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西村修さん告別式 前夜18年ぶり無言の対面の師匠・藤波辰爾が弔辞 「君の弔辞を私が読む...切ない」

[ 2025年3月8日 13:48 ]

西村修さん告別式のリングを模した祭壇
Photo By スポニチ

2月28日に亡くなったプロレスラーで文京区議会議員の西村修さん(享年53)の葬儀・告別式が8日、東京都文京区の護国寺で営まれた。

渕正信(71)、永田裕志(56)、ブル中野(57)ら多数のプロレス関係者に加え、生前親交があったプロボクシングWBC世界フライ級王者の寺地拳四朗(33)も参列。西村さんの新日本と無我ワールドでの師匠・藤波辰爾(71)と、新日本時代からの先輩・武藤敬司(62)が弔辞を読んだ。

藤波は「突然...、突然の別れに、こういう時が来るとは信じられません。そして君の弔辞を私が読む。こんな切ないことはありません」。

「ともに新日本プロレスで育ち、私が立ち上げた無我に旗揚げから参加してくれました。そして、ともに多く行動することも多くなりました。プロレスの原点の挑戦。それは西村修というプロレスラーのスタイルづくり、そして多くのファンの皆様に愛される、ひとつのきっかけになったと思います」。

「世界をともに旅をし、ともにチャンピオンベルトを巻きましたね。そのひとつひとつの瞬間は、私にとってかけがえのない思い出となりました。忘れることができません」。

「無我という一文字によって、我々はつながり、長い時を経験したました。その別れが18年も続いたという長い年月は、私達の傷を癒してくれました」。

「あの日のように語り合える日がまた来ることを信じて、そしてもう一度ともにリングで戦うことを信じてました。結局、再び君と会うことができませんでした。しかし、君のメッセージや思いはしっかり私に届いてましたよ。だからもう何も気にすることはありません。安心して、安らかに休んでください」。

「無我とともに歩いた君のプロレス人生。その人生の時まで誇り高く生き抜いた君に、無我をささげます。お疲れさま」と"弟子"に別れを告げた。

藤波は前日7日の通夜で、西村さんと18年ぶりに無言の再会を果たしていた。07年に西村さんが無我を退団し、師弟関係を解消して以来、絶縁状態だった。

西村さんは24年に食道がんが発覚。ステージ4と診断されながらもリングに上がり続け、がんとも戦ってきた。出場を予定していた1月の「ジャイアント馬場没25年追善興行」を体調悪化で欠場したが、代役を引き受けたのが藤波だった。西村さんはその後、退院のめどが立つなど回復も見られていたが、容体が急変して帰らぬ人となった。

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