トマス・ホッブス
トマス・ホッブス(1588年 4月5日 - 1679年 12月4日)は、イギリスのエリート崩れ、自称政治評論家、自称哲学者、自称思想家。
人物[編集 ]
ホッブスは頭の良い人物であった。しかし、コミュ障であった。そのため人間の輪に入れず、性格は歪んでいった。頭は良かったので法律は守れた。しかし、ルールを守れないくせに仲間との連帯感だけは強いヤンキー共の後塵を常に拝し続け、彼らから舐められていた。
そのためホッブスはとうとう発狂してしまう。発狂後のホッブスは、聖書の世界に出てくるリヴァイアサンという海の怪物が本当にいると信じ込んで、こんな世の中クソだ、リヴァイアサンに丸ごと呑まれちまえばいいんだ!と八つ当たりを始めた。八つ当たりの勢いで支離滅裂な著書を何冊も書いた。その代表が「リヴァイアサン」である。
「万人の万人に対する闘争状態」[編集 ]
これはホッブスが提唱した、よくわからない概念である。ホッブス曰く、人間の欲望は底なしなので、誰かに嫌な仕事を押し付けること、誰かから欲しいものを奪うこと、ストレス発散に誰かを殴ること、世の中はそんなことを考えているヤンキーばかりだというのである。酷い被害妄想だが、筆者を含め同意している人物は結構多い。現代でも多い。
そして、ホッブスはこんなヤンキーだらけの無法地帯になるくらいなら、リヴァイアサンに全てを呑みこんでもらって、リヴァイアサンの統率の元その胃袋の中で恐怖に怯えながら慎ましく暮らすのが人間にはお似合いだと言うのである。
ホッブスは、リヴァイアサンの胃袋の中で人間が支配されるという珍妙な状態を「絶対的統治国家」と呼び、こういう統治形態こそ理想の共同体だと断言した。最早正気の沙汰ではない。事実、彼の死後、ジョン・ロックによって彼の理論は「こんなの極論だろw」と嗤われている。万人の万人に対する闘争などと批判しながら、自分が一番喧嘩っ早く万人に不毛な論争を吹っ掛けていた。そのためまともな人間はホッブスを相手にしなかった。するとホッブスは「自己保存の欲求」がどうたらこうたらなどと詭弁を繰り返してはあらゆる人に粘着した。しまいには発狂した珍獣としてホームレス達の見世物になっていた。
こういう、わけのわからない被害妄想を飛躍させた戯言をほざきながら、ホッブスは1679年に発狂したまま死去した。
ところが、死後、彼の思想に共鳴するメンヘラが急増、一気にホッブスは「偉大な哲学者」扱いされてしまう。ただの被害妄想をこじらせたメンヘラだったのに、とんだ過大評価である。しかし、やがてジョン・ロックの思想が支持を受け始めると、ホッブスの存在は忘れ去られた。
しかし、彼の最大の功績はそんなところにはない。
ホッブス最大の功績[編集 ]
ホッブス最大の功績、それはリヴァイアサンという古の書物に現れる怪物の知名度を上昇させたことにある。 ホッブスが生きていた時代、リヴァイアサンなんて存在は人々の記憶の忘却の彼方へ消し飛んでいた。ところが、ホッブスが発狂しながら「リヴァイアサン!リヴァイアサン!」と喚き散らしたおかげで、人々は聖書に搭乗する海の怪物リヴァイアサンの存在を再び思い出したのである。
それまで、神学者も牧師も皆リヴァイアサンのことなど忘れていたが、ホッブスのおかげでリヴァイアサンが「発掘」され、再研究の狼煙となった。
だが、ホッブスがリヴァイアサンを再発見したことの恩恵を最も受けたのは、サブカルチャーである。
ファイナルファンタジーを始め、多くのゲームや漫画、アニメにリヴァイアサン、及びリヴァイアサンを模したシードラゴン及びシーサーペントが登場した。もしホッブスがリヴァイアサンの存在に再度の注目をしなかったら、リヴァイアサンの存在は忘れ去られ、クリエイター達はリヴァイアサンをファンタジーの世界に登場させることさえ叶わなかったであろう。
坂口博信や野村哲也は、「ホッブスがリヴァイアサンに言及してくれなかったら、我々はリヴァイアサンをファイナルファンタジーに召喚獣として登場させることは出来なかったであろう、何故なら、リヴァイアサンの存在すら知ることはなかったであろうから」と語っている。リヴァイアサンが、ファンタジーの世界で「再利用」されたのは、ホッブスがその名前を喧伝して廃れないようにしてくれたおかげなのだ。クリエイター達は、ホッブスの墓に足を向けて寝られない。
関連項目[編集 ]
この項目「トマス・ホッブス」は、手抜き状態のため発狂寸前です。正気に戻すかもっと発狂させてください。 (Portal:スタブ)