山本勘助

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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山本勘助想像図。意外や意外、かなりの伊達男のようであった。

山本 勘助(やまもと かんすけ)は、戦国時代に活躍した武田二十四将で構成される「TKD24」の一番下っ端のメンバー。愛称は「えーりぁん」。

概要[編集 ]

変態の軍事オタクであり、武田信玄をウマいことタらし込んで側近になり、ヤりたい放題ヤりまくった。元は山梨や静岡の山中で動物や道行く通行人を襲って捕食していた野生児であり、もし信玄に見出されなければ日本のブランカとなって富士山にエレクトリックサンダーをかましていたかもしれない。

「兵は詭道なり」が口癖だったが、これは直訳すると「私は詐欺師です」と言う意味であり、自ら詐欺師を名乗る辺り相当度胸の座った男であったか、あるいは空気の読めない阿呆だったかのどちらかである。その上容貌は猫背の小男と伝わっており、どう見ても得体の知れない不気味なオッサンにしか見えない。にもかかわらず何故か英雄扱いされ、勘助はうちの町出身だったと田舎の各市が出身地の取り合い(?)をしている。

詐欺師を名乗るだけあって人を誑し込むことにかけては一流であり、武田四天王の一人と称される高坂弾正を初め、多くの武田家臣が彼にすっかり洗脳されてしまい、一番弟子を名乗ったりした。持ち前の軍略は野生児時代に培ったものであり、有名な「キツツキ戦法」も、木の中にいるミミズを食用の為捕っていたのを合戦に転用したものであった。しかしウィリアム・テル虎こと上杉謙信相手には通用せず、最後は上杉勢の仕掛けたネズミ捕りに引っかかって死んだ。最期の言葉は「伊達政宗はボクのパクリだかんな!」

いくつかの史料では隻眼に加えて足も不自由で爬行の身であったといわれているがこれは誤謬である。実際の勘助は爬行どころか卓越した脚力の持ち主でなおかつムエタイとテコンドーに精通しており、刀が錆付いてしまった時には蹴り技、特にチャギ(かかと落とし)で数多の敵を屠っていた。他にも「甲陽軍艦」では「アイガー、アイガー」などと奇声を発しながら手先から衝撃波を発射する勘助の姿が描かれている。机上で軍略を巡らすだけのただの軍師にあらず、生身の白兵戦も得意とした万能の武将だったのである。まあ言い換えれば「脳筋詐欺師」と言えなくもないけどね・・・。

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア 専門家気取りたちが「山本勘助 」の項目を執筆しています。

生涯[編集 ]

出自は一切不明であり、一説には人間とネズミの禁断の行為によって生まれた半獣半人とも言われているが、真相は不明である。ただ幼い頃に富士の樹海に捨てられた事だけは確かである。後に勘助自身は信玄などに対し、今川家に仕えた山本某の次男で、大林勘左衛門とか言う侍の養子になったが、疎まれて放浪したとか何となく現実味のありそうな作り話を適当に作って嘯いていた。

樹海に捨てられた勘助だが、そこでしぶとく生き延び五大陸放浪の旅に出発、その途上無季自由律ハイク伝道師・種田山頭火と出会い意気投合し友好関係を結び、「種田戦闘火」という二つ名を持っていた山頭火から近接格闘術、剣術、射撃術から爆破術などありとあらゆる戦闘技術を学ぶ。しかし悪いことに彼の提唱する無季自由律ハイクにオツムが毒されてしまい、自身のハイクに意味不明のタイトルをたくさんつけて世界中にばらまき大ヒンシュクを買った。そして帰国後山奥に住む天狗に拾われ、その天狗から詐欺術を学ぶ。種田山頭火譲りの戦闘技術に加え天狗譲りの悪知恵を得た勘助はもはや手のつけられない野獣と化してしまい、誰も手が出せないのをいいことに樹海の周辺に「この先温泉」とか「駐車場ここから2m先を右折」などの看板を手当たり次第に立てて通行人を樹海に迷い込ませ、飢え死にさせてから持ち物を漁ったり、あるいは弱ったところを襲い掛かって喰ったりしていた。全く酷い話である。

勘助はついうっかり、村娘のミツを攻略してしまい、孕ませてしまう。しかし「まだ遊びてぇのにガキを育てるなんざやってられっか!」と思った勘助は、武田信虎が鹿狩りをしているエリアにミツを山菜取りに行かせ、思惑通りにミツを謀殺した。この時、ミツは死の間際に勘助が「信虎グッジョブ!」と言ったのを聞いたとか聞かなかったとか(ちなみにこのひと言により、勘助は日本史上初めて英語を話した日本人となった)。死に切れずに転生したミツは、来世では主役になったとかならなかったとか。

その後勘助は再び五大陸を適当に放浪、前回の放浪で覚えた怪しい外国語を使って結婚詐欺をしたり、通り魔をしたり、盗みに入ったりしながら生計を立てていた。当時は戦国の乱世であったため、指名手配される心配もなかった。やがて勘助は日本を一周して駿河まで戻り、今川義元に「俺もそろそろ腰落ち着かせたいからあんたの所で雇ってよ」とふてぶてしくも言い放ったが、勘助の本性を知っている義元は断固拒否した。当たり前である。しかし後に勘助は義元は自分の異形の容貌を忌み嫌い追いやった人種差別者だと義元を非難した。この為、後に桶狭間で義元を殺したのは勘助のエレクトリックサンダーだという目撃談も存在する。

そんな折、後の武田信玄こと武田晴信が父親の武田信虎を追放した。実の父を追放するという野蛮じみた行為に自分と同じ臭いを感じ取った勘助はイケると思い晴信に仕官を望む。そしてご機嫌取りの為晴信に適当に猿芝居を披露した所、あっさりと仕官が叶った。重臣達は猛反対したが、独断専行の強い晴信は強引に押し通した。

勘助は武田家に仕えると、さっそく持ち前の悪知恵を生かした身の毛がよだつほどの策略を次々と考案する。まずは妹婿に当たる諏訪頼重を巧みに口説き伏せて多額の生命保険に加入させ、その後何やかんやで難癖をつけて戦争に持ち込み、切腹に追いやって大量の生命保険を手に入れた。無論、頼重を強引に切腹させた事がばれないように、あたかも頼重が憤死したかのように巧妙に見せかけた。この一連の行為を一部の武田家重臣は激しく非難したが、晴信は勘助の悪知恵にいたく感心し、ますます重宝するようになった。

山本勘助は3回ほど死んだが、なお、3回目に死ぬ前にジャムや味噌を塗ったコッペパンを食べたのにもかかわらず、あんパンの味と勘違いしたらしい。その味覚の変化が死を招いたといえるのかもしれない。[要出典]

しかし、流石の勘助も由布姫を攻略するのは無理だった様である。シナリオライターによると、由布姫を攻略する為には、敢えて晴信を憎んでいる由布姫を晴信に攻略させなければならない。野生の勘でその事を察知した勘助は、首尾よく由布姫を晴信に攻略させ、その後、由布姫の憎しみをコントロールして、晴信の首を取ろうとするイベントを発生させるが、その時にフラグを一つ立て忘れた為、由布姫は「晴信様を自分だけのものにする為に首を刈りたかった」という、あまりにもオゾマシイ心の闇を勘助にさらけ出す事になってしまった。勘助の思惑は、自分が由布姫を攻略して諏訪の王となり、晴信を亡き者にする事だったのだが、失敗して最後まで晴信に仕えるルートのシナリオに乗ってしまったのである。この為、勘助は無い方の目から大粒の涙を流した。それでも勘助は、チートによってバッドエンドを免れた。そしてプレイデータを改ざんして、由布姫に自分の子を産ませたのである。その子は何も知らない晴信によって四郎と名付けられた。勘助はすぐさま武田家に居候していた諏訪頼重の忘れ形見である虎王丸をネットカフェに追放し、四郎を諏訪の王にする事を画策した。勘助の野望は続く...

勘助は身内人事や自分のシンパを増やす事にも抜かりがなかった。自分に何かと反発していた甘利虎泰と、自分の恩師である一方監視役でもあった板垣信方を、合戦で無理矢理孤立させて戦死させることに成功した。また放浪中に出会った詐欺師仲間である真田幸隆を武田家に取り込んだ。

その後上杉謙信がとってもかわいいという噂を聞いた勘助は越後へと向かう...

「謙信ちゃぁぁぁ〜ん、結婚して〜」

メンドクサイのでこの辺は脳内変換してください。

謙信ちゃんにあっさりと袖にされた勘助は逆恨みを募らせた。「越後の謙信ちゃんが殿にデートのお誘いを掛けてますぜ」などと信玄に有ること無いこと吹聴。すっかりその気になった信玄は、川中島くんだりまでいそいそと出向くが、無論、謙信ちゃんの知ったこっちゃないので見事振られる。怒り心頭の信玄に勘助が入れ知恵したのがあの有名なキツツキ戦法である。内容といえば、容貌が人間止めてる勘助が、山に避暑に来ている謙信ちゃんを脅かし追い立て、その先で待ち受けていた信玄があああああしてしまおうという実に紳士的なものであった。しかし謙信ちゃんはねえちゃんキーックの達人だったので、信玄は股肱の臣ならぬ股間の朕を失・・・涙があふれてとても書けません・・・状態になり、計画は失敗。「ごぉぉぉらぁぁぁ、勘助〜!!このオトシマエどう付ける気じゃぁぁ!!」と信玄の怒り爆発。勘助は恐れおののいて逃亡したものの、謙信ちゃんのSPに捕まり、哀れコンクリート詰めにされたとかされないとか。

しかし、迷軍師と言われながら、一番有名な作戦が一番酷い大敗では〔 〕つかないのぅ。-真田幸隆談-

人物[編集 ]

  • たまに寒いオヤジギャグを飛ばす事がありその時は山本寒助と揶揄された。
  • その異形の風貌のせいで一部の者から「ありゃ絶対前科者だ」と決め付けられ山本痴漢助などと呼ばれた。
  • 後に朝日新聞「だがちょっと待って欲しい、山本勘助は実は山本韓助と書く、だから勘助は韓国人なのではないか」と主張した。
  • 勘助と言う名前は「お前が今じているものは精神疾患の一種だ、俺をけて」の略だとも言われる。
  • 2007年の大河ドラマの主人公となった。実在するか人間かどうかも分からない人物だが少なくとも山内一豊よりは存在感があると思われる。てか2006年の大河の主人公は一豊の奥さんだし。
  • 透視能力を持っていたと言われる。勘助と言う名前はカンニングペーパースケスケの略ではないかとも。
  • カンパチとすけとうだらの雑種が山本勘助の正体ではないかと言われている。
  • 実はっ人のオリバー・カーンではないかとの説も。
  • 勘助はスケベだったが容貌がアレなので女性からはまったく相手にされず、度々ピーしていた。その為か謙信陣営では、勘助の名を姦助(兵衛)と勘違いしていた。「えちごのよい子読本」より。
  • 酒癖が非常に悪くやたら管を巻くので山本管助とも称される。武田信玄が勘助をパシらせて市河藤若に届けさせた書面に実際この名が記されており、酒を飲むと管を巻いて迷惑をかけるから勘助には酒を絶対与えないように、という意味の暗号として使われていたことが明らかとなった。

実在の是非[編集 ]

勘助は実在したかどうかについては信用ならない学者気取り達が述べた以下の意見がある。

  • 勘助の正体は信玄の近所に住む山本さんと言う何の変哲もないオッサンだった
    • フォースの強かった山本さんは数々の助言で信玄を助けた。しかし一発屋芸人のごとく徐々にフェードアウトしてゆき存在を忘れられた。との説
  • 信玄は脳内に山本勘助と言う二人目の人格を飼っていた。
    • 多重人格だった信玄は、ある日自分にも軍師が欲しいと思うようになり、脳内で勘が鋭く自分を助けてくれる山本さんと言う軍師を妄想していたと言う説。
  • 勘助はコロ助の兄だった。
    • 木手英一氏によると、コロ助が勘助の事を他人とは思えないと言っていたとの事。
  • 勘助は戦国時代の人造戦闘兵器だった
    • 日本に異常に多くある戦闘兵器「山本」の武田軍使用タイプだったとの事。

関連項目[編集 ]

  • 宇佐美定満 - 勘助とは違い、実在はあまり疑われていないようであるが、軍師だったというのが眉唾であることに変わりはない。五十歩百歩
  • 竹中重治 - 実際に羽柴秀吉の幕僚だったのは事実かもしれないが、まともな資料にはあんまり登場しない。事績のほとんどは息子の竹中重門による創作と思われる。五十歩百五十歩ぐらい。
  • ジャングルウーマン

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