初潮

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初潮(はつしお)は昭和期の大相撲力士。相撲を知らない人でも名前だけは聞いたことがあるという人が殆どというほどの人気を博した力士である。

経歴[編集 ]

初潮のお祝い事には、欠かせないものとなったお赤飯

北海道 十勝芽室町で生まれる。本名は潮田 大輔(しおだ だいすけ)。北海道という土地柄、小豆が名産であった地域に生まれ育ち、両親も小豆農家であった事から小豆を使った赤飯 が好物であり、人一倍食欲旺盛であったために幼少期から体格に優れていた(赤飯は後に角界入りしてからも好物であり、実家から小豆とを送ってもらっては炊いてもらい食べていた)。周囲からは「将来はプロレスラーか相撲取りに」と期待されていたという。その期待通り、村の奉納相撲などでは無敗の強さであったといわれるが、性格は非常に大人しく、「まるで女の子のようだ」と評された。

13歳の時に村祭の奉納相撲に参加し、三年連続の優勝を勝ち取るが、このとき偶然東京の相撲部屋親方が観光に来ており、初潮の力強い相撲を見て「数年に一度の逸材」と両親に弟子入りを勧める。この時は初潮の決心もつかなかった事や本人もまだ中学生であった事から弟子入りにはならなかったが、この時スカウトした親方は「おそらく中学を卒業するまでには来るだろう(角界に)」と述べていたという。事実、初潮は中学卒業と同時に上京を決意し、相撲部屋に弟子入りし角界に飛び込むのであった。

角界入り後はその独特のスタイルと体格を武器に着実にのし上がっている。中でも本人の穏やかな性格とはうらはらに派手なつっぱりと「流血も日常茶飯事」のダイナミックな取り組みはファンからの人気も高く、常にダークホースとして上位力士から注目されていたといわれる。勝敗にムラがあった事から最終的な階級は小結に終ったが、実に50歳近くまで現役であった事などから尋常ではない体力・気力の持ち主であったとも言われているが、一方で「体調が悪いので休場」する事も多かった。非常に長期間角界に在籍していた事からご意見番的なポジションにあったともいえる。

引退後は親方として活躍する事を期待されたが、本人たっての希望赤飯 屋を開店し、現在も経営を続けている。また初潮関の相撲人生は文部省の眼に留まり、現在でも教育プログラムの中に活かされており、小学校高学年の児童に初潮関を紹介する授業を行っている(場合により、視聴覚教室に隔離して)。

ホエールウォッチングが趣味であることでも知られる。捕鯨反対主義者でもあり、引退後は赤飯屋の合間環境保護運動にも熱心に取り組んでいる。献身的な活動が評価され、1992年より世界自然保護基金の日本親善大使にも任命されている。

関連事項[編集 ]

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