世界と国家と人生

(追記) (追記ここまで)

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本記事に追加・修正したものが、『日本式 正道論』の序章として新たに掲載されています。
そちらを見ていただくことをお勧めします。
『日本式 正道論』序章 世界と国家と人生、そして道

はじめに

ASREADをご覧の皆様、はじめまして。
縁がありまして、ASREADに論文を書かせていただけることになりました。本論文は、日本人の言説を参考にしながら、世界や国家や人生という思想的哲学的な問題を論じています。少しでも興味がありましたら、是非読んでみてください。

心世界

世界には、たくさんのものが在って、色々なことが起こります。
世界という言葉は、仏典にはじまり、衆生の住む所をさします。「世」は過去・現在・未来の三世の時間、「界」は東西南北上下の空間をさします。宇宙という言葉も、「宇」は空間、「宙」は時間をあらわしますから、世界は宇宙という語に近い意味を持っています。一般語としての世界は、人間や生物が暮らしている範囲や、知識の届く範囲の総体を意味します。

世界の認識は、心によって可能となります。それゆえ、心そのものは一つの世界です。日本臨済宗の祖である栄西(1141〜1215)は、心について、〈それ太虚か、それ元気か、心はすなはち太虚を包んで、元気を孕むものなり(『書簡』)〉と述べています。
心とは、世界そのものであり、世界において相交わることなのです。

江戸後期の儒学者である佐藤一斎(1772〜1859)は、〈満腔子是れ惻隠の心なるを知れば、則ち満世界都て惻隠の心たるを知る(『言志後録』)〉と述べています。満腔子とは体全体のことであり、惻隠の心については、『神皇正統記』において、〈正直慈悲ヲ本トシテ決断ノ力アルベキ也〉と言い、〈決断ト云ニトリテアマタノ道アリ〉と述べています。どのような世界を成しているか、どのような人生を為しているかによって、決断の仕方が決まるのです。複数ある選択のそれぞれの意味を考慮し、それらを比較することで、選択肢の中から決断が行われるのです。

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(追記) (追記ここまで)

西部邁

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コメント

    • 知行合一
    • 2013年 12月 14日

    大変興味深く読ませて頂きました。ブログも拝読させて頂きます。

    • ありがとうございます。
      ブログの方でもいろいろと論じていますので、興味がありましたら見ていってください。

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