超感覚的知覚
超感覚的知覚(ちょうかんかくてきちかく)とは――...観念的であり、しかし根源的なものを鷲づかみにする一種の生来的技能であると思われる。
概要[編集 ]
かねてより指摘されていたことだが、文化を得た人間はこういった能力を捨て去るかわりに「合理」という得体の知れない法によって社会を支配するが、これは自己矛盾であって、結局社会を滅ぼしていくことになると思われる。(現に論理が跋扈する世界を形成した科学者たちによって環境破壊や戦争が起こっている。またこういった流れは、推理小説において事件が整理されていくことで終息をむかえるというストーリーが無意識的に形作られたことにも見つけられる)要するに、このフローチャートを人類生誕以来何回もループあるいはリサイクルしていると思われる。そこで斯様な輪廻を断つべく、ここに超感覚的知覚普及のため筆を執ることになった。
宗教との差異[編集 ]
超感覚的知覚は人類に生まれつき備わったスキルであるにもかかわらず、これを「宗教だ」といって否定し続ける者が極めて多い。超感覚的知覚を用いれば斯様な誤解などすぐに改めるであろうが、能力の存在そのものを信じてすらいないのだから説得のしようがない。ゆえに「宗教だから否定する」という不可解な指摘を解しておこう。
無用な紛争を避けるために発言は最小限にとどめておく。宗教とは「祈り」を行うための形式である。この「祈り」とは超感覚的知覚のように何かを認識する行為ではなく、おのおのが希望するものに向けてのコンセントレイションである。確かに二つとも生来的技能ではあるが、類型がまったく異なっているのである。まれに宗教団体において超感覚的知覚が用いられることもあるが、すべては本分である「祈り」のためである。
...と、ここまで目で追った読者の中には、本当はこのことに気づいている者がいるのではないだろうか。であるならば読者はこのスキルの使用法を「思い出す」はずである。
例題[編集 ]
ここで実際に読者の超感覚的知覚を呼び起こすため、つぎの画像から情報を読み取って欲しい。 まず図1。
エジプトの太陽神ラー?実際の名称などどうでもよろしい。もっと抽象的かつ本質的に捉えていただきたい。なお、模範解答は以下の通り。
「全体的にアマゾネス。それでいてなんだか森永の小枝みたい。ただコルセット的な部分が抹茶味をのぞかせているが、やや蛇っぽくもある。頭の上にはメジャー。右手に何かを挟むやつ。左手には火かき棒。よってこれはアマゾンで用務員をやってらっしゃる方」
では次の図2をみて答えよ。
得られる情報に対しては冷静にこれを受け止めなければならない。しかし、恐怖や怒りといった感情は理由がないものに限り、情報を整理するための基準とみなしてよい。模範解答は以下の通り。
「小麦粉で満たされたフロアで四つんばいになって遊んでた人が手だけ洗った。ビニールホースを常にかぶっているほどアホなので、精神鑑定を受けている。今にも医者に襲い掛かろうする威圧感がある」
総括[編集 ]
例題に取り組んでもらうと分かるとおり、既存の知識が超感覚的知覚に干渉しようとしてくる。これは本件の能力をモノにするために超えねばならない最大の壁である。確かに「知識」とは社会生活において即戦力となる技能であるが、これを捨て去る、あるいは新しい知識を排除することこそ、超感覚的知覚への近道である。是非、精進していってほしい。