サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band)は、1966年にペパー軍曹(Sgt.Pepper)により結成されたロックバンドである。とある有名なロックバンドの覆面バンドとの説もある。
歴史[編集 ]
『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の結成は、1966年にドクターロバートによって処方された薬ドクターペッパーをペパー軍曹が飲んだことから始まった。ドクターペッパーを飲んだペパー軍曹は気分が白日夢のようになって、ミッシェルにノルウェー製の家具の優位性ばかり話してたら彼女はどこかに行ってしまい、ひとりぼっちのあいつと化したペパー軍曹は明日が見えなくなってしまった。そして、自分探しの旅に出かけたペパー軍曹は、ケニアにマウンテン・デューの秘宝を探す旅から帰る飛行機の中で『ドクター・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』というバンドを作ってドクターペッパーの美味さを世界中に広めようと思いついた。
その考えに賛同したドクターペッパー中毒の軍人仲間と一緒に1966年11月頃から曲作りを始めた。そして、「ルーシーがダイアモンドを持って空に舞い上がる歌」や「アルバート・ホールの天井にある穴を数える歌」などのドクター・ペッパーを飲んだときのトリップ感を再現した曲が次々と生まれていった。それに、曲作りの合間をぬって、カントリーシンガーであるビリー・シアーズのバックバンドとして修行も積んだ。そして、1967年6月1日に大手サーカス団のオーナーであるカイト氏とヘンダーソン一家の後援を受けてアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』でメジャーデビューを果たした。しかし、メジャーデビューの際に商品名が入っているとイギリスの某国営放送で曲がかからないという理由で、ドクター・ペッパーズ〜をサージェント・ペパーズ〜にバンド名ともども改名させられて、本来の目的が薄れたことは特筆すべきである。
このアルバムは世界初のコンセプト・アルバムとして有名であるが、これはビートルズがサージェント・ペパーズ〜と言う架空のバンドを作ったとの噂から生まれたものであり、後にサージェント・ペパーズ〜メンバーの一人が「ライブをそのままアルバムにしたものであり、コンセプトなんてインチキ」との発言をしたこともある。
このアルバムの発売後は、1968年に公開されたアニメ映画『イエロー・サブマリン』の制作と同名のサウンドトラック盤を発売した以外には目立った活動を行っていない。
覆面バンド疑惑[編集 ]
前述のように、サージェント・ペパーズ〜には、アルバム発売当時からビートルズの覆面バンドとの噂があり、2008年現在ではその事は公然の秘密扱いになっている。この節ではサージェント・ペパーズ〜がビートルズの覆面バンドと言われる理由を簡単に述べる。
ちなみに、ビートルズが覆面バンドを作ったと言われる理由は、1965年から1966年に行われた日本武道館やシェイ・スタジアムなどで行われたワールド・ツアーで観客が演奏を何も聴いていなかったので、頭がカッとなったメンバーが「もうコンサートはやらないからな、絶対だぞ!!」とブチ切れたことがあった。その後、頭が冷めてもコンサートを再開しますと言いづらかったので、覆面バンドを作ってコンサート活動を再開するためらしい。
- サージェント・ペパーズ〜の活動が活発だった1966年後半から1967年前半にはビートルズは『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』と『ペニーレイン』の両A面シングルしか出していない。
- サージェント・ペパーズ〜とビートルズのバンド編成はツインギター、ベース、ドラムと全く同じである
- サージェント・ペパーズ〜が制作したアニメ映画『イエロー・サブマリン』と同名の曲がビートルズにはある。
- ビートルズのメンバーであるポール・マッカートニーがドクターペッパー合法化を求める意見広告を雑誌『TIMES』に掲載した。本日ドクターペッパーが自動販売機で買える(東京都、チバラキ県、沖縄県限定)のはポールのおかげである。
ディスコグラフィー[編集 ]
アルバム[編集 ]
- サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
- イエロー・サブマリン
- イエロー・サブマリン 〜ソングトラック〜
映画[編集 ]
- イエロー・サブマリン
関連項目[編集 ]
- ビートルズ
- BEAT BOYS - このバンドもTHE ALFEEの覆面バンド疑惑がある。
- 阿久悠 - 阿久悠の書籍によれば、曲名の由来がサージェント・ペパーズ〜かもしれないとされている[1]
- 森高千里 - サージェント・ペパーズ〜をリスペクトしてアルバム『ペパーランド』を作った。