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【コラム】海外通信員

ジーコが岐阜・東濃に降臨!

[ 2024年11月21日 13:30 ]

2024年11月9日、引退30周年記念セレモニーで記念撮影するジーコ氏(中央右)とレオナルド氏(同左)
Photo By スポニチ

32年前の話しをしよう。1992年、初めてブラジルに行った時のことだ。私はJICA(国際協力機構)の海外開発青年制度(現日系社会青年海外協力隊)の日本語教師としてブラジルに派遣されることになった。自分で国を選んだわけではなく、たまたま行き先がブラジルだった。

当時、日本ーブラジル間をヴァリグ・ブラジル航空とJALが直行便を飛ばしていた。直行とはいえ、さすがに24時間飛べるだけの燃料を飛行機に貯めることができない。ゆえに、途中一度燃料補給のため着陸をしなければならなかった。私がJICAの仲間とたちと乗ったヴァリグ航空の飛行機はロサンゼルスで停まり、燃料補給の間、乗客は全員トランジットルームで待機しなければならなかった。

私たち20名は、中間地点のロサンゼルスまで来て、今まさに任地ブラジルへ向かうという高揚感と期待感で満ち溢れていた。

トランジットルームは広い待合室のようなもので、旅人たちでごった返していた。それもそのはず、ここには日本からブラジルに向かう便だけでなく、ブラジルから日本に向かう便、双方の乗客数百人がワイワイしていたのだから。

その中で一際目立つ塊があった。

「なんだろう?」

すると、どこからか「ジーコがいる!」と声がした。

「えっ!ジーコが!?」

私は、ブラジルを選んだわけではないと書いたが、元々サッカー好きで、フラメンゴが日本に来た時も見に行って、本物のジーコを見たこともあった。

当然ジーコが引退撤回して日本に来てくれ、住友金属にいることも知っていた。

なんと、ジーコはブラジルから日本に行くところだった。

私たちはその反対。地球の反対側からお互い同じ時間に飛行機に乗って、トランジットルームでたまたま同じ時間を過ごしていたのだ。

わあ!!!と、覚えたての下手なポルトガル語を駆使して、

「私はあなたの大ファンです!私たちは日本政府の活動の一環としてブラジルに派遣され、向かう途中なのです!」と言ったところ、ジーコは喜んでくれて快くサインをしてくれた。仲間の一人は着ていたTシャツにサインをもらって、私たちは大興奮だった。当時はスマホなど無いため、写真を撮ることはなかったが、ブラジルに行く途中でジーコに会えるなんて、なんてラッキーなんだろうとただでさえ盛り上がっていた私の心は最高潮に達したものだ。

実は生ジーコを見たのは、その4年前が初めてだった。彼はフラメンゴのスターとして1988年のキリンカップのため来日していた。フラメンゴは京都の西京極球技場でレバークーゼンと試合したのだが、サッカー人気があまりない時代で、こんな好カードなのにチケットは簡単に手に入り、バスに乗り込むジーコを間近で見た時の興奮は忘れられない。

これらは神様が私にくれた大きな贈り物の第一歩だったと後からわかった。

その後、3年間の日本語教師の任期中、夢がいくつも叶った。

聖地マラカナンスタジアムでブラジル最大のダービーであるフラフル(フラメンゴーフルミネンセ)を見ることもできた。セレソンの試合を10万人の観衆にもみくちゃにされながら見ることもできた。セレソンの合宿を見に行き、サインをもらったり、一緒に写真を撮ってもらった。派遣された町出身の現役セレソンの選手のご家族との交流を通して、輝かしいキャリアに見えても、背景には貧しい田舎の素朴な生活があることを知ることができた。

これらはのちの私のサッカージャーナリストとしての大きな財産になったのだ。

西京極、ロサンゼルスと、次にジーコに会ったのは、リオのジーコセンターだった。リオのジーコはいつもリラックスしている。日本では「サッカーの神様」と呼ばれるが、ブラジルでジーコは神様では無い。

ジーコはガリーニョ=鶏なのだ。人とはかけ離れた次元の違う存在として崇め称えられるのではなく、「よ!ガリーニョ!」と気軽に話しかけられる存在だ。ブラジル人は彼に対して遠い存在を崇拝するのではなく、愛情をいっぱい持っている身近な英雄なのだ。

サッカージャーナリストになりジーコに何回もインタビューする機会があったが、いつもかれは日本、日本サッカー、鹿島アントラーズという自分の分身への愛情に満ち溢れている。そして、とても気さくに話をしてくれる。目線を同じくして私たちを対等に扱ってくれる。ブラジルの英雄であるのに、シンプルで温かいのだ。

そんなジーコが私の故郷、岐阜県に来る?!

2024年11月23&24日、岐阜県の東濃地方、土岐市と瑞浪市で「ジーコ祭り!in 東濃 人と世界と東濃と」というイベントに来てくれるというのだ。岐阜県にはサッカーが大好きな子、情熱を持った指導者、人生の趣味としてボールを蹴ることをこよなく愛する人、自分でボールは蹴らなくてもサッカーを見るのが好きだという人がたくさんいる。ボール一つで世界中の人の心を掴んだジーコが東濃地域を盛り上げたいと熱い想いを持った仲間たちと共に、岐阜の子供達の前に現れてくれるのだ。

「Boa Sorte, Tono!」―東濃に幸運を!ぜひこの熱い瞬間を共に分かち合いましょう。

ここでジーコに会う人々、特に子供達は、きっと私のように大きな感動を得て、必ずや人生におけるステキなエッセンスを受け取ることになるだろう。

Boa sorte para todo mundo!!みんなに幸あれ!(大野美夏=サンパウロ通信員)

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