青椒肉絲
青椒肉絲(チンジャオロース、チンジャオロウスー、チンジャオルースー)とは、現代日本ではご飯のすすむ人気の中華料理だが、起源は中国清時代まで続いた恐怖の刑罰、凌遅刑に処された人肉を使用した炒め物である。
凌遅刑と本来の青椒肉絲[編集 ]
「凌遅刑」というのは、罪人を木に縛り付け、刀で肉を少しずつ削り落してゆく刑罰である。つまり、なるべく罪人を長い間苦しめる目的で作られた刑罰であるから、なかなか殺してくれないのである。どのような方法かと言うと、縛られて顔面蒼白な罪人を処刑人が無表情に皮をつかんで刃を当て、鉛筆を削るように肉を削ぐ。コマ肉一丁出来上がりである。罪人は泣き喚いて「早く殺してくれ!!」と叫ぶが、そうは問屋が卸さない。見物に来た民衆が様々な声をあげる中処刑は粛々と進められ、そうして指は芯が露出した鉛筆の如く、胴からは肋骨が花のように咲き、大腿部には熟れたザクロのような割れ目が広がる。この処刑は見せしめの意味も深いので、罪人が入刀一発目から自分の血を見、アワ吹いて死のうとも3000回切り落とすまで刑は事務作業がごとく続けられるのだ。
こうして、地面に落ちた「コマ肉」を3000個あるかしっかり記録係が確認すると、刑が終了とみなされ(ここでの罪人の生死はどうでもいい。さすがに3000個コマ肉を提供してしまっては諦めるほかないが)、民衆たちにコマ肉&罪人のからだが渡される。民衆たちはその体を見事にスルーし、地面に落ちたコマ肉を我こそはと麻袋に集めまくる。こうして得た肉は日差しにより一部醗酵もとい腐敗が始まっていて、その肉を安全に食するために殺菌効果のある調味料、具材つまり老酒と塩、そして青唐辛子(青椒とはピーマンまたは青唐辛子の意である)のみで他の野菜などと炒め合わせた料理、それが青椒肉絲の起源である。
現代の青椒肉絲[編集 ]
青椒肉絲と名のつく料理は、日本には四川飯店の創始者、陳建民によって伝えられた。本来の青椒肉絲の姿を陳建民が知っていたかは謎であるが、氏の有名な言葉である「私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ」などから、彼が日本へ輸入する際に肛門への刺戟の強すぎて、肛門の弱い日本人には痔を誘発しがちな青唐辛子をピーマンにし、人肉は他の肉、つまり畑の肉大豆や、大地の肉ミミズに変えたことはもちろんのこと、全体として日本人向けな色鮮やか中華料理にしたことが想像できる。
氏が当時日本人向けに改変した青椒肉絲は、刺戟弱めで蛋白源も低カロリーで健康的であったが、味の素食品のレトルト合わせ調味料「CookDo」が台頭すると、濃いめの味付けとなり、同時にそれに合うとして、ヘルシーだった蛋白源も脂の強めな牛肉や豚肉が用いられるようになった。
次第に各家庭の味がCookDoの味に画一化されると、その味に洗脳された若者(特に大学生)は中華料理店でも刺戟を求め、「ヤサイマシマシカラメニンニク」とラーメン二郎で伝授された呪文を唱えるようになったとかならなかったとか。