ユーモア枯渇症
ユーモア枯渇症( - こかつしょう)とは、短期間に体内のユーモアを大量に放出するあまり、体内のユーモア生産量が追いつかなくなって結果的にユーモアがまったくでなくなってしまうという恐ろしい奇病のことである。危険度はペストと同じと言われている。中年期のアンサイクロペディアンの発病率が異常なほど高いので、アンサイクロメディア財団では注意を呼びかけている。
概要[編集 ]
人間は毎日、憂臓(ゆうぞう)からユーモアを生産している。ユーモア生産量は一日に約100〜156個ほどで、我々は生産されたユーモアを使って笑ったり、笑わしたりすることが出来る。しかし、アンサイクロペディアンはアンサイクロペディア内で記事の作成や猥談などで大量のユーモアを消費してしまい、一日のユーモア生産量を超えるユーモアを使ってしまう事がある。
ある程度の短い期間であれば貯蓄のユーモアで補われるが、何週間もユーモア生産量を超えるユーモアを消費をしてしまうと貯蓄ユーモアを失い、ユーモアの過剰生産状態に陥ってしまう。(これをユーモア過剰生産期という。)
ユーモア過剰生産期は無理矢理ユーモアを生産するため、憂臓に多大な負担がかかる。最初のうちは大量にユーモアが生産されていくが、徐々に生産量は落ち込み、最終的に憂臓が機能しなくなって、ユーモアが生産されなくなる。この状態のことをユーモア枯渇症という。これはどんな笑いにも反応した後、何を見ても笑えなくなるという症状にも当てはまる。
症状[編集 ]
症状は個人によってまちまちだが、とにかく笑いを取ろうとして滑稽な事をするといった共通の症状が出る。
- どんなものでも笑いが必ず取れると思い始める。
- ユーモアがまったく感じられないものに無理矢理ユーモアを出そうと試みる。
- ためしに新しい記事を書いて、出来上がった後に見直すと乾いた笑いが出る。
- 前に書いた自分の記事が「もしかしておもしろくないんじゃないか?」と懐疑的になる。
- 前に書いた自分の記事を見て、どうでもいいような間違いを訂正する。
- 今まで参加してなかった猥談に急に参加するようになる。
- NRVをどうにかして面白くしようと試みる。(もちろん、途中で諦める。)
- 急に本当に面白いものが思いついても話の広げ方が思いつかず、アンディクショナリーレベルのものにしかならない。
- 気がついたら最近更新したページしか見ていない。
- 上記の症状をまったく気にしなくなる。
また、発病しているときに無理にユーモアを搾り出そうとすると、ユーモアの代わりに赤球が出るので絶対に無理に出そうとしてはいけない。
治療方法[編集 ]
治療方法はとにかくユーモアの消費を抑え、憂臓を休ませることである。ある程度休めば憂臓は再びユーモアの生産を開始し、自然と機知のある文章が思いつく。休ませる間も惜しいのであれば、以下のような場所に行くことによって回復を早めることができる。