藤原秀郷
藤原 秀郷(ふじわら の ひでさと、生年不詳 - 991年)は、平安時代中期に活躍した伝説のイケメン 武将。通称:俵藤太(たわら の とうた)、伝説の将軍(英雄)、ドラゴンナイト。世界最強のイケメンギタリストハーマン・リの尊敬する人物でもあり、イギリスの多国籍軍「ドラゴンフォース」のドラゴンはこのイケメンが由来である。また、ファイアーエムブレムシリーズに登場してくるD(ドラゴン)ナイトのモデルはこの伝説のイケメンである。
伝説概要[編集 ]
藤原北家・魚名流の後裔の一人で関東・東北等の秀郷流武家藤原氏の家祖でもある。有名・無名に関わらず後裔氏族がすんげぇ〜いっぱいいるよ。
容姿は平安時代トップクラスのイケメンであるが文部両道を貫いている。性格は温厚でクール。中身は子供、田舎者のしゃべり口調で当時の平安女子たちに対してギャップ萌えにて虜したという伝説を残す。あの紫式部も21世紀前半をときめく!?AKB48メンバーたちも虜になったみたいだ。普段の言葉づかいでは一人称「オラ」、二人称「おめぇ」。朝廷など公の場では流暢な敬語・京言葉等を駆使する。
出生・出身国がいまいちよくわからないが、下野大掾を務めているおっとう・藤原村雄の子として誕生する。それからというもの、いたって平穏な少年時代を下野国にて過ごす。元服すると、秀郷と名乗るようになり、下野国の在庁官人として勢力を保持していたがあまり出世欲がなかったみたいだ。そんなある日、916年に隣の国の「上野国衙」の抗争をあおってしまったので一族諸々流されてしまったとされているが、実際には秀郷の武勇の凄さが神憑っていることを国中が知っているため、簡単には流せなかったのが通説である。別に抗争を煽らなくても・・・お察し下さい
2年後の929年には、何事とも無かったかのように下野国衙より追討官符を出されている。←何の事だかよくわからないが後に下野の唐沢山(今の佐野市)に城を築き「オラの城〜!!」と絶叫し泣いて喜んだという伝説も残している。
それから10年後の939年、当時坂東(今の茨城県の坂東市)の地にて関東独立国を作り「俺様が新皇だ」調子こいていた中二病患者の平将門が兵を挙げて関東8か国を征圧する(天慶の乱)と、後々の親戚関係になる平貞盛と遠い親戚にあたる藤原為憲が「助けてくれ〜伝説の武将なんだろ?」と秀郷の元に集まり、「オラに任せておけ!!」と快諾。3人は北関東連合結成。翌天慶3年940年2月、将門の本拠地である下総国猿島郡を襲い関東独立国を滅亡させた。この功により同年3月従四位下に叙され、11月に下野守に任じられた。さらに武蔵守、鎮守府将軍も兼任するようになった。伝説の将軍となったことについては後述にて。
ザ・ドラゴンナイト[編集 ]
秀郷がまだ少年期か城を築く前か分からないが、おっとうのお使いで近江国に出向いた時だったそうな。
近江国瀬田の唐橋に白くて美しい巨大な大蛇がぐったり横たわり、人々は怖れて橋を渡れなくなったが、そこを通りかかった際に、別に気にしないと臆することなく大蛇を踏みつけて渡ってしまった。その夜、美しい娘(絶世の美女)が訪ねた。「オラ俵藤太(藤太とは藤原氏の長、太郎の意。当時は外ではこう名乗っていた)ってんだ。おめぇは?」娘は「わたくしはしらゆきと申します。近所の琵琶湖に住む龍神一族の者です。昼間藤太様がわたくしの背中をお踏みつけたなられましたよね。あれはわたくしなんです。」とあの大蛇はこの娘が姿を変えたものだった。秀郷は若干後悔しつつもしらゆきの話を聞いたそうな。しらゆきは「今龍神一族は三上山の大大大百足に苦しんでいます。どうか藤太様、あなたのようなお強い方を見込んであの百足を退治してください」と懇願したそうな。
秀郷は快諾し、剣と弓矢を携えて三上山に臨むと、山を7巻き半する大大大百足が現れた。秀郷は「おめぇはオラに勝てねえ、戦わなくても分かる」と矢を射たが大百足には通じない。最後の1本の矢に気を集め、神様に祈念して射るとようやく大大大百足を退治することができた。秀郷はしらゆきからお礼として、米の尽きることのない俵などの宝物と、馬代わりの龍を贈られた。また、龍神一族の長でしらゆきの父から後に対決するであろう平将門の弱点を助言をもらったそうな。これにより、討ち取ることができたという。
秀郷と龍神一族の別れの際、しらゆきはイケメン武将である秀郷に「わたくしをお連れになって・・・」と頼むが、秀郷は非常に名残惜しそうに「俺ら東京さ行くだ」と言って去ったそうな。しかし後にしらゆきが秀郷の継室になったことは言うまでもない。
その後秀郷は本拠地である下野国に龍に跨り帰国。天から舞い降りた秀郷は宝物を身に着け、その勇敢とした姿で国中の人々を圧倒した。おっとうに会うと「おめぇその大蛇はなんだ?」と指摘。「大蛇じゃねぇ。馬代わりの神龍(シェンロン)だ」と言い。おっとうである村雄の殿の度肝を抜いた。
下野の誰かが言った「秀郷公はやっぱりオラ達の殿様だな〜それでイケメンなんだからホントにチートだよな〜」と国中の誰もが認めるほどの武将になっていた。
ここに、ドラゴンナイト・藤原秀郷が誕生した。
ドラゴンナイト・ライジング[編集 ]
ドラゴンナイトと国中から慕われ、悪から恐れられても秀郷のマイペースぶりは相変わらずであった。そんな時である。
当時、貴族たちは贅沢な暮らしをしていた。そんなもののために地方は重い年貢を強いられていた。しかし下野国押領使である秀郷はそんな細かいことは気にはしていなかった。下野国の民達が平和な生活送ることを常に思い働いているからである。
秀郷とは真逆の考えで自分の食糧の多くが年貢として納められるのが面白くなかった桓武平氏高望流の平将門は必ず反乱を起こすことを画策していた。
そんな中、父親が死んでしまい国に帰ると高望王の子で母方の伯父・平国香(高盛)というおかまの義理の伯父が領地を勝手に貰っているではないか。父親のものだった領地に次々とおかまバーを立てる国香に腹を立てた将門は兵を挙げて、これを滅ぼした。
おかまの子でニューカマー拳法の達人である平貞盛・平繁盛兄弟は、叔父の平良兼(長田次郎)とともに母方の叔父である常陸介・藤原維幾を頼り復讐の機会をうかがった。同時に維幾の分家筋の伊佐玄明(藤原玄明)が外道との札付きのワルであり、維幾と対決して好き放題にやっていた。貞盛兄弟は維幾に助太刀して、玄明を霞ケ浦から強引に追い払った。(平将門の記事とほとんど同じ)
玄明は、道中で盗賊行為をしながら、将門を頼った。将門は本拠地坂東にて任侠心から玄明をかくまった。維幾は将門に玄明の引き渡しを要求したが、あっさりと拒否された。
激怒した維幾はこのことを朝廷に告げ口したために、将門は朝廷と戦うはめになり、維幾を捕虜として、天下に号令して「新皇」という役職を勝手に作って自分が皇帝の国である関東独立国を作ろうと立ち上がった。
このことを本拠地唐沢山城で知った秀郷は隣の国である常陸国坂東で内乱が起きるのではないかと心配をしていた。しかし、秀郷の心配もむなしく将門は兵を44300以上の兵を率いて関東のすべての国を制圧しようと動き始めていたのだ。将門の勢いはすざましく、あれよあれよと南関東を制圧していた。上野国と下野国も時間の問題であったが間もなく制圧され、8つの国が将門により制圧されてしまった。
朝廷はこの事態を収拾すべく手を打とうとしたが、同時期に西国で藤原純友の乱の報告もあり朝廷は驚愕した。朝廷は謀反の事態を収拾すべく、参議 藤原忠文が征東大将軍に任じ常陸国へ出陣した。一方同じころ、平貞盛・平繁盛兄弟、藤原維幾の子為憲が兵を率いて行方を暗まし伝説のドラゴンナイトである秀郷と合流すれば何とかなると思い下野の唐沢山城目がけて将門軍の手から逃れていた。そのころ将門は貞盛らの妻らを捕えていた。兵に侮辱された彼女たちを哀れみ着物を与えて開放している。将門は体制を整えるべく本拠地下総へと兵を帰還させた。
秀郷は将門の動きをよく見ていた。下野の民だけではない。同じように制圧されてしまった関東の国々の民達のことを静かに熱く秀郷は思っていた。たった一人の傲慢さのためだけにこれだけの人々が犠牲になって良いものかと怒りが込み上げていた。その時である。貞盛らが兵を率いて秀郷の元に訪れた。
貞盛「あたしニューカマー拳法師範で平国香嫡男貞盛。あなたが伝説のドラゴンナイトさんね〜私どうしても父上の仇を取りたいの。しかも、関東の国々を乗っ取ったみたいじゃない。黙っていられないでしょ?」
秀郷「オラ我慢できねぇ〜」
貞盛「まあ〜いなかっぺ大将だこと。あたしたちと組んで将門をぶっ潰しましょう★」
秀郷「貞盛殿、いっちょやっちまおうぜ!!」
為憲「ちょっと待って、おれも混ぜてくれよ〜」
これにて、3人による北関東連合が結成され、打倒将門に燃える。間もなく朝廷の使いが秀郷の元に訪れ、帝の勅命で「YOU達将門をやっつけちゃいなよ〜」という意味の内容の通達を受け、将門の拠点下総に進軍を開始する。3人は4000人の兵を集め進軍するも、将門本体は1000の兵残っておらず、先に動いてしまおうと将門は出陣する。秀郷の神憑りの強さと貞盛の拳法で万をも倒す実力を誇っていたため全然心配が要らなかったが将門は当時では考えられないサイボーグ手術を施していたため、弱点が見つかりづらかった。それでもまずは拠点に火を放ち、将門らをあぶり出し、連合軍が藤原玄茂率いる将門軍の先鋒を撃破して下総国川口へ追撃して来た。将門軍は勢いが振るわず退却し再び態勢を整えようとした。
再度将門の拠点に火を放ち将門軍は形勢が悪く兵も集まらなく400の兵を率いて陣形を整えていた。連合軍は完全に集まり最終決戦を迎えた。
将門軍は追い風を味方にし連合軍を次々に撃破して調子に乗って自陣の戻ろうとしている最中に風向きが変わり連合軍が今度は反撃に転じた。将門は先頭を立って奮戦する。そんな中、秀郷は神龍に跨り上空から宿命の敵である将門と対峙する。
秀郷「将門〜!!」
将門「秀郷殿」
秀郷「おめぇ、おめぇえだけは、おめぇだけは許さねえ!!!」
将門「おれは幼いころからあんたに憧れていたんだ。ドラゴンナイトのあんたにな。」
秀郷「自分の傲慢さに滅びろ!!」
将門「望むところだ!!!」
さすがの秀郷も今回ばかりは厳しい情勢。下野に残してきた家族たち。村雄の殿には「死ぬなよ」「おっとうもな」と会話。子供たちに未来を繋げたい。自分勝手な輩に屈しない。そんな思いが強く募った秀郷であった。かつて、龍神一族の長であるしらゆきの父の言葉を思い出す。「偽りの体。心はあっても、必ず額を打つべし」それを思い出した秀郷は奮起する将門に神龍の上から矢を放つ。
秀郷「受けてみよ!!」
秀郷の放った矢は見事に将門の額に命中。ほどなくして将門は倒れた。ほかの残党も倒し、坂東はじめ、関東の国々に再び平和が戻ったのであった・・・
将門は晒首となり、他の将門方の武将たちも誅殺された。
この戦いで大きな功績を遺した秀郷は従四位下、貞盛、為憲には従五位下を授かった。また秀郷は武蔵守、鎮守府将軍も兼務することとなった。
秀郷がイケメン鎮守府将軍となり、関東の平和を取り戻した伝説の将軍(英雄)として下野はもちろんの事、関東の国々の民達から慕われるのであった。
伝説の子孫たち[編集 ]
秀郷の息子・千時は奥州藤原氏の祖にあたる。中間管理職のおっさんはこの家系。また千時の兄弟で秀郷の嫡流・千常の子孫には佐藤氏・藤性足利氏・太田氏・小山氏・佐野氏・結城氏・下河辺氏・比企氏・首藤山内氏他多数の有力・有名・無名・弱小に関わらず多くの豪族がいる。また、しらゆきとの間には海王類とお話ができる娘がおったそうな。