ご都合主義 (物語)
ご都合主義(そんなんありかおまえ!)とは、多くの週刊誌漫画や、少なからぬ通俗小説、ライトノベルその他、そして大半のハリウッド映画で活用される、ストーリーを漫画家、作家、脚本家などにとって都合良く展開させる技術のことである。
しばしば超展開と関連があるが、同一ではない。超展開は無茶な展開のことを指すが、ご都合主義は展開上、一応の辻褄合わせができているし、最初から仕組まれている場合もある。しかしその境界は曖昧である。
またデウス・エクス・マキナとの関連が深いが、物語の展開上どのような場面でも使用できる点が、主に結末を導くことを重視したデウス・エクス・マキナとは若干異なっている。
概略[編集 ]
何がご都合主義であるかを語る場合、何がご都合主義で無いかを語るほうが容易い。このため、ご都合主義という技術を用いずに物語を展開するために使われる、頭痛のするような小難しい方法論について説明する。
- ご都合主義的で無い方法
- 伏線や物語の解決に至る手段などは、大半を序盤〜前半(起承転結の起と承の部分)で示しておく。後半の物語は、前半で示した要素(キャラクター、ガジェット、伏線など)とその発展だけで進める
- 特に終盤になってから新たなガジェットやキャラクターなどを出さない
- 全ての要素は、予め場に登場させるか、何らかの伏線をはっておく。伏線は全て回収する
- 全ての要素が緊密に繋がりあい、一つの物語を展開するようにする。無駄な要素は登場させない
ご都合主義の利点[編集 ]
上記のような「ご都合主義でない」、完全に計算し尽くされたストーリーは玄人芸とされ、特に漫画雑誌の編集者や読者にはひどく嫌われる。というのも、「ご都合主義でない」ことは以下のような問題点を持っているからである。
- ストーリーの長さが規定されている。このため突如の打ち切りや、作者の意志を無視して連載延長することがほぼ不可能である
- 多くの場合「○しろまる○しろまる○しろまる○しろまるというキャラクターは第○しろまる○しろまる話で死んでしまう」のようなことが開始前から決まっている。しかし連載ものの場合、万が一そのキャラクターに人気が出てしまうと死なせるわけには行かず、結果として物語に破綻を来す。綿密に計算してあるが故にそのダメージは大きい。
- 全体的に難解になりやすい。漫画や小説の場合は「あとから読み直す」ことができるのである程度はフォローできるが、時間枠の決まっている娯楽映画にとっては致命的である。特に客の知能年齢が低いハリウッド映画では「ご都合主義でない」映画を作ることは(不可能ではないにしても)極端に難しい。
- 特に前半が難解になる。これは特に、まず最初の数話で読者の心を鷲づかみにしなければ生きて行けない漫画週刊誌にとって致命的である。また、始めの数分で印象が決まってしまうとまで言われる娯楽映画にとっても非常に致命的な話である。
- 連載漫画や連載小説の場合、途中から読み始めた人からすると面白くも何ともない。これは特に、まず最初の(以下略)。
ご都合主義の活用[編集 ]
上記のように、「ご都合主義でないこと」にとってのデメリットはあまりに大きすぎるため、ご都合主義は多くのジャンルで大いに活用されている。主な活用方法として以下のようなものが挙げられる。
- 前半と後半をきちんと整合させる必要が全く無いため、自在にストーリーを展開できる。これは多くの作家や脚本家が頭を悩ませる「前半の伏線」という要素を無視できるため、非常にわかりやすいストーリーを構成できるという意味でもあり、特に娯楽映画にとっては重要である。
- 連載の世界では、突然の打ち切りや無理な連載延長に際して、
(削除) 後付け (削除ここまで)新たな設定を追加することでストーリーの長さを自在に変えられる。状況に応じて全く別の物語にしてしまうことも可能である。 - 本来、キャラクターはストーリーにとっての小道具に過ぎないはずであったが現在の漫画、小説、映画業界にはこのような古くさい概念は通用しないため、ストーリーとは無関係にキャラクターを動かさなければならないのだが、読者の反応を見ながら物語を自在に変形させる必要のある漫画や連載小説の場合、新たな設定やキャラクターを追加することで何とでもできる。
- 各話読み切りタイプの漫画や連載小説の場合、話のネタに詰まっても新たな設定を追加すれば良いのでいくらでも続けられる。それまでの物語との整合性を気にしてはいけない。というか致命的に矛盾していても誰も気にしない。
- 「誰それとの戦い」のような物語の場合、それまでの展開上「どうやったってこいつには勝てるわけないじゃん」と思える敵(またはライバル)であっても、勝手に新たな設定を追加したり(その敵は実は不治の病で発作が......)、それまでの展開と無関係なガジェットを使わせたり(これがあればヤツに勝てるんだ!)、新たなキャラクターを登場させたり、退場したはずのキャラクターを無理矢理再登場させたり(「おまえ、死んだはずじゃ......!」「あのとき俺は崩れてきた瓦礫の陰に隠れて......」)することでどうにでもなる。
- 伏線の回収をする必要がない。このため、伏線っぽいものを適当に振りまいておいて、しばらくしてから「実はあれは伏線でした」と言い張って適当に回収することもできるし、そのまま無視して黒歴史にすることも自由自在である。というより、多くの漫画や連載小説で「伏線らしきもの」の大半が黒歴史化されていること自体が黒歴史である。
真面目な話[編集 ]
いずれにせよ、架空のストーリーを展開する以上、どのようなものであろうといくらかはご都合主義である。エイリアンの地球侵略を阻止する重要なキーを偶然にも発見してしまうのが民間人でなければ面白みが無いし、ペ・ヨンジュンの演じる美青年が次々と不幸な事故に巻き込まれなければただ退屈なだけの話となってしまうので誰も見ないし、江戸川コナンや金田一一が偶然にも事件に遭遇しなければ物語は始まらない。ホラーや露悪的路線の作品ではとにかく都合の悪い展開が続かないといけないし、逆に平和な日常を描いた作品であるのならば、その主題を破壊する負の要素はあってはならないのである。
つまりはある程度のご都合主義には目をつぶるべきであるし、物語の性質如何ではかなり強烈なご都合主義でも素直に受け入れるべきなのだがその境界は大変に難しいものである。