演繹
演繹(えんえき、ラテン語 deducere)は、一般的・普遍的な前提からより個別的・特殊的な結論を得る推論方法である。言っている意味が全然分からないだろ?今、哲学の話をしているからね☆
概要[編集 ]
だからと言って回れ右して違う記事を見ないでほしい。お兄ちゃんが今から、わかりやすく演繹を教えてあげる♪
演繹とは「前提が正しければ、その後出る結果も必然的に正しい」ということだ。たとえば、1=2ならば、1+2=2=1と考えることである。つまり、Aが正しいなら、その後Aの結果もたらせるBも正しいと考えることだ。
分からなかった人にもう一回説明する。[1] 。
簡単に言うと...
つまり...
- 僕は週に一回オナニーする
これを演繹的論理という。極めて論理的かつ、実用的で、真理を求めるツールとして有用である。
批判[編集 ]
しかし、演繹的論理が必ずしも正しいとは限らない。例えば...
A:家が爆撃されたなら、家は粉々になる。
B:僕の家は粉々。
つまり...
C:僕の家は爆撃された。
少なくとも、イラクとか、アフガニスタンでなら、上記の論理でなぜ僕の家が粉々になったか説明できるかもしれない。しかし、日本にある僕の家は爆撃で粉々になったとは限らない。地震で粉々になったかもしれないし、火災で粉々(?)になったかもしれない。
事実Aと事実Bは真理なら、必然的に事実Cは真理であるべきだ。けれど、事実Cは僕の家が粉々になった理由とならない。つまり...
...と言うか、誰か僕の家を建ててくれませんか?
さらに批判[編集 ]
B:犯罪者は悪だ。
つまり...
C:水を飲むのは悪だ。
これが事実だとしたら、僕たちは生きていけない。と言うか、水なしでどうやって生きていけるんですか?
それはさておいて、事実Cは間違っていることは確かである。しかし、前提条件のAとBは正しい。何が、間違っているのか?それは論理である。犯罪者は悪いからと言って、すべての行動が悪だとは限らないからだ。犯罪者が屁を出そうが、鼻から牛乳しようが、それが悪とは限らない。
だとしたら、「盗み」は悪か?
それもそうとは限らないのである。例えば、犯罪者が年老いたお母さんがいて、お母さんの手術の為にはまとまった金がいる。犯罪者は貧乏だから貯金も資産もない。方法は一つ「銀行強盗」。さて、問題、僕たちは犯罪者を裁くべきか?答えは...(以下略)
もっと批判[編集 ]
福田康夫の場合[編集 ]
- 私はあなたとは違うんです。
- あなたは男だ。
つまり...
- 私は女だ(!)
言語の場合[編集 ]
つまり...
言語の場合その2[編集 ]
つまり...
- 英語は日本の共通語だ。
hydeの場合[編集 ]
- hydeはイケメンのミュージシャンである。
- hydeの身長は156cm、もはやこれは常識ッ!!
つまり...
英語の場合[編集 ]
- 和菓子は甘いものであるが日本人は心臓病になりにくい
- イタリア料理は脂っこいものであるがイタリア人は心臓病になりにくい
- 同じくフランス人も心臓病になりにくい
つまり...
- 英語は心臓に悪い
- ・
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ゑ?だんだん帰納になってきてる?まぁまぁ落ち着いて。
脚注[編集 ]
- ^ 理解できなくても大丈夫。わざと理解できないようにしたから。
関連項目[編集 ]
この項目「演繹」には、執筆者が大真面目に書いた可能性もありますが、今はまだ周知の事実しかありません。 嘘を追加するか、ウィキペディアに転載して下さるボランティアを求めています。 (Portal:スタブ)