俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長
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ラノベを読む人なら誰でもすぐに指摘できるようなコピペの数々と、作家の生半可なストーリー展開からの短絡的一般化とをつなぎ合わせた粗雑なパッチワーク
〜 俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長 について、アラン・ソーカル
俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長(おれとかのじょがまおうとゆうしゃでせいとかいちょう)とは、哀川譲によるライトノベル作品である。略称は『おかま』。なお、ペンネームの哀川譲とは、井上堅二と西尾維新と上月司の三者による合同ペンネームである。決しておかまではない。
概要[編集 ]
前代未聞の3者による合同作品として制作されたライトノベルであり、ところせましにそれぞれの作者の過去作品のセルフオマージュがふんだん盛り込まれている。この事実は発売日まで極秘裏に制作された。
しかし、見る目の無いライトノベル読者達に勘違いされ、バカとテストと召喚獣のパクリ疑惑が指摘され、さらに戯言シリーズとめだかボックス、×ばつばと! (存在しないページ)">×ばつばと!からの盗作疑惑までかけられてしまった不運の作品である。
あまりに事態が大きくなってしまったため真実を言うに言えなくなり、アスキー・メディアワークスの電撃文庫編集部は即座に絶版と在庫の回収を決定した。
登場人物[編集 ]
- 兎沢 紅太郎 (とざわ こうたろう)
- 主人公。人間だが魔王生徒会会長に就任する。執筆担当者は西尾維新。人吉善吉の霊が乗り移っている。
- 伏城野 アリス (ふしぎの ありす)
- 恐らくメインヒロイン。万能超人。勇者生徒会会長。担当者は西尾維新と井上堅二。黒神めだか及び霧島翔子の霊が乗り移っている。
- 九条院 鑑美 (くじょういん かがみ)
- 多分サブヒロイン。吸血鬼。魔王生徒会副会長。担当者は上月司と井上堅二。×ばつばと! (存在しないページ)">セルニア・伊織・フレイムハート及び島田美波の霊が乗り移っている。
- 紡糸 夜依 (ぼうし やえ)
- 人狼。魔王生徒会書記。担当者は上月司。×ばつばと! (存在しないページ)">桜沢みみなの霊が乗り移っている。
- 雪乃 (ゆきの)
- 人造人間。魔王生徒会議長兼秘書。担当者は不明。長門有希の霊が乗り移っている。
- リリィ
- サキュバス。先代魔王生徒会会長。担当者は不明。黒崎朱浬の霊が乗り移っている。
関連項目[編集 ]
内部リンク[編集 ]
外部リンク[編集 ]
......と、ここまでが、4年前に起こった出来事の顛末である。上の外部リンクは、現在別の文章で置き換えられている。つまり事実上のリンク切れになっており、何が起こったのか辿ることが出来なくなっている。
解説[編集 ]
俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長とは、2000年代序盤に刊行されたと思わしきライトノベルである。哀川譲なる、謎の人物によって執筆され、あっという間に回収されて絶版となった謎の多い作品である。
密告制度大好きなネット上の有志らがまとめWikiを作成し、情報収集に励んでいる。しかし、杉井光や支倉凍砂が2013年に盛大な花火を打ち上げた為、こっちは閑古鳥が鳴いている現状である。ネットユーザー達も飽きっぽいので、本気で著作権制度からこの作品を調査し違法行為として弾劾しようとしている人間は数えるほどしかいない。
盗作疑惑[編集 ]
この作品が絶版に追い込まれた理由は盗作だと言われている。そもそも盗作の定義を分かっている奴らが盗作だと弾劾したのか甚だ疑わしいが、とにかく盗作が原因で絶版になったとされる。
では盗作の定義とは何か。解釈が多岐にわたるが、概ね「他者の著作物から文章、表現、ストーリー、思想などを部分的に盗み、自分の作品に取り入れること」で、同義語に「剽窃(ひょうせつ)」がある。カッコつけたい中二病患者は「剽窃」の表現の方を好んで使う。俗語では「パクリ」と言う。
パクリだからと言って触法行為となるわけではない。著作権法に抵触していることが証明されなければならない。ではこの作品は著作権法に抵触していることが証明されたかと言うと、有耶無耶のまま葬られてしまったのである。
現在のところ、著作権法は親告罪である。つまり被害者が告訴しないと成立しない。この作品の場合西尾維新と上月司と井上堅二がパクリ元だと言われているので、彼らの内いずれか一人が告訴して、勝訴すれば盗作は成立する。逆にそこまで漕ぎつけなければ盗作は成立しない。
果たして、井上、西尾、上月の内、そもそもこの作品を認知していた者がいるのだろうか。
また、著作物の定義として、「思想、感情を表現したものであること」「創作性があること」というものがある。ありふれた表現は著作物には合致しない。武田邦彦が「ありふれた表現だから小保方晴子の論文は剽窃じゃない」と詭弁を弄していたことは有名である。
パクリ元の一つとされる、バカとテストと召喚獣の「バカ」は、「バカの一つ覚え」の略である。つまり、ありふれた表現だらけの作品であり、著作物には合致しないのではないか、という可能性がある。しかし、西尾維新は文体が(削除) 寒くて痛々しい (削除ここまで)独特の高尚さを醸し出しているので、西尾の独特で高尚な文体と完全な一致を見出せれば、間違いなく剽窃は成立する。
×ばつばと!は、アニメ化もされたが、あまりに空気すぎる作品であったため、空気=ありふれた表現ということになり、これも著作物には合致しないことになる。
つまり哀川のやったことは西尾維新と文体やストーリーに極めて強い一致性が見いだせない限り触法行為にならないことになる。何の問題ですか?ではなぜこの作品が絶版に追い込まれたのか。小出裕章はこう指摘する。
見事な陰謀論だと感心するがどこもおかしくはない。流石は小出先生である。おそらく原発は全く関係ないと思われるが、何らかの圧力と煽動が働いたことは間違いないのだ。
著作権の事実上の非親告罪化[編集 ]
TPPに加入すると著作権が非親告罪化されて警察が二次創作に介入し放題とオタク界隈がヒステリーを起こしている。この作品は絶版に追い込まれたのだが、果たしてこの作品に対して苦情を申し入れたのは誰だったのか。経緯を見るに、パクられ元とされる西尾、上月、井上が関与した形跡は全くといっていいほど見られない。そもそも電撃文庫の釈明がなかったことにされており、事実上の一次資料ゼロの状態である。残るのはいずれも二次史料ばかり、つまり、この記事、おかま事件、そしてネット上に氾濫する有象無象共の駄文のみである。真相は闇の中に葬られてしまった。
つまり、「何が何だか分からないけどとりあえず非親告罪で盗作が成立しちゃった案件」ということになる。
TPPに加入するまでもなく、著作権はなし崩し的に非親告罪化していた。桶川ストーカー殺人事件など、警察不祥事はしばしばネットユーザー共も非難しているが、そのネットユーザー共が、著作権非親告罪化と言い、晒し上げによる炎上といい、警察ごっこをやっているのである。警察としては「こんな連中に非難される謂れはない」「お前らこそ、著作権の非親告罪化を望んでいるじゃないか」という気分だろう。
言葉遊び[編集 ]
「パクリ」「継ぎ接ぎ」を「リスペクト」「オマージュ」「パロディ」「パスティーシュ」などと言い換えて、正当化している輩は少なくない。このアンサイクロペディアもウィキペディアのパクリであるが、誰も気にしない。
この言葉遊びをよく使うのは清水義範である。しかし、彼は訴訟されていない。おそらく高すぎる文章力でパクリの形跡さえ見当たらないほど文章を弄り回せているからだと思われる。流石はアンサイクロペディアの先駆者たる清水先生と言わざるを得ない。
境界線は極めて曖昧である。どこまでがパロディやオマージュでどこからがパクリなのか、ドラッグをキメているオタク共は「愛があるかないか」などと意味不明な戯言を言っている。愛などと言う定義が曖昧なものより法律で決めるべきなのは明白なのだが、なぜか皆気分で決めているようだ。
その後[編集 ]
この記事は一度削除されている。経緯はノート:俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長に書かれている。見事なまでに圧倒的多数の削除票を得て削除されている。電撃文庫の釈明が見られなくなっている現状も考慮して、何か作為的なものが介在している可能性が考えられる。
太宰治は「井伏さんは悪人です」と遺書に残した。そして彼の言葉通りなのかは知らないが、井伏鱒二には盗作疑惑がある。しかし、彼は未だに文芸の世界で偉人扱いである。
......果たして、この作品、質はしょうもないということは周知として、メタ認知的な視点で考えて場合、このまま葬り去っても良いものなのであろうか?実は著作権に関して、多くの人は何も考えていないか都合の良いように解釈している、そういう事実を、浮き彫りにした作品だった可能性がある。
「他者の著作物から文章、表現、ストーリー、思想などを部分的に盗んで」いる、盗作の定義に合致する作品としては、有名なところではゼノギアスがある。しかし、ゼノギアスは絶版どころか資料集が重版され、未だにコアな人気を誇っている。
......これは一体、どういうことなのであろうか?
作者である哀川譲という人物は、その後2013年から作家活動を再開し、作品を再び世に出している。ほとぼりが冷めたころを待って、再び活動を再開したようだが、過去の悪行は絶対に許さない文化を持つ日本のネチズン達は、著作権について真摯に勉強する気はさらさらないものの、哀川が作家として活動を続けることは絶対に許さないと考えられるため、執拗に哀川をマークすると推測される。有志らの活動によって、哀川の正体が明らかになる可能性は、決して低くない。