想起する絵、記憶する演劇
「原爆の絵」現象は継承か、それとも教育か
被爆体験証言者が原爆投下時の光景を語り、高校生がその語りに耳を傾けつつ絵画を制作する「次世代と描く原爆の絵」プロジェクト。過去の経験を伝える営みは〈記憶の継承〉と呼ばれるが、それはいったい何を意味するのか。また教育としての意味は何か。広島のその活動との関わりを通して、過去の記憶を伝えようとする文化を考察する。
はしがき
序章 「原爆の絵」プロジェクトとは何か
はじめに――表象の乗り継ぎをめぐる問い
一 〈記憶の継承〉という謎
二 「原爆の絵」プロジェクトの助走期間
三 「原爆の絵」プロジェクトの概要
四 「原爆の絵」プロジェクトに対するアプローチ
五 文化的記憶の生成に参加すること――本書の視界
第一章 カタストロフィのコミュニケーション的記憶が創られるとき――語り手と描き手のあいだに生じる絵画
はじめに
一 本章の焦点と方法
二 語りがたい光景
三 繰り返しと崩し――語り部としての証言活動との相違
四 絵画の役割
五 絵画が想起する
おわりに――記憶の混交としての「原爆の絵」プロジェクト
第二章 「原爆の絵」はアート作品か――教員からみた制作経験の意義
はじめに――プロジェクトの変遷の証言者
一 考察の方法
二 プロジェクト開始期における基町高校と教員たちの状況
三 平和教育としての「原爆の絵」プロジェクトに対する期待
四 〈心の成長〉の契機としてのカタストロフィの表象化
五 資料としての「原爆の絵」
六 「原爆の絵」制作に対する「責任」の取り方
おわりに――人間形成の営みとしての「原爆の絵」プロジェクト
第三章 「原爆の絵」プロジェクトの戯曲化――「あの夏の絵」における多声性の再構成
はじめに――絵画制作から戯曲と演劇へ
一 観点と方法――想起物語の構成へのまなざし
二 戯曲「あの夏の絵」の成り立ちと概要
三 証言者、高校生、そして教員――物語の多声性と関係性の再構築
四 多声の物語と想起の「翻訳」
おわりに――戯曲と演劇の間に生じる教育の展開可能性
第四章 演劇が想起する――「あの夏の絵」における「劇中証言」と〈記憶の継承〉
はじめに――「文化的記憶」が生成する現場としての演劇
一 観点と方法
二 演劇という文化的記憶形成の現場
三 「劇中証言」――証言者を演じるという経験
四 認識的警戒を解除する機序としての演劇
五 もどかしさの連鎖と〈記憶の継承〉――あるいはビルドゥング
六 文化的記憶の予期せざる展開
終章 表象の乗り継ぎとしての〈記憶の継承〉と教育――理論との照合
一 表象の乗り継ぎとしての「原爆の絵」プロジェクト
二 ミメーシスとしての〈記憶の継承〉
三 教育としての「原爆の絵」/教育を超える「原爆の絵」
補論 演劇を通して不条理に出逢うこと――朗読劇「夏の雲は忘れない」と子どもたち
文献・資料の紹介
はじめに
一 集合的記憶論への接近と「原爆の絵」プロジェクト
二 「原爆の絵」プロジェクトをめぐる多様な知
文献一覧
あとがき
事項索引
人名索引
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はしがき
「次世代と描く原爆の絵」プロジェクトは、広島の原爆投下にまつわる絵の制作を通して被爆体験証言を支援する営みとして位置づけられている。被爆体験証言者が原爆投下時の光景を語り、高校生がその語りに耳を傾けながら絵画を制作する。その過程を約八か月にわたり定期的に観察させていただいたことがある。その際、証言者がときおり「こんなもんじゃない」と口にされる場面に出会った。この言葉の意味を、今も考え続けている。
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高校生が差し出した絵に対して、「ここはこう描き変えた方がいいよ」と具体的な助言がなされることがあった。その文脈で発せられる「こんなもんじゃない」にはとまどいはなかった。しかし別の場面では、証言者自身が「こうであった」と明確に表現することの難しさに直面しているようにみえることがあった。思い出される出来事のなかには、視覚的な「光景」に収まりきらないものが含まれているのかもしれない。想像を絶する心身の痛みなどは、言葉や図像ではたしてどのようにして、またどこまで表現できるのだろうか。かりに表現がなされたとして、どこまで、またいかにして人はその表現を受け止めることができるのだろうか。「こんなもんじゃない」という言葉の奥深さに、私はまだ十分に到達することができていないと感じている。
一般に、自分の経験を誰かに語る場では、相手に伝わりやすいように言葉を選び、また語りの順番を整えようとする働きが自ずと生じるものだ。観察させていただいた「原爆の絵」プロジェクトの打ち合わせ会でも、そのような様子は見られた。起承転結のようなストーリーラインに整理して語るということは、そうしたことの一例だろう。原爆投下のその場にいたことをめぐる複雑さや表現のしがたさをいったん自分に引き寄せて心のどこかにとどめながら、相手に理解しやすいように言葉を紡ぐことが試みられているように、私にはみえた。だが、理路整然とした語りの繫がりのあいだに、記憶の底から立ち上がる言葉の断片のようなものが現れることがあった。そうした場合、言葉の配列への配慮が背景に退いて、往々にして情念の熱量をもってその言葉が繰り返された。数か月間の打ち合わせ会のなかで、言葉と言葉のあいだにふと生じる空白も含めて、語り手と聴き手のあいだに何かがゆっくりと積み重なっていくように感じられた。
「原爆の絵」プロジェクトは、たとえば語り手が明確なイメージを唯一の正解として保持し、受け手がそれを忠実に複写できているかを確認する営みではけっしてない。答え合わせのような作業はここでは成り立たない。「こんなもんじゃない」という言葉は、言語や図像によって構築される表現世界のさらに向こう側にあるとしか言いようのない、表象不可能な領域の方向を指し示していたように思われる。その言葉は描き手を責めるものではもちろんなく、むしろ語り手自身にも向けられていたかのようにも感じられることがあった。
「プロジェクト」と聞くと、確立された活動のパッケージのような印象を抱きがちである。だが、「原爆の絵」プロジェクトは常にある種のもどかしさと隣り合わせである。そのもどかしさは取り除くべき何ものかではなく、むしろこの活動が成立するための重要な前提条件でもある。思えばヒロシマの想起文化は、内なる「こんなもんじゃない」という声と向き合いながら形成されてきたのではないだろうか。峠三吉が原爆詩を編む際に核心に迫る作品を選び抜こうとしたとき、丸木位里・俊が《原爆の図》の迫真性を追求し続けたとき、広島平和記念資料館の被爆再現人形やジオラマの制作者たちが「本物らしさ」を求めて試行錯誤したとき。そうした表象に触れるとき、内なる「こんなもんじゃない」という声が響いてくるように感じられることがある。
「原爆の絵」プロジェクトの観察で私が目撃したのは、ヒロシマの想起文化の根底に横たわるそうした声との対話が生じる貴重な瞬間だったのではないか。いつの日か、この声との直接の対話を欠いた表現活動が求められることになる。二〇二五年に「戦後八〇年」を迎えたことは、「それはいかにして可能か」という喫緊の問いに向き合うための重要な機会でもあった。
「原爆の絵」プロジェクトのような過去の経験を伝える営みは、一般に〈記憶の継承〉と呼ばれている。だが、そもそも〈記憶の継承〉とはいったい何を意味するのか。「原爆の絵」プロジェクトに関する考察のみならず、過去の記憶を伝えようとする文化の問題を深く考えようとする者ならだれもが共通して突き当たるこの問いに本書も向き合うことになる。「記憶」も「継承」も自明ではない。記憶という語によって何をどのように論じるべきか。それはいかなる営みとして理解されるべきか。「原爆の絵」プロジェクトとその演劇化にかかわる方々が、ご自身の貴重な経験を自らの専有物とせず、〈記憶の継承〉をめぐる根本問題をともに考えるために差し出してくださったことに、心から感謝申し上げたい。なお、本書において関係者の方々に言及する際に基本的に敬称を略させていただいている。ご寛恕いただければ幸いである。
勁草書房刊行のいろいろな書籍を、編集部サイト「けいそうビブリオフィル」の「あとがきたちよみ」コーナーにて一部公開しています。あわせてご利用ください。
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