あずさ2号
あずさ2号は、かつて長野県 松本市の松本駅から東京都 千代田区の東京駅までを結んだ東日本旅客鉄道(JR東日本)の特急列車である。
昭和・平成時代には、中央本線を象徴する列車として知られていた。
列車概要[編集 ]
この列車は最も小さい自然数の偶数番号がついていることからも分かるとおり、「あずさ」の中でも朝早くに信州を出て、長野県や山梨県の各都市に住む者を帝都東京へ運ぶために設定されていた。
通勤ラッシュのピークは過ぎたとはいえ、9時というまだ電車が混雑している時間帯に中央快速線に割り込んできたため、電車増発の支障になっており、実に東京西部地域民にとっては迷惑な存在であった。とはいえ、新宿駅ではなく東京駅まで直通することから便利な存在であることも確かであり、大月市や八王子市の人が乗車する姿を見かけないわけではなかったのだ。それゆえ、中央本線の持つ多面性(通勤と都市間路線の同居)を象徴する存在として、同線の代表列車のように見られていたのかもしれない。
さてこの列車、明朝の6時過ぎという新幹線も動き出して間もないときに松本を出て、諏訪の辺りではいったん各駅停車になってしまい、山梨県の甲府駅から東京都の八王子駅までは特急っぽい走りになるが、八王子から先は停車駅が立川しか無いだけで、朝の痛勤特快と大して差の無い走りであった。八高川越埼京横須賀線経由で東京に行ったほうが早いだろう。すなわちこの列車が「特急」と呼べたのは、実は松本〜塩尻間と甲府〜八王子間だけなのである。一時期は8時ちょうどに大月駅に停車していたが、最晩年には取りやめになってしまったようだ。
そんな「特急」といえるような区間を探すのが難しい列車であるため、後述する狩人が同線の象徴といえるこの列車を歌い上げるに当たっては、大分苦労したという。
狩人の歌[編集 ]
この列車は上記したように、現代の中央本線を象徴する列車と化しているため、1977年に狩人が歌にして世間に発表している。この歌は予想に反して大ヒットとなり、30年経った今でも列車もろともよく知られた存在になっている。
とはいえ、彼らとしてもここまでみっともない「特急」だと同線の山岳イメージに相応しくないため、どう歌い上げるかを巡って苦心を重ねたという。結果、最も特急らしい走りをする甲府〜八王子間を重点的に歌に歌いこむことにした...かと思われたが、それでは「あずさ」の名前に相応しくない。仕方が無いので国鉄は「かいじ」という特急を新たに作り出した。それで出てきたのが件の「8時ちょうどのあずさ2号で」のフレーズである。大月駅では本当に「8時ちょうどのあずさ2号」で東京方面に旅立つことが可能だったのだ。もっとも先述の通り今では列車そのものがなくなってしまったが...。
歌詞の中に「春まだ浅い、信濃路へ」と出てくるため、路線の事情を知らない人には東京から信州へ向かう下り列車の話ではないかと誤解されている所もあるが、それは国鉄の要請による路線のイメージアップを兼ねたカモフラージュに過ぎない。実際には前の恋人と別れ、新たな恋人と共に山梨県の東端から信濃町を目指して上京する人の姿を表現しているのである。三鷹から総武線に乗り入れる予定だったのだ。国鉄は美味いこと歌の本質をごまかし、この歌に合わせるようにして信州・甲州旅行のキャンペーンを実施した。赤字まみれであったにもかかわらず、国鉄は末期には商売上手になっていたことを、これはよく示しているといえよう(同時期には「いい日旅立ち」のキャンペーンも行っている)。