大躍進政策

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邪魔な鼠と雀がいなくなってくれてよかったぜ。
大躍進政策 について、四害対象外生物代表

大躍進政策(だいやくしんせいさく)は、中華ソビエト共和国にて、近代的な共産主義社会を作ることを目的に、1958年から1960年まで施行された大規模人口整理政策である。政策は毛沢東主席立案である。

6000万人といわれる餓死者を出し大成功に終わったとされるが、それでも人口10億を越える中国にとっては微々たるものであった。


概説[編集 ]

1957年ソビエト連邦は、工業生産(鉄鋼・石油・セメント)および農業生産において15年以内にアメリカを追い越せるだろうと宣言した。中国共産党指導部は、これに対し1958年の第二次五ヵ年計画において中国共産党指導部は、当時世界第2位の経済大国であったイギリスを15年で追い越すという壮大な計画を立案した。しかし、偉大なる毛主席は近い将来中国は人口爆発を起こすだろうと予想し、経済改革を装った人民大粛清を行う事を立案した。


大製鉄・製鋼運動[編集 ]

概要[編集 ]

1958年10月から、鉄鋼の大増産を目指して原始的な溶鉱炉(土法炉)を用いた製鉄が全国の都市、農村で展開されたが、金属工学の専門家もそれに適した設備もなく、原材料も満足に確保できないので、素人に練習と称して良質な鋼鉄を製造する技術を根性で叩き込もうとした

この結果、過労死で人口抑制に役立った。

また、不足している鉄鋼石の代わりに鍋や農具を炉に入れて溶かし、屑鉄を作るという(削除) 本末転倒 (削除ここまで)エコロジーな運動であった。

建設資材[編集 ]

土法炉を建設するための主な資材である耐火煉瓦の供給は皆無に等しく、一般住居用の煉瓦ですら供給不足の状態だった。このため、煉瓦製の寺院城壁など、中国全土で多数の歴史的建造物が、土法炉建設用の煉瓦採取の目的で解体・破壊された。

この結果、住居を失った人民は寒さで凍死。人口抑制に役立った。また、阿片である宗教の駆逐にも役立った。

燃料の確保[編集 ]

農村部等、ほとんどの地方では木炭を燃料としていたため、必然的に土法炉の燃料にも木炭を使用することになった。この事は、木炭を生産する目的で、中国全土で樹木の大規模な伐採が開始されることを意味した。伐採の対象は共産主義という政策上、無差別・無分別であり、果樹園の果樹・園芸用の灌木も例外ではなく、生活水準の低下に大きく役立った。 このときの伐採はいわゆる砂漠化の原因の一つであり、未来のことも考えた計画的な政策であったと言えるだろう。

石炭が入手可能な都市部でも、コークス炉(石炭のままでは効率が悪いので、コークス炉で蒸し焼きにしてコークスに加工してから使用する)を備えていない場合が多く、石炭を地上で直接燃やしてコークスを生産する(削除) 無駄使い (削除ここまで)人民の暖房にもなる素晴らしい方法を採用したことにより、大量の石炭を浪費させ、人口抑制に貢献することになった。

原料の確保[編集 ]

上記の通り鉄鉱石は石炭同様産地が限られ、かつ供給不足の状態であり、多くの地方では砂鉄の入手すら困難な状況にあったため、これまた上記の通り都市部では鉄製の各種設備・構築物を解体し(建設資材を使った人口抑制を後押しした)、農村部では鉄製の農機具・炊事用具を供出させ、それぞれ屑鉄にした上で土法炉に投入した。鉄製器具を消費して屑鉄を産みだすという、(削除) 本末転倒 (削除ここまで)エコロジーな運動といえる。

結果[編集 ]

経済発展を装った人口抑制によってその後十数年間は人口爆発に悩まされることはなくなった。これによって粛清を行わずに人口を減少させる事ができたので国際社会からの猛烈な批判を躱す事ができた。


四害駆除運動[編集 ]

1958年2月から、四害(伝染病を媒介するハエネズミと、農作物を食い荒らすスズメ)の大量駆除作戦が展開された。毛沢東の「ハエ、カ、ネズミ、スズメは共産主義社会建設を阻害する反動分子だ、即刻粛清せよ!」という画期的な立案によるもの。動物も共産主義社会の中に組み込まれるべきであるという農民出身の毛沢東らしい考え方である。

しかし、その間人間の反革命分子は放ったらかしであった。ただ、スズメを片っ端から(最盛期には北京市だけでも3日間で40万羽のスズメを粛清した)駆除した事で他の害虫が大発生し、凶作によって人口抑制には成功した。「毒を以て毒を制す」の逆を行く、毛沢東のすばらしい知恵である。


密植・深耕運動[編集 ]

冷戦で西側に勝利を齎したともいわれる、偉大なるソビエトの英雄的農学者トロフィム・ルイセンコの理論に基づき、2m程の穴を掘り大量の種子を(削除) 植えた (削除ここまで)埋めた(実話)。これにより、農業生産性を飛躍的に下げる事に成功し、人口抑制に大きく貢献した。

この成果により密植・深耕運動は、偉大なる将軍様に注目される事となり、金王国に導入され、主体農法と名を変え、更なる人口抑制に役立つ事になる。


政策の結末[編集 ]

結果として人口抑制、反革命分子の粛清範囲の拡大、農業技術の大幅な改革によって中華人民共和国の共産主義社会は更なる段階へと昇華した。

1959年 毛沢東はこの政策成功を機に国家主席辞任した。

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