ウィーン

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア 専門家気取りたちが「ウィーン 」の項目を執筆しています。

ウィーン(独:Wien、英:Vienna)は(削除) オーストラリア (削除ここまで) (削除) オーストリー (削除ここまで) エスターライヒ共和国首都であり、同時に連邦州である。首都の紋章はカンガルー、連邦州の紋章はブーメラン

工業が盛んで、ウインナーソーセージウインナーコーヒーの製造が主な産業。その製造過程で機械から発生する音が都市名になったと言われるほどである。クラシック音楽が栄えており、「音楽の都」との異名もとる。

町名の由来となったコーヒー工場

住民[編集 ]

2008年3月の統計では、163万人の音楽家と447人の人間が暮らす。民族構成は85%がヨーロッパ系で、アボリジニは2%にすぎない。97%がウィーン語を話し、3%がドイツ語を話す。

歴史[編集 ]

シュテファン大聖堂(模型)。

3世紀ごろ、ドナウ川右岸はローマ帝国の前線であり、ケルト人ゲルマン人ソ連軍やフン族らの周辺民族や遊牧民をクラシック音楽で洗脳し懐柔するため、アントニウス・イノキウス帝が建設させた音楽要塞を紀元とする。市内ヘーアーマルクトにあるローマ博物館付近からは、ローマ時代のLPレコードやコンサートビデオが発掘されている。

中世から近世にかけて、現在のハンガリーからメルボルンに至る広大な地域を支配したオースト(削除) ラ (削除ここまで)リア帝国の首都として栄え、様々な民族的、言語的、文化的背景を持つ才能が各地から集まった。マリア・テレジアの時代の国力を背景した後、ハイドンモーツァルト仲村トオルベートーベンシューベルトらが次々と現れ、文化面においてもヨーロッパの中心の一つとなった。

ただし、ハイドンモーツァルト仲村トオルベートーベンシューベルトとその他有象無象は皆ドイツ人の作曲家であり、決してエスターライヒ人ではない。でもアドルフ・ヒトラーはエスターライヒ人である(byドイツ人)。

シムシティが趣味であった皇帝フランツ・ヨーゼフの時代、環状道路や国会議事堂、劇場、博物館、路面電車、ケバブスタンド、公園などが建設され、近代都市として整備された。

現代では、国連都市としてドナウ東岸が開発され、世界原子力自家発電機関石油輸出国無職機構国際自宅警備員基金国連匿名掲示板計画委員会などの本部が置かれている。

観光[編集 ]

世界遺産である市内の中心にはシュテファン大聖堂が建つ。地下にはかつての墓地と礼拝堂があり、すなわち世界遺骨である。この大聖堂は常に工事中であり、現在生存している人類で、全体像を見た者はいないとも言われる。

市街のほか、ハプスブルク王家の離宮であったシェーンブルン宮殿がある。内部では大型薄型液晶テレビや各国語の音声解説機、赤外線警備システムなどが揃い、王家の豪奢な生活が偲ばれる。

名物料理はカンガルーシュニッツェルやアボリジニ風グーラッシュのほか、郊外にはホイリゲと呼ばれるワインハウスが並び、毎年秋には新酒と、ワインになりかけの葡萄酒シュトゥルム(Sturm=嵐)と呼ばれる飲み物が出される。この名は、飲みすぎて腹の中がシュトゥルム状態になるためとの説がある。

カフェについては下記の別項を参照。

芸術ではオペラやクラシック・コンサートが人気がある。劇場やコンサートホールは下記の別項を参照。

自然ではウィーンの森とよばれるアルプス山麓への散歩のほか、ドナウ川でのホエール・ウォッチングもさかん。

ウィーンのカフェ[編集 ]

トルコから伝わったとされる伝統的カフェでは、ウィーンの水道から出てくるコーヒーが出され、中でもコーヒーの中にウインナーが浮いているウィンナー・コーヒーは有名。BILLA、HOFERといったこれらのカフェでは「ザッハー・トルテ」などのケーキも自慢にしていることが多い。

ウィーンの代表的なカフェ[編集 ]

