、採決の時の態度を翻(ひるがえ)しあろうことか自民党公認と引き換えに詫び状を出した人たち、それよりなにより武部幹事長以下虎の威を借る狐たち、そしてさらに数を増した小泉チルドレン。権力の中枢に巨大な「卑な人間(節を曲げ権力者に膝を屈して生きる)」の集団ができてしまった。卑な道に踏み込んだ足は抜けないもの。私の人生でも何人かみてきた。当面の日本の政治極めて暗い/と総選挙の後に書いた。いま自民党総裁選挙をめぐり安部へ、権力へ、餌への雪崩がとまらない。
批判とは、過去にぞくするものと未来にぞくするもの、まえむきの面とうしろむきの面、積極的・肯定的要素と消極的・否定的な要素、ただしい部分とまちがった部分、プラスとマイナスとをわけること。こうした批判精神こそが人類の歴史の推進力となった。いま急速に消えつつある。
06年夏帰省
11日午前7時出発(公一、節子、結一郎、高橋さん/運転、小林さん、明石さん/ヘルパー)、午前11時養老で食事/中央道経由、午後12時出発、午後5時明石大橋通過、午後7時徳島県鳴門市海鮮料理びんび家(4年振り3回め)で食事、午後9時30分到着。12日午後ALS患者真鍋さん、多田さんをお見舞い(高松東病院)、午後5時長尾町前山ダムにある資料館で、中学のミ二同窓会(当日朝の連絡にもかかわらず13人もの同窓生が集まってくれて大感激。44年振りの人も数人いた)。なお結一郎は、従兄弟と四万十川へ一泊旅行。13日午後親戚(約20人)で会食、その後四国巡礼88番大窪寺参拝。石碑に/あなうれし ゆくももどるも とどまるも われは大師と 二人づれなり/とあった。14日午前屋島、午後津田の松原、夕方墓参り、夜弟家族と会食。津田の松原に海辺への行きの名前は「願い橋」、帰りの名前を「叶え橋」という小さな素敵な太鼓橋がある。15日午前7時30分出発、午後9時頃帰宅なお合間での訪問もあわせて40数人にお会いした。
ヘルパー小林さんの感想 4泊5日の長旅とても楽しかったです♪ あんなに長い時間車に乗っていたことも四国に行ったことも初めてでした! 屋島や大窪寺や津田の海、願い橋、鳴門海峡と、とてもいい思い出ができました。四国の佐々木さんのご実家のご家族の方達もいい人達で、居心地がよかったです♪ 讃岐うどんやかわらせんべい、関東...なんとかのおでんもおいしかったですし、お家で食べたご飯もおいしかったです(^^) おいしいをご飯をたくさんありがとうございました。ごちそう様です。
あとがき 4年ぶりの帰省で古里のあたたかさに触れて来た。感激。今週赤旗日曜版の取材があった。体験記/生きる力についてNHKから取材申し入れ、岩波書店と出版の相談が進行中。
第199号 2006年10月27日
週刊/ALS患者のひとりごと
今日は/お世話になります
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ご挨拶/高松一校関東同窓会
今から35年前、高校の化学の先生から/佐々木くん、原発はだめよ。なぜなら分裂エネルギーに依拠しているから/といわれたのをおぼえている。と6年前にかきました。その化学の森先生に「佐々木くん」ときびしくやさしく、いつもしかられていました。最近森先生から大変感動的なお手紙をいただきました。41年ぶりにお会いできて感激です。
みなさん、第一同窓会以来のご無沙汰申し訳ありません。あの時は、発症の年、あれから病気(ALS/筋萎縮性側索硬化症)の進行、入院(これまで合計4回)、告知、気管切開、呼吸器装着、在宅療養。そして患者会の活動やヘルパーステーションの運営、地域福祉(わの会)の活動、NHKテレビ『きらっと生きる』出演、などありました。
中でも今年は、とりわけたくさんのことがありました。初めて外国(韓国ソウル放送)の取材、本『やさしさの連鎖(ひとなる書房)』出版と『ALS10年感謝の集い』、4年ぶりの二度の帰省(二度目は母の葬儀)、赤旗日曜版(10/8)掲載、ALSの仲間の体験記『生きる力』を岩波書店より出版(11/28)、NHKの取材、ほかにヘルパーの難病講座や大学の福祉学科での講演などでした。
4年ぶりの古里は、格別にあたたかったです。中学のミ二同窓会(当日朝の連絡にもかかわらず13人もの同窓生が集まってくれて大感激。44年振りの人も数人いました)。親戚で会食、20人も集まってくれました。ほかにもたくさんの人に会いました。
本日のご案内も、福家さん、溝縁さん、古谷さんさんはじめ、みなさんの格段のあたたかいご配慮をいただきました。改めて心よりの感謝を申し上げます。
みなさんのご活躍、ご健勝をお祈り申し上げます。私は、これからもう一度大学生になること、受ける側からの介護論を研究すること、ALS患者の『体験記/生きる力』をさらに多く集めること、を目標にがんばります。引き続きよろしくお願いします。10月21日 佐々木公一
桑のトンネルを毎日歩いた
家を出ると川があった。その川を横断して暗渠(あんきょ/四角い水のトンネル・昔のコンクリート)があった。その上を歩いて川を渡った。細い道が続いていた。途中に小川があった。いつも澄んだ水が流れていた。近所の人びとが、野菜などを洗っていた。左手は畑や野原、右手には畑に続いて民家が2軒あった。ほどなく左に曲がると、さらに細い坂道が続いた。自転車一台、人ひとりが通れる坂道であった。坂道を登り切ると一面に桑畑が、広がっていた。桑のトンネルを毎日歩いた。秋には、桑の実を、舌を紫色に染めて、食べた。桑畑をぬけるとお寺があった。お寺の境内を通り、門をくぐって通りに出て、学校に向かった。昭和30年代はじめ、こんな風景が、広がっていた。
あとがき 同窓会には約200人参加。特別に歓迎された。恩師も私の席に飛んで来てくれた。たくさんの人から声をかけていただた。東京の/古里/も格別にあたたかった。上の文は、母の葬儀の時近くを歩いて思い出して書いた。忙しさにかまけていた本誌、少しづつ復活をめざします。