ミューズ
ミューズとは芸術を生み出し、また、人間にあたえる女神たちである。ギリシャ神話では「ムーサ」「ムサ」などと呼ばれるが、明らかに芸術的でないので英語読みで表記する。
概要[編集 ]
神話における「ミューズ」とは一般に、主神ゼウスと女神ムネモシュネとの間に生まれた九柱の女神を指している[1] 。彼女らは偉大なる父の栄光に抗えず、彼をひたすら賛美する存在としてある。ゼウスはまた、大変な好色家・絶倫として有名である[2] 。このため彼のフェロモンはまったく衰えを知らず、抗えないミューズたちは過剰なファザコンぶりを互いに競い合うようになった。いったい誰がインセスト・タブーの神ゼウスを振り向かせることができるか。この目的を達成するため、彼女らは芸術と呼ばれるテクニックを考案し、邪淫の神ゼウスのために現在もなお大量生産・大量消費しつづけている。
芸術の実践[編集 ]
さすが経験豊富でいらっしゃる主はなかなか本気にならず、あの手この手で攻めようとするミューズたちによって、芸術は実にあらゆる方向へ開拓されていった。ゼウスへの複雑な恋心を詠う者、ゼウスとの蜜月を寓意的に描く者、ひたすらゼウスの輝かしさを奏する者......。神の国においても、無駄に才能が発揮される風潮がのさばるのである。
またミューズたちは芸術の源泉そのものであり、インスピレーションが常に溢れ続けている。それはあまりの情報量のため常にメモをとり続けなければ忘れてしまううえ、風に飛んでいったネタが悪魔にパクられる事態につながるというデメリットがあった。こうした不本意な流出を堰きとめるため、堤防として神に良く似た「人間」を選んだ。つまり、芸を思いついたらすぐ人間にやらせ、これをゼウスに見せるという手法である。これは父の嗜好をしらみ潰しに探すことができるというメリットをも獲得した、たいへん画期的なメソッドであった[3] 。
人は、時に「自分の才能である」「自分たちの文化である」などと勘違いを起こすこともあるが、結局疑いもせずにミューズに唆され、かくしてゼウスに審判されつづけているのである。人間は、ミューズの野望によって操作されている。
ミューズたちの思想の変遷[編集 ]
現代以前において、ミューズらは一定の枠にハメることこそが素晴らしいと考えていた。そのため、様々な決まり事を暗黙の内に人間たちへ吹聴し、アレといえばナニといった様式美を追求した。ミケランジェロによるバチカンの天井画やチベットの歓喜仏にその全ては表れていると言って良いだろう。また欧州の宗教家の支配欲を刺激しつづけることにより、音楽界では父への愛にまみれた曲がひたすら累積していった。さらにミューズらは直々に芸術家と呼ばれる人間[4] の前に現れたりしている。画家の場合は自身の裸体を描かせ、これを父に捧げることで特定の形状にハメようという彼女らの思いを達しようとしていた。以上のように、この頃のミューズの作品は父への愛にあふれた直情的な作風であったと評価できる。
ところが、別の枠にハメたりあてがったりするというテクニックの進化はこの縛りすら足枷とさせた。ミューズはアフリカに着目し、ピカソやル・コルヴィジェに代表される、縛るものは相対性理論しか存在しない新たな秩序を構築した。しかし、その相対性理論すら足枷になった現代では、好き勝手出来る映像の世界の開拓に努めているようである。技法としては芸術の可能性を広げる優れたものと評価できるが、同時に無秩序・混沌の思想を生み出し、やがて人類の文化を退廃へと導く要因となった。
こうなると、いよいよ悪魔が付け込んで来る。彼らは論理の名を語って狡猾な作曲術を開発、神による救済をまったく否定する響きを垂れ流したり、ベルフェゴール [5] を彷彿とさせる男性用小便器を購入させ、これにサインをしただけの作品を発表させた。こうして作られたものは確かに醜悪であるが、戦争や世界恐慌に傷ついた人類の心を深く魅了するだけのインパクトは充分である。このためミューズらの作品が翳りを帯び、これから人類を使った芸術をどう導いていくか、自身らの性欲にどう向き合っていくかを彼女らが本気で考えなければならないという時代を迎えた。
ミューズたちの地道な活動[編集 ]
また、芸術を遂行するには公衆衛生の維持管理が欠かせない。そのためミューズらはポルノ・アンド・グラフィティを遣わし、自らの脂汗で、おにゃのこやおにょこにょこを含む人間の塗料まみれの手やスネアの踏みすぎでむくんだ足、汗まみれの体を洗浄させることと引き替えに、キックバックとして新たな工作活動の原資を得ている。
ミューズたちの素肌が美しいのはこれに起因しており、気がつき次第脂汗をあぶらとり紙で採ってポルノ・アンド・グラフィティに供出しているからである。再春館製薬所は油脂の枯渇によるミューズたちの肌の老化を危惧しており、ドモホルンリンクル無料お試しパックの使用を薦めたが、肌の管理位自分たちで出来ると完全に一蹴される格好となった。
脚注[編集 ]
- ^ 人間視点における「ミューズ」とは一般に一柱の女神を指しているため、性格が非常に友好的・協力的であったり、まったく音信が無かったりと気まぐれな印象を受けることがある。実用性がないので特に分ける必要は無いのだが、ミューズは一応それぞれ名をもっており、ウラニア、エウテルペ、エラート、カリオペ、クリオ、タレイア、テルプシコラ、ポリュムニア、メルポメネという。芸術に関して彼女らが得意とする分野が各々言い伝えられているが、そのほとんどは明らかに古臭いカテゴリであり、現代文化を支えるミューズたちの思想に反しているので無視してよい。
- ^ こうしたことから、陰茎そのものがゼウスをあらわす記号としてしばしば用いられる。
- ^ またミューズらの頭の中では、人間自身を使った壮大なる展開も企画されていた。多少の野蛮さはあるものの逆境の中で演じられる芸能はひときわ美しいということから、ゼウスはあえて救いの手を差し伸べたりしない。
- ^ ミューズによる使用回数が比較的多いプレイヤーキャラクターを指す。
- ^ 好色・女性不信といったゼウスやミューズらを皮肉るような性格をもつ悪魔。便器に座った姿で描かれる。洋式便器だが。