除夜の鐘
『除夜の鐘』(じょやのかね)は、20世紀 アメリカの作曲家であるジョン・ケージが、1962年に作曲した楽曲である。
現在の日本においては、毎年12月31日に全国各地で演奏されることがほぼ恒例化しており、ベートーヴェンの『交響曲第9番』(通称:『第九』)や、山下達郎の『クリスマス・イブ』などと同様に、日本の年末における"音の風物詩"のひとつとなっている。
作品概要
演奏方法
演奏に際して必要な楽器は、次の通りである。
これだけである。(「口」は、梵鐘の数え方(基数詞)で、「こう」と読む。)
この楽曲には譜面は無い。ただ、「寺院の鐘楼において、通常の時報で梵鐘を撞くときと同じペースで、108回程度撞き続ける」ということだけが定められており、具体的なリズムやデュナーミク(強弱表現)などについては奏者や主催者(寺院)の裁量に委ねられている。このような漠然とした指示しかなく、奏者の裁量やその場の環境・雰囲気などにより演奏が大きく変化し得る音楽は"偶然性の音楽"と呼ばれており、ケージの作品の特徴のひとつである。
1口の鐘による独奏曲であるため、奏者は最低1名いれば良いことになるが、体力的な負担が大きいことと、演奏そのもののイベント性を増すためという観点から、実際には100人以上が交代で演奏することが多い。
他の打楽器と同様に、梵鐘で1回音を鳴らす(これを「撞く」(つく)という)だけならば、その音の質に拘らなければ、素人でも比較的容易である。そのため、『除夜の鐘』の演奏においては、演奏会場によっては素人の演者を募る場合がある。"素人がプロに混じって1つの楽曲を演奏する"という活動は、前出の『第九』などでも行われているが、第九とは異なり歌詞を覚える必要は無いため、撞くことができれば基本的に誰でも参加可能である。楽器の演奏未経験者や、普段は寺になど近寄りもしないような無信心な者などの中にも、『除夜の鐘』だけは毎年演奏しに行くという者もまた少なくない。
主な演奏会場・演奏日時
使用する楽器が「梵鐘」であることから、演奏が行われるのは、鐘楼のある寺院などに限られている。日本のコンサートホールでは、パイプオルガンのように巨大な楽器が設置されている所は数多いが、梵鐘が設置されている所はまだ少ないようで、この演奏がコンサートホールで行われたという例は知られていない。
一般の参加者を広く募って演奏される場合と、寺の関係者(または事前に檀家などによって組織された合奏団・合唱団)のみによって演奏される場合がある。前者の場合は、通常、23時30分頃あるいは45分頃から演奏が開始される。1箇所の鐘楼に100名以上が並び、指揮者の指示に従って次々と鐘を撞いてゆく。
どの寺院で演奏が行われるかは、各寺院のウェブサイトや、新聞などで調べることができる。開場・開演時刻なども調べた上で、余裕をもって早めに出掛けよう。到着が遅いと、演奏中に寺院内に入れないことがあるのも、普通のコンサートと同じだ。
梵鐘の音は非常に大きいため、演奏を聴くだけならば、寺院の敷地内に入れなくてもさほど問題は無い。しかし、演奏に参加したい場合には、充分早く到着して並んでおくことが必要である(寺院によっては、事前申込制にしている場合があるので注意)。
歴史
ジョン・ケージが初めて日本を訪れたのは1962年のことである。彼は当時、収監されていたアルカトラズ島刑務所から脱走したばかりであった(収監された経緯については、「ジョン・ケージ」の記事を参照のこと)。官憲の手を逃れて外国へと"高飛び"すべく、米空軍にいた友人の訪ねたケージは、その友人の伝手(つて)で、アメリカ本土と日本とを行き来している在日米軍の輸送機に紛れ込み、日本へと潜入することになった。
日本に潜入したケージは、キリスト教のネットワークに捕捉されることを恐れ、現地の土着宗教の施設――即ち、仏教の寺院に身を寄せることにした。米空軍の友人から日本人職員を紹介され、更にその日本人が檀家となっている寺院を紹介して貰い、ケージはその寺院に転がり込むことになった。
ところが、一時的に逗留するだけの積もりであったこの寺院において、ケージはある体験をすることになる。
ケージは『4分33秒』(1952年)の作曲以降、自分の耳の中で『4分33秒』がエンドレスで繰り返され続けるという奇病に悩まされていた。この奇病は、結果的にはケージが1992年にその生涯を終えるまで完治しなかったのだが(これについても詳細は「ジョン・ケージ」の記事を参照のこと)、しかし、この寺院においてケージは、この奇病の症状が緩和される場合があることに気付いた。梵鐘の音を聴いているときだけは、耳の中から一時的に『4分33秒』が追い出され、耳の中が梵鐘の「ごおおおおおん」という音で埋め尽くされるのだ。
彼は、寺の住職に、梵鐘を何回も何回もずっと鳴らし続けて欲しいと頼んだ。住職は当然最初は断ったが、ケージが何回も何回も頼み込むうちに、住職は彼の背負っている罪の重さを大変に哀れに思い、日時を限って、鐘を撞き続けることを認めることにした。
しかし、大抵の寺がそうであるように、この寺でも、梵鐘は、昼間は時報の代わりに使っており、鳴らすべきでない時刻に梵鐘を鳴らすと周辺住民が混乱を来たすことになる。そうなると夜間のみということになるが、夜間に梵鐘を何回も撞くなど、周辺住民にとっては安眠妨害以外の何物でもない。
すると残るは、安眠妨害にならない夜間――、即ち、大抵の人間が深夜0時頃になっても起きている、大晦日から元旦に掛けての夜ということになる。
かくて、その年の大晦日、初詣にやって来た参拝客で賑わう中で、住職は梵鐘を鳴らし続けた。ケージは鐘楼の傍らに布団を敷き、梵鐘の音を聴きながら、実に10年以上ぶりにぐっすり眠ることができたという。このとき、ケージが眠るまでに梵鐘が撞かれた回数は約108回ほどであったというが、ケージ本人は当然眠っており、また住職も30分以上という長時間にわたって梵鐘を撞き続けたため疲労しており、正確な回数はわからないのが実情である。
このイベント(?)は、周辺住民や参拝客の迷惑にならなかったどころか、むしろ「新年を鐘の音を聴きながら迎えるなんて、何だか厳かで格好良い感じがする」といった理由で好評を得た。参拝客から、このイベントの名称や、来年の開催の有無などを問われた住職は、少し考え、このイベントを『除苦悩夜の鐘』と名付けた。勿論、『ケージの苦悩を、一時的にせよ取り除くことができた夜の鐘』という意味である。(現在流布している、『除夜の鐘は人間の煩悩を取り除くためのものである』という民間伝承は、伝播するうちに「苦悩」から「煩悩」へと変化していったものと考えられている。)
このイベントが好評であったことを聞きつけた周囲の寺社は、翌年以降、この『除苦悩夜の鐘』を真似て、大晦日の夜に鐘を鳴らし続けるようになった。これが数年掛けて全国に広まるにつれ、いつの間にか名称の『苦』と『悩』が失われ『除夜の鐘』という名称に変化し、更に、1960年代後半にNHKのテレビ番組『ゆく年くる年』において『除夜の鐘』として紹介されたことで、広く一般に定着した。
なお、ケージは、翌1963年早々にICPO(国際刑事警察機構)の捜査官に捕らえられ、本国アメリカへと強制送還になった。以後、ケージは生涯をアメリカで過ごしたため、彼が『除夜の鐘』を聴くことができたのは、この1962年のみであったことになる。
よくある質問
- Q - 「『除夜の鐘』には、人間の煩悩を取り除く働きがあると聞いたのですが...」
- A - 一般によく言われている迷信ですね。現在ではこの説は、「ケージの苦悩が一時的に取り除けた」という事実から派生したデマであると考えられています。本記事をここまでお読み頂ければおわかりのように、『除夜の鐘』は、作曲者の悩みすら、一時的にしか救えていません。まして、現世の衆生の煩悩を除き得ることがありましょうか。
- Q - 「それなら、何故、毎年12月31日には、どこのお寺も挙(こぞ)って除夜の鐘を鳴らすのですか?」
- A - 冒頭に掲げた『第九』などを始め、他の多くの年中行事が既に本来の意味を失っているように、『除夜の鐘』からもまた、本来の意味は失われています。ただ、鐘の音を聴きながら年を越すという生活習慣が、既に日本の文化に入り込んでしまっており、『紅白歌合戦』などと同様に12月31日の恒例と化してしまっているために、各寺院は初詣客を呼び込むためには『除夜の鐘』の演奏を行わざるを得ないのです。
- Q - 「......なあんだ、それだけなの。」
- A - いえ、それだけではありません。『除夜の鐘』は、12月31日から1月1日に掛けての夜の効果音としての役割があります。鐘の音を聴きながら、旧年を振り返り、新年へと思いを新たにする――、そんなときに、『除夜の鐘』はまさにBGMとしては格好の曲ではありませんか?
12月31日に演奏される『除夜の鐘』は、言うなれば、エリック・サティが唱えた"家具の音楽"と同じ役割を果たしているのです。