大奥
大奥(おおおく)とは、1618年から1868年の間、江戸城内に設けられた劇場、およびこの劇場内で24時間360日延々と上演され続けた、世界最長の演劇作品である。マリア様がみてるやゆるゆりなどいった百合モノの原点でもある。
設立[編集 ]
江戸幕府が始まって間もない頃、征夷大将軍 徳川家康はこの幕府を天下太平の世にするために画策を重ねていた。しかしそこには何かが足らなかった。
一方家忠の子とされる竹千代の乳母であった春日局は、過去最も長く続いた平安時代にはその威光と繁栄を後世に永く伝える源氏物語があり、今こそこれを超える芸術作品が必要であると考えた。
抜け参りと言われる家康へ直訴の結果、この提案は認められた。ただ家康は一定の条件を提示した。それは、虚構によるものではなく自らの体を張った芸術であることと、将軍だけがこの鑑賞を許されるべきであるということの二点である。 春日局自身が初代監督となり、念には念を入れてレッスンが重ねられた。現在の宝塚歌劇など足下にも及ばないものである。竹千代こと家光が将軍職に即位した夜に初の公演が行われた。専用の劇場も整備されることとなり、1618年に完成。実に盛大なこけら落としとなった。
施設の特長[編集 ]
劇場としての大奥は江戸城中枢に建設され、正式に入館するためには本丸御殿から伸びる1本の廊下を経由せねばならなかった。しかしこれは後に制定された防災基準を満たしていなかったため、その際もう1本の廊下として非常脱出経路が整備されている。
また内部の舞台は一つではなく多数存在した。主要な出演者には一つずつ舞台が確保され、それ以外の者には共同の舞台があてがわれた。またダイニングのセットや台所のセット、大座敷のセットや仏間のセット、そして庭園のセットや牢屋のセットなどがそれぞれ設置された専用の舞台も整備された。
演劇の概要[編集 ]
演劇作品としての大奥とは、劇場大奥内で上演され続けた演劇である。出演者は数えるほどしかいない将軍のごく側近中の側近や坊主を除けば、皆女性であった。
演目は昼はリアリズム人間劇、夜間は観客参加型のストリップショーで、上演開始後間もなく女優が客との子を妊娠したことから、観客専用のハーレムとしての機能も持ち合わせるようになった。それでも本来の目的は演劇であった。余りに官能的過ぎたため観客の体液に活気が失われ、子作りの場としては一時を除き大した意味を成さなかったにも関わらず、何一つ問題点が改められなかったことがこれを物語っている。
原則として唯一の観客である将軍が廊下に立ち入ると、本番中の本番が開始されたということで廊下の脇にあった鈴が鳴らされ、大声で「上様の、お成ーりー!!」という号令が発せられた。これには来場者を歓迎するという意も込められている。エトワール級の出演者らは将軍の後に続き廊下を進み、それ以外の主要な出演者らは廊下の左右に並んで土下座をする。以上が上演に関する習わしであった。
独自のノウハウ[編集 ]
女優たちは1分1秒の休みもなく全身全霊をかけて演技をし続けた。演技力向上にも熱心で、観客がいない間はずっと、以下に示すような厳しい演技指導やダメ出しが行われた。
- 演技様式のダメ出し
- 立ち居振る舞いや台詞回しの一つ一つはお公家社会とも地方のド田舎とも違った、江戸ならではの格式を要求される。また、女優の動き方を統一することで舞台に鬼気迫る一体感を生み出すためでもある。複雑怪奇な仕来たりから外れた者には、本人も主要な出演者である監督からの厳しい叱咤激励が待っている。
- 有望な女優への演技指導
- 素質のある出演者には1人または複数の専門家が付き、上述のダメ出しを受けないよう徹底したレッスンが行われる。後世のダイジェストでは長らく見向きもされなかったが、後述する現在公開中のダイジェストでは序盤において、専門家に松阪慶子やともさかりえを起用し、これらのシーンに最も力を入れている。
- エトワールをめぐる争い
- 観客は将軍一人であるため、お客様は神様という理論に基づき将軍のお気に入りが即主演女優になるというシステムとなっていた。このため誰が主演女優となるかで争いが絶えることは無かった。少なくとも10分に1回はチョイ役の女優たちによるダメ出し合いが、1日に4回は主演女優たちによるダメ出し合いが行われた。
- 中間オーディション
- 大奥における最も重要な演技試験である。監督や主演女優が無作為にほかの女優を選び、無作為な時間に行われる。大抵は女優にとって最もポテンシャルが問われる事故や死にあたっての演技力を問うものとなっており、草履の裏をヌルヌルさせ滑りやすくする、縁側の通り際に突然反物を襖の間から転がし転ばせる。そして何よりも有名な試験が、持病の薬をトリカブト等の毒や堕胎薬とすり替えたり、これらを味噌汁等の食事に混入することである。これらの演技が成功すれば名女優と讃えられて、永久にその名を後世に残すことの出来るシステムとなっている。
- しかし試験中に突然観客が入場する可能性があるため、故意に血を見せないことが鉄則となっている。このため外傷による血糊をつけた死の演技をさせる試験は行われることは無かったとされ、記録にも残っていない。
- 試験対象は出演者だけであるとは限らない。元禄期の御台所 信子は観客にも演技力を求めた余り、これを確認するためにこの試験を観客綱吉に対し実施した。綱吉は見事なまでの演技を見せ、その名演ぶりは今でもその名を轟かせている。
外部を巻き込んだ演出[編集 ]
この素晴らしい劇作品に、これを知る外部の者も積極的に協力した。
- 公家社会
- 上演中ずっと協力し続けたのが京都の公家衆である。観客が代わる度に主演女優の筆頭である御台所や、また永光院や右衛門佐といった名監督も送り出している。舞台における大道具 小道具といった美術や衣装、脚本作りのノウハウは彼女らによって確立された。
- また、本作を源氏物語を凌ぐものとするために、天皇も協力を惜しまなかった。歴代の監督の多くは御所における中納言の官職を兼任したり、デビュー前に一旦公家の養子となったりしている。最も協力を受けたのが綱吉の生母であった桂昌院で、なんとかつての豊臣秀吉と同格の地位を賜った。
- 歌舞伎
- 歌舞伎役者にとってもこの演劇は人ごとではなかった。中期の監督であった江島は、マンネリ化した筋書きをドラマチックなものとするために同業者といえる歌舞伎役者生島新五郎に演出の協力を要請し、二人で文字通り命と体を張って見せ場を作り上げた。二人にはその後役者として前述のオーディションが行われたが、共に不合格となり島流しにされた。しかしこの試みが本作最大の名シーンとなったのは明白である。
- 大名
- この幕府の壮大なプロジェクトに各地の大名も是非貢献したいとこぞって願い出た。最も本作に寄与したのが薩摩藩で、後期を彩る主演女優である広大院や末期を見事に締めくくった主演女優兼名監督である天璋院を輩出している。
- ムーミン谷
- その独特の陰湿な恐怖を感じさせる震えを伴った美声を買われ、ムーミンが前述の演技指導やダメ出し、オーディションの実況を勤めた事があった。大奥を女の運命の坩堝に例える等の名文句や、多くを語らない淡々とした神秘的な名調子により、後世に語り伝えられる名実況として賞賛されている。
後世の評価[編集 ]
明治政府や帝国政府の治世下では、本作は無価値かつ不敬なものとされた。何よりも至高の芸術である源氏物語を模倣した亜流に過ぎないと見なされたからである。
しかし、戦後以降相対主義的な考え方が主流になると、大奥に隠された血の滲むような演出手法が注目を集めることとなった。フジテレビは自身が伝統を守る保守主義者であることを訴えて徳川家より台本の使用権利を獲得し、ダイジェスト版とも言えるドラマや映画を度々制作し、高い評価を受けている。またフジテレビから使用権を借りた上で大映映画により1977年に、本作夜の部のみにスポットを当てた大奥浮世風呂が制作・公開された。
そして2007年、本作はあのNHKにも認めらた。2008年の大河ドラマが本作のラストシーンを切り取ったダイジェスト版となったのである。昨年のものとは異なり、深淵さと老若男女を問わない簡潔さを持ち合わせていることから高い評価を受けており、ついに本作は源氏物語を凌ぐ芸術となったのである。