スモン
Super Money Open Network略してSMON(スモン)とは日本国の科学者、医者、その他大勢の学者等によって実行された経済実験プロジェクトである。
経緯[編集 ]
時は1950年代。日本がアメリカとの戦争に負けて玉音放送を聴きながら国民が鬱になっていたころである。政府やその他の国の機関は東京裁判の費用や焼け野原の復旧、その他諸々の色々なあれこれのために散財を繰り返し財政的にピンチになっていた。 「この鬱な状況を打開し、新しい風を吹き込むには何かどでかいことを起こして国中にある種の刺激を与えることが必要だ。」 国の長官はそう考え、経済学に詳しい有識者を大量に集めてこの状況をどうすればよいのかを議論した。議論は一向に進まなかったが、参加した学者のうちの一人が「日本にある種のパニックを起こせば良いのではないだろうか。目の前に困難があれば人間は通常の3倍のパワーを発揮できる。」と述べた。 既に第二次世界大戦という大事を経験した直後だというのに何を言い出すのであろうかとこれを見ている諸氏は思うであろうが、ここに列席していた人たちはそうは思わなかったらしい。「すばらしい」「是非実行しよう」ということになり、この方向で煮詰めていくことになった。
さて、ここでここからどんなドデカイことを起こすのかが問題になった。ちょうどその当時、アメリカで開発された整腸剤があった。こいつは良く効くがその効果が凄すぎて人体に様々な影響を及ぼしうることが懸念されていた。「こいつで病気を起こそう」話は決まった。
これよりこの整腸剤は国の権力によって無審査で厚生省に承認され医者に使われ始める。そして整腸剤を使い始めた患者が次々と倒れ始めた。有毒であったこの整腸剤を信じられない量服用したことで中毒が発生したのだ。中毒は表向きとしては「原因不明の奇病」として日本中に広まっていった。倒れた人々は原因も分からないこの奇病に恐れおののいた。これが1955年のことである。
1960年代になると東京でオリンピックが開催される運びとなり、この奇病をどうするかが問題となった。国は日本中から医療と化学に詳しい者を集め会議を行った。ある者はウィルスが原因といいある者は空気が原因といいある者は食物が原因だと言った。 医者には彼らの言った全ての可能性が考慮されあらゆる薬が処方され、副作用を起こして死者数はどんどん加速していった。死者数は1964年になっても減るどころかさらに加速。此の頃には死者数が55年の10倍になっていた。そして69年には前述の研究者に与えられる研究費が10倍になった。 彼らの研究も空しく死者は増えるばかりであった。
1970年になって死者数増加は突然停止する。新潟大学の研究者、椿忠雄が整腸剤との関連を説き、解決に導いたからである。氏の書いた本は日本中で売れ、ベストセラーとなった。一方、これに関わった製薬会社は同年のエクストリーム・謝罪でスモン連合チームとして見事準優勝に輝いた。
検証[編集 ]
さて、上で経緯を見ていただいたがこれがどのように経済的な影響を与えたか見ていこう。 まず原因不明の病気が大量発生する。病気にかかり倒れた人はこぞって病院にかかる。これにより医療費として大量の金が流れることになる。 だが医者にこの病気をなんとかする手立てはない。仕方ないので対症療法的な診断しか出来ない。この対症療法というものは病を根本から治すものではなく、あくまでもそれ以上悪化しないようにするものであるため、非常に時間がかかる。その分何度も何度も通院(あるいは長期入院)する必要があり、医者は診察の回数分(入院日数分)お金を稼ぐことが出来る。
60年代になると薬で治療する試みが行われた。これにより大量の薬が患者らに処方された。この薬も勿論ただではない。しかも分量が半端ないため、相当金がかかるこというまでもない。これはそのまま製薬業界の潤沢な資金となることは言うまでもない。だが、そのように大量の薬を見境無く一気飲みしていれば間違いなく副作用が現れ、患者はさらに別件で医者にかかる必要性に駆られることになる。 そして医者がしていることはあくまでも対症療法であり、なおかつ特効薬は無いのであるからいずれ患者は全員死にいたる。人が死んでからすることは葬儀と埋葬である。病気の死者を葬ることで葬儀屋や墓地、宗教施設は大いに個人や医師会から収入を得た。医師会からお金がもらえるのは身寄りの無い人が死んだときの合同葬に医師会が出資するからである。またある死体は医療業界に献体され、研究に使われた。また一部の遺体はヤミのオークションなどで高値で取引された。
70年代に研究者の研究費が10倍になる。これにより研究者たちは大いにその資金を(目途はどうであれ)活用した。ある者は人体実験を行い、ある者は遊興費に当てた。彼らの経済活動は停滞していた当時の経済にはとても刺激になった。そして彼らの中で研究に資金を使った分は医者や製薬業界に還元される。
この医者→製薬業界→葬儀関係→研究者という一連の経済ループが日本の経済界を刺激していった。このループをスモンと呼ぶ。 本件で人が死ねば死ぬほど市場が賑わったのである。
と、ここで一人のKYが出現する。
この病気について前述の研究者とは別の視点からこれを研究していた新潟大学の椿教授である。椿氏はこの病気の原因としてアメリカから来たばかりの整腸剤の存在を指摘し、関係を証明した。これにより、早急な対策が取られ、病気は急速に収束していく。椿氏は本件について大量の本を書いた。その中で国やこの現状について批判した。氏の本は医療関係者にとどまらず一般の者も買い求め、読んだ。日本中が彼の本に言葉に釘付けになっていた。この件で彼も大量の金を儲けたと思われる。そして、ある程度金が回るようになってからスーパーヒーローを出現させ事態を収束させることで人々の記憶に良いように残るようにした、つまりダーティーの実験のイメージを想起させないようにすることに成功したのだ。 人々の記憶には椿教授の活躍しか残っていない。スモンの存在など忘却の果てである。しかし、国はきちんとこの件が成功したことを記憶している。今現在、エイズなど治せないとされる病気が多々あるがそれらの殆どは「治せるにも関わらずお金が惜しいので放置している」または「金儲けのための人為的な殺人ループ」である。このことを心に留め置いていて欲しい。
この項目「スモン」を執筆した人は、キラの力により殺されてしまいました。そこでこれを見ているあなたにこの記事の未来を託します。
無理にとは申しません。だって執筆者は殺されている訳だし...。 (Portal:スタブ)