徒然草 (昭和の作品)

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徒然草(つれづれぐさ)は、吉田兼好第二次世界大戦前後に執筆した随筆。吉田兼好は筆名で、本名は吉田茂(1878年〜1967年)。昭和期の代表的な政治家で、総理大臣経験者でもある。

概要[編集 ]

20世紀の作品であるが、吉田自身の好みもあって古文調で書かれている。古式の文体で現代(吉田が活動していた時代)の政治・社会・文化を風刺した内容となっている。 題名の由来は、貧金時代に吉田が食べていたそこらへんに生えている雑草の名前から。なお、住まいは巻きグソ公園。

盗作問題[編集 ]

作者の吉田兼好(吉田茂)死去直後の1968年、彼の著作である「徒然草」は鎌倉時代に書かれたものの盗作であり、自分がその正本を発見したと、アマチュア研究家の藤村某が主張した。藤村某によって「発見」された鎌倉時代の「徒然草」は、時代背景以外は確かに吉田のものとほとんど同じ内容・主題であった。そのため、一時は徒然草は鎌倉時代の作であるとする説が有力になり、教科書でも古文の代表作品の一つとして取り上げられて学習の基礎とされたほどであったが、21世紀に入り、吉田の作と藤村某の発見したものとを比較検討した専門研究チームにより、後者が藤村本人による偽作である事が明らかとなり、この問題は決着を見た。何よりも、藤村某が余りに何から何まで吉田の作品に似せ過ぎたのが墓穴を掘った。例えば、吉田の徒然草で最も有名な109段「高名の物理学者」は「高名の木登り」と題名を変えただけで、内容はほぼ同一であった。少しオリジナリティを加えておれば、真相究明にはかなり手間取っただろう、と研究チーム責任者は語っている。

高名の物理学者[編集 ]

「徒然草」の全文(段数)は非常に多く、全て紹介する事はできないので、前述の「高名の物理学者」を以下に引用する。

第百九段

高名の物理学者と言ひし男(をのこ)、助手を掟(おきて)てラヂオアイソトオプ[1] を扱はせしに、いと放射能強く見へしほどは言ふ事もなくて、半減期[2] あまた過ぎたる時に、10ミリレムばかりに成りて、「過ちすな、心して扱へ」と言葉をかけ侍(はべ)りしを、「かばかりになりては、手に持つとも扱へなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。ガイガア計数管の鳴り響き、放射能強きほどは、己が恐れ侍れば、申さず。過ちは、安き所に成りて必ず仕る事に候ふ」と言ふ。
いみじき学者なれば、聖人[3] の戒めにかなへり。賄賂も、難き所を受け取りて後、安く思へば必ず露見すと侍るやらん。

現代語訳

有名な物理学者と言われる男性が、助手に指示してラジオアイソトープを取り扱わせたが、非常に放射能が強く見えた時には何も言わず、半減期をずいぶん過ぎて、放射線量が10ミリレムばかりになったら、「過ちをするな。気を付けて扱え」と言葉をかけたので、私が「これくらいになったら手で持っても扱えるでしょう。なぜそのように言うのかね?」と言うと、物理学者は「その事でございます。ガイガー計数管が鳴り響き、放射能が強いうちは自分自身が恐れて注意しますから、私は何も申しません。過ちは、やれ安心と気を抜いた頃になって必ずしでかす事でございますよ」と言う。
優れた学者であるので、その言葉は聖アルベルト・アインシュタインの戒めに一致している。賄賂も、難しい局面を切り抜けて受け取った後、安心して油断すればきっと露見するという事だ。

脚注[編集 ]

  1. ^ 放射性同位元素のこと。放射性同位元素には、半減期が数千年以上に及ぶものから数分以内のものまであるが、半減期が短いほど放射能が強い。物語の内容から考えて、ここで言われているものは半減期が非常に短いものであろう。
  2. ^ 放射性元素の放射能の強さは、それぞれの元素特有の時間を経て指数関数的に減少する。つまり、半減期1日の場合は、最初の1日で2分の1に、次の1日で4分の1に、3日目には8分の1になるという具合である。
  3. ^ アルベルト・アインシュタインの事

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