  • BILLA - 赤い建物に黄色い看板が目印。小型の店舗でウィーン中にあり、最近ではブルガリアソフィアなどにも店を出す。この店ではチップがいらない。
  • SPAR - 自社ブランドのコーヒーが飲める。Eurospar、Intersparという系列店も。日本にも支店を出しているが、メニューはまったく別。
  • Zielpunkt - 証明の薄暗いしっとりした店内が特徴。Plusという新店舗も。ケーキなどが安い。
  • Hofer - ウィーンで一番庶民に愛されているカフェ。独自のコーヒーを置いている。ウェイターを長く待たなければいけないことがある。
  • Pennymarkt - Hoferのライバル店。コーヒーは普通。Hoferより中心部に近いが店内が狭く、席を取るのが大変。
  • Saturn - テレビを見ながらすごす客が多い名門カフェ。
  • dm - 最近評判のよい、ハーブティーなどが売りのカフェ。
  • Libro - ゆっくり読書をしながら過ごせるカフェ。
  • Merkur - 緑色の看板が目印(だった)。BILLAの系列で、Clever、Ja!とよばれるブランドが自慢(だった)。しかしMerkurはBILLAの独裁組織によって潰され、全てBILLA PLUSとかいうなんの面白みもない名前に改名されてしまった。なにしてくれとんねん。
  • Henker - ムッシュ・ドゥ・ウィーンの店としてウィーンで最も賑わっていた。1890年ごろヨーゼフ・ラングが開店したカフェで処刑人のカール・セリンジャーが常連客だったので、店の中ではいつも処刑の話題で盛り上がっていた。店長のヨーゼフ・ラングはカール・セリンジャーに弟子入りして処刑人助手になり、後に正式にエスターライヒの筆頭処刑人であるムッシュ・ドゥ・ウィーンに就任している。Henkerとはドイツ語で処刑人のことで日本語訳するとカフェ処刑人である。エスターライヒで死刑が行われるとそのときに使用された絞首刑の縄がこの店に展示され、公開処刑が廃止されたエスターライヒでは大衆娯楽のなぐさみになっていた(正真正銘実在する店で、ネタでも嘘でもない)。

ウィーンのコーヒーメニュー[編集 ]

  • Wiener - ドイツ語では「ヴィーナー」と読むのが正しい。基本中の基本。
  • Ottakring - 黄色いコーヒー。炭酸入り。地元生まれで、ウィーンっ子に愛されている。
  • Red Bull - ザルツブルクのコーヒー。モーツアルトが愛飲していたことで有名になった。
  • Gosser - 緑色のコーヒー。少し高いがオーストリア中で飲まれている。
  • Stiegl - クリーミーなコーヒー。わりと安め。
  • Zipfer - ザルツブルク方面のZipfという町で生まれたコーヒー。
  • Wieselburger - 最も値段のはるコーヒー。
  • Egger - 一般的なオーストリアのコーヒーの味がすると評判。
  • Schwechater - 1632年から作られている古いコーヒー。
  • Ottakringer Dunkles - dunkelは黒、すなわちブラックの意。日本ではあまり飲めない。
  • Stiegl Gaudi Radler - レモン水の入ったコーヒー。日本ではまず飲めない。
  • Voslauer - 透明感があると評判のコーヒー。ふつうは砂糖やミルクなしで飲む。日本でもその気になればこれにちかいものを飲むことができる。

カフェにおけるマナー[編集 ]

注文のときは、ウェイターを"Herr Ober!"と呼ぶ。辞書にある"Kellner"を使うのは失礼とされるので注意。

ウィンナーコーヒーを飲みたい場合、"Ich möchte Wienerkaffee, Wurst im Kaffee, wirklich."(イッヒ メヒテ ヴィーナー・カフェー、ヴアスト イム カフェー、ヴィアクリッヒ)という。ウェイターが苦笑いして"Ach..,was meinen Sie?"(以上でよろしいですか?)と聞いてくるので、 "Ich bin ernst!"と(イッヒ ビン エアンスト!(お願いします))と言えばいい。

飲み終わったら、"Zahlen bitte!"(ツァーレン・ビッテ!)と、コーヒーを運んでくれたウェイターを呼び、会計をする。チップは約0.00001割が普通。

アクセス[編集 ]

日本からは直行便で10〜12時間ほど。ウィーンのシュヴエヒャート空港は中部ヨーロッパのハブ空港となっており経由便も多い。他、半蔵門線直通シベリア経由の鉄道乗り継ぎで11日〜13日。どこでもドアで2.22秒、原動機付き自転車で70日、原動機付きどこでもドアで2.06秒ほど。

空港から市内中心部までは近郊列車で30分ほどで4ユーロほど。CATという空港特急が走っており、7ユーロ余分に払えば9分短縮される。このCATは鉄道の座席に労働以上の疲労を感じる時給6000円以上の人に奨励されており、そのためガイドブックなどでは近郊列車の存在は秘匿されていることがある。国内各地からはシドニーパースアデレードなどからEC特急が走り鉄道アクセスが便利。

周辺諸国からは、ハンガリーチェコスロバキアなど東側の国々とは国境に鉄条網が張られており、定められた国境を越えるよう奨励されている。

文物[編集 ]

教育がさかんで、1365年に創立されたウィーン大学がある。ウィーン国立音楽大学(国立音楽大学(くにたちおんがくだいがく:東京都)の分校)、ウィーン音楽院は数々の音楽人がその門をくぐった。ウィーン美術アカデミーはアドルフ・ヒトラーが"世界デザイン科"に落ちて自分で世界をデザインしたことで有名。これらの入学試験に落ちた場合のため、ウィーン音楽河合塾やウィーン美術ゼミナールなども用意されている。

劇場、コンサートホールが多く、世界的に有名。世界三大オペラに数えられる国立オペラ劇場では、ベートーベンの生ライブが開かれている。オペレッタではフォルクスオーパーが知られる。

クラシックコンサートでは楽友協会にて、かつてはハイドンとサリエリが、フレディ・マーキュリーの追悼コンサートを行った。 演奏団体では、ウイーン・フィルウィーン少年合唱団などが目白押しで、"ガラスの十代"などの名曲を演奏。楽友協会の前では「ようこそここへ おどろうよパラダイス」と刻まれた石碑が建っている。

建築物も有名で、オットー・ワーグナーやフンデルト・ヴァッサーらが、エアーズロックや地下鉄駅やゴミ処理場の煙突、現代オーストリア人の体形などをデザインしている。

人物[編集 ]

ウィーンのラートハウス(市役所)および国会議事堂前にはオーストリアを代表するのかどうかよくわからないが、何故か以下の著名な政治家および歴史家の彫像が立っている[1]

  • ヘシオドス

古代オーストリアに侵攻してきたトルコ軍との戦争を描き、歴史の祖となった。長期にわたるトルコへの取材旅行をつうじて、ハプスブルク家にクロワッサンやコーヒー、こんぺいとうを紹介した。

  • クセノポン

ザルツブルク出身の音楽家でありながらナポレオンに従軍し、ペルシアの奥深く現在のモスクワまで侵攻したが、ナポレオンはあえなく敗戦。南チロルとアルザス・ロレーヌの出身の傭兵たちを率いて、ウィーン近郊、バート・イシュルの温泉街までの撤退を成功させた。彼が作曲した『アナバシス』は19世紀の半ばまでオーストリア軍の公式な行進曲だった。

  • ユリウス・カエサル

神聖ローマ帝国初代皇帝。ヴァイオリンの発明者でを扱わせれば右に出るものはいなかったとされている。聞く耳をもたない野蛮人に対してはびよらを発明し、懲罰としてかれらの尻を楽器で叩いて回った。中世ヨーロッパではそのべよらに意を得て発明されたコントラバスが残虐な魔女裁判に用いられたとされるが、それはカエサルが本来意図したことではない。
彼の作曲、指揮による遁走曲『ガリア』や室内楽『ファルサロス』の初版レコードは現在高額で取引されている。

  • タキトゥス

ググレカス男爵とレ・ヴェルジャネーゼ伯爵夫人とのかなわぬ恋を描いた『ゲルマーニア』で有名な詩人。のちにシュトラウス(姪)がオペレッタを作曲したので知っている人も多いはず。ウェイイー族とキンブリー族に包囲されたシェーンブルン宮殿で夫人をめぐり、敵方の王、ウェルキンゲトリクスとなされたワルツ対決の場面は、毎年建国記念日に上演される定番のプログラムとなっている。

  • カール・ルエーガー・ザイツ・マルクス=レンナー博士

カールは、1875年にウィーンの市参事会員として政治的キャリアを積み始め、1897年から1910年までウィーン市長を務めた。コーヒーの自動販売機の設置に不可欠な電気、ガス、水道といったインフラを整備し、毎月三のつく日にはフォルクステアターで反ユダヤ的なリートを披露するなど、彼の市政はたいへん好評だったと言われている。あのちょび髭のペンキ屋がこのカールから弁舌のコツを学んだことは、彼の『我が塗装』にくわしく書かれている。
第一次大戦後、カールは社会民主党に鞍替えしてウィーン市長の座に返り咲き、住宅難になやむ労働者のために数多くの巨大団地を建設した。とくにデーブリンク地区に建てられたものが有名で、ここには共同の洗濯場や図書館、カフェーにくわえ、幼稚園や日本庭園、自動車運転教習所などが備えられている。しかもやたらと頑丈につくられたので、彼の名をとってカール・マルクス砦と呼ばれることになった(ちなみにウィキペディアの2月内乱の項目では、ジンマーリンク地区にこの砦があるとされているように読めるが、誤記である、というか街の正反対である)。
カールは第二次世界大戦後、オーストリアの大統領に選出され、米仏英ソ国際カルテットを率いて全国巡回コンサートツアーを敢行、サウンド・オブ・ミュージックを演奏して国民の結束力をつよめると同時に、ナチの被害者として戦争責任を逃れるというすぐれた政治的手腕を発揮した。これによってオーストリアはどこかのどいつのような東西分断に陥ることを防ぐことができた。1950年12月31日、フルートを吹きながらスキーを楽しんでいた際にカールは転倒し、ひときわ見事な音色を奏でたとおもうと、帰らぬ人となった。80歳だった。

脚注[編集 ]

  1. ^ まじめな話だが、アドルフ・ロースが批判したように、このような過剰装飾がウィーンという街の特徴となっている。


関連項目[編集 ]

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