始皇帝

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始皇帝が放った発言は、後世の物好きのために、有志たちによって「Unquotable/君主 」へ収録されています。

始皇帝(しこうてい)は中国の初代皇帝であると共に、現在の中華帝国に至る「中国」という国家を創設した皇帝である。そのためか、織田信長平将門、さらには足利尊氏よりも威厳があって偉い。趣味は不老不死の仙薬集めで巨額の費用を投じたが、その一方で自分のお墓づくりにも巨額の費用を投じるという矛盾を呈していたが、誰も矛盾を指摘できず、本人も最期まで気づかなかった。なお不老不死の薬だと言われて水銀を服用したことで、不老不死どころか逆に寿命を縮める結果になった。

概要[編集 ]

一人称は当然「」であり(始皇帝以外が「朕」を使用すると斬首)、二人称は貴族に対しては「卿」、一般庶民に対しては「そち」「貴様」「僕」。本名は嬴政だが、本名は本人曰くあまり気に入っていないらしいので軽々しく呼ぶと殺される。しかも漢字が物凄く難しく、これが書ければ薔薇や憂鬱など楽勝で書ける。

人々は「皇帝陛下」もしくは「陛下」と呼び、会った時には必ず「皇帝陛下万歳!!万歳!!万々歳!!!」と言わないと死刑になるので注意が必要である。また、「歯垢帝」と言っても嫌な顔をする。でも、「ファーストエンペラー」と呼ぶと凄く喜ぶ。

前述のように不老不死を目指すことが趣味だったが、いつまでも不老不死の体にならないので業を煮やしていると、焦った「学者」が「雲の上から仙人が舞い降りて陛下に不老不死の仙薬を贈ろうにも、周囲に俗人がいては近づけません」とデマカセを言って誤魔化した。ところが始皇帝はそれを真に受けてしまって周囲から人を遠ざけたのだが、ちしろまるこの無い男は人でないだろと思って趙高率いる宦官の一団だけは近侍させたのが秦にとって悪夢の結末を招いた。死の間際に長男に後を継がせる遺言を残したのに、趙高に握りつぶされて長男に自害を命じる遺言に変更させられ、後を継いだ末子の二世皇帝(末っ子だけど)は劉禅を超える超逸材とも言える程の大阿呆(なお阿呆も馬鹿も、この二世皇帝が語源)で、秦は始皇帝の死後4年で滅亡した。生れ変り先は毛沢東 で、子孫は金正日など中国共産党朝鮮労働党関係者およびヒトラーの他、菅直人仙谷由人丹羽宇一郎など日本労働党(=元・中国共産党日本支部朝鮮労働党日本支部日本共産党アメリカ合衆国日本自治政府左派)関係者が殆どである(勿論自称)。他にも長曽我部元親島津義弘なども血縁を自称していた・・・らしい。

始皇帝の政策[編集 ]

  • 阪神タイガースを国家支援球団に指定。
  • 読売ジャイアンツを朝敵に指定。
  • 父を殺した事に言及する奴は死刑。
  • 死後の遊園地独裁者の趣味と揶揄する奴は死刑。
  • 万里の長城が朕以前にもあったという奴は死刑。
  • 不老不死の薬が水銀毒と言った奴は死刑。
  • 本名を言う奴は裁判を経ずに即刻処刑。
  • 阪神井川慶がメジャー移籍する事を嘆きつつも陰ながら応援。近々丞相の位を贈る予定。
  • 自国の歴史を含む世界史履修を義務付け。「必要ない教科を学ばないのは受験の常識」と抵抗する灘高派を討伐。
  • 年貢を滞納すると死刑。
  • 都での労働を拒否すると死刑。(都で労働すると年貢を納めるのが難しくなるので拒否しなくても死刑確定)

来歴[編集 ]

先代秦王荘襄王の子であるとか言う話があるが実際はアッラーが創った天使であった。言われてみると何処となく天使っぽいがそれは飛ばして、秦の王室で育てられて13歳で国王に即位。それから先はビッチ認定された母親に似ちゃって毎晩毎晩後宮で女の子と遊びまくっていっぱい子供を作る。いや、正確にはこれこそが仕事であったのかもしれない。しかし実際は男の子とも相当やっていたそうである。

そして女の子・男の子をもっと集めるために領土拡大を目指す。燕はそれを利用し未成年の男女10万人献上すると言って近づき、暗殺しようとするが失敗。期待した分だけ失望も大きかったため、激怒して燕を滅ぼしてしまう。

最後に残った斉には萌える女の子・男の子がいっぱいいるパラダイスがあると聞いて全力で責め滅ぼす。

そして皇帝と言う称号を作り、一人称を「朕」とし、他の人間が「朕」を使うのを禁止した。ちなみにこの朕は当然あれを指すものである。

しかしせっかく集めた少年少女もやがては年をとって萌えの対象ではなくなってしまう。そのため不老不死の研究を急速に急がせた。そして徐福という男が出てきて不老不死の薬を東方へとりに行くといって少年少女を要求。陛下は自慢のコレクションを泣く泣く手放す羽目になる。その理由は薬の実験のためだといわれる。学者たちにも急ピッチで作らせて自らも実験体となり、変な薬をいっぱい飲んだ。その結果かなり体調を崩し、いったん崩御する。そして愛してたしろまるこのない男に裏切られて一族のほとんどを殺されちゃって秦滅んじゃったよママー。

そして三国志時代に始皇帝陵より復活。曹操は対応に追われテンテコ舞いだったが、その死と共に一度は眠りに就く。然しそれから約1800年の後に毛沢東として転生したから、さぁ大変。曹操の如き人物の居ない国際社会は、三国志以上にテンテコ舞いである。

家臣[編集 ]

関連項目[編集 ]

  • 終皇帝
  • 焚書坑儒
  • 荊軻 - 始皇帝を暗殺しようとした人物。側近の妨害によって、あと一歩のところで失敗に終わってしまった。

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