知らんけど
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知らんけど(し-)とは、大阪府の民が使う魔法の言葉である。「信憑性の欠如」を相手に付与する。以前はミナミのおばちゃん族が使うものだったが、今では関西圏の若者にも浸透しているイメージがある。知らんけど。
概要[編集 ]
奈良時代にはシルクロードを通じソクラテスの無知の知について記された書物が日本にもたらされた。それが背景となって大阪府では「知識を大量に持たない事」が善であり美だと考えられるようになった。そして、それが何百年の時を経て「こういう風に言うたけど、内容に責任は持たんでな。後から文句とか言わんといてや」という意味の「知らんけど」が使われるようになった。知らんけど。
大阪府で生まれたこの言葉だが、今では世界中で愛用されている。知らんけど。国内では京都府全域、和歌山県全域、香川県全域、奈良県北部、兵庫県南部、岡山県南部(福山市を含む)、徳島県東部で盛んに使われている。また、それ以外の都道府県でも(削除) エセ関西人 (削除ここまで)関西に憧れる人が多用しており、言葉の普及活動に勤しんでいる。国外ではエクストリーム・知らんけどのプレイヤーや一部政権(下記の知らんけど#用例を参照)にて用いられている。知らんけど。
歴史[編集 ]
江戸時代中頃[編集 ]
江戸から来た旅人や各地を放浪する浪人に大阪人は観光名所や道の案内をした。その際、情報に若干の間違いがあったことで大阪人が訴えられる事案が多発した。しかし、関西は「言ったことは必ず正しいわけではない」という感覚であり関東は「言ったことには責任を持つ」という感覚を持っている。つまり、この軋轢は仕方のないことだった。だからといって、江戸の人間に文句を言うと検閲により削除 されるので、大阪人は自分の発言の逃げ道として、文末に「知らんけど」をつけるようになった。これが、知らんけどの発祥といわれている。知らんけど。
明治時代[編集 ]
一万円札の人の著作「学問のすゝめ」に、「天は、人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。」の後に、とても小さく「知らんけど。」と記入されていることを発見された。この一件で「知らんけど」の知名度が爆発的に広がった。知らんけど。そして、現在の教育の大切さの信憑性まで0になってしまった。知らんけど。
昭和[編集 ]
第一次世界大戦では、調子に乗った関西の軍が、捕虜にした朝鮮人を使い、「知らんけど」の人体実験を行った。知らんけど。実験の結果、会話の中で「知らんけど」を連続して聞いた場合、3分後には脳の機能がほぼストップし、5分後には脳が破裂してぴーに至ったようだ。知らんけど。そして現在、JESAがこの危険性を考慮し、「知らんけどの連続使用(知らんけど知らんけど知らんけど...)の禁止」をルールとして制定した。知らんけど。JESAについては知らんけど#現在を参照。
平成初期[編集 ]
突如厚生労働省が「知らんけど」の使用を禁止した。これに対し大阪人はデモを起こして、「俺たちの知らんけどを返せー!!」と叫びながら東京に行軍していた。知らんけど。警察はこのデモ隊を鎮圧しようとするが、やはりこの言葉には不思議な魔力があったようで、大阪人たちは自らの手を血に染めることなくデモ鎮圧隊を程なく全滅させた。知らんけど。デモの鎮圧に全ての国家戦力を費やした国は、二度目のデモをを何としても防ぐため、全ての大阪人に等しく「知らんけどの自由」を保証した。この一連の出来事を「不知(知らんけど)革命」と言う。知らんけど。
現在[編集 ]
知らんけどの存在が、政府の尽力により全国で証明された。知らんけど。大阪人は、この勢いのまま世界進出を目指すために日本エクストリーム・知らんけど協会(JESA)を創設する。これが、エクストリーム・知らんけどの誕生である。そして現在に至るまでエクストリーム・知らんけどは95の国と地域で適度に楽しまれている。知らんけど。
こうして、「知らんけど」は大阪のイメージをも担う世界規模で見てもポピュラーな言葉になったと言われている。知らんけど。
用例[編集 ]
「〇〇は〇〇らしいで。知らんけど」という様に文末に付けて用いるのが主な用例。たまに、文章中でも使用される。「〜らしいで」など伝聞の文章と共に使われることが多いが、この限りではない。
井戸端での噂話などの日常会話はもちろん、独裁政権下で国民に知られては困る真実を持つ国も頻繁に使っている。このような国では政府が積極的に「知らんけど」を使うことで、隠蔽したい情報の信憑性を0にすることがあると言われている。知らんけど。このように、「知らんけど」はお茶を濁す事に長けた言葉であるので、乱用すると話題の信用性だけでなく自らの信用さえも失う可能性がある。知らんけど。
対義語として「これはホンマ」があり、「知らんけど」の乱用により信用を失った話題の中でこれだけは信じてほしいという一文の末尾につける。これはホンマ。
下に対義語を含めた用例を幾つか載せる。
- 「この記事を執筆した人のパスワードはらしいで。知らんけど。」
- 「ひよこ陛下はチキンラーメン好きらしいで。知らんけど。」
- 「大阪のおばちゃんはな、トラ柄の服はあんま着てへんねん。これはホンマ。」
- 「粛清されました 。まあ知らんけど。」
- 「なんや知らんけど、あいつも同じこと言っとったで。」
つまり「知らんけど」は「多分」の関西版であるが、「多分」に比べて思考を放棄している傾向がある。知らんけど